大学をアンバンドルする

大学は近代国家や多くの企業よりも長い歴史を持つ制度です。長い歴史のなかで、知と人を育む器としての大学は、世紀を超えて存続してきました。だからこそ大学の意義を考える時間軸は、数年の改革や10年の計画にとどまらず、数十年、あるいは世代の単位になるのではないかと思います。
たとえば現在の科学技術研究の体制の多くは、1945年、第二次世界大戦の終結とともに始まりました。しかし、戦前と戦後を以前の記事で振り返った通り、明治維新 (1868年) から終戦までが約80年、そして戦後から現在までは約80年経過しており、1945年の体制を維持することが良いのかは改めて考えたほうがよいのかもしれません。
実際、国際秩序の在り方は今まさに大きく変わろうとしていますし、科学技術関連の様々な動きが諸外国では見られるように思います。
戦後の科学体制の変化の兆し
現在の大学の在り方に大きな影響を与えたのは、1945年7月のブッシュ報告です。
米国の科学研究開発局(OSRD)局長ヴァネヴァー・ブッシュは、戦時に大学の研究者をレーダーや原子爆弾の開発へ動員した経験を平時に引き継ぐ構想として、報告書『科学——果てしなきフロンティア(Science, the Endless Frontier)』をトルーマン大統領に提出しました。
内容としては、政府は大学の基礎研究に資金を投じるけれど、中身には介入せず、成果はいずれ新産業や公衆衛生、国防の力として社会に還元される、といった公的な投資の色の強い思想であり、社会契約です。この考え方は1950年の全米科学財団(NSF)設立で制度となり、戦後の米国の研究大学は各国の手本となりました。
その米国で変化が起きています。NSFは2026年5月、「NSF X-Labs」の創設を発表しました。今後10年で15億ドルを投じ、学術機関の外に独立した研究組織を立ち上げ、専任チームに運営の自律とマイルストーンごとの資金を与える取り組みです。
大学の役割そのものを問い直す議論も出ています。ベン・ラインハート(Ben Reinhardt)は2025年のエッセイ「大学をアンバンドルする(Unbundle the University)」で、大学は教育、研究、資格認定、技術開発、政策提言、スポーツ興行、資産運用までを抱え込んだ「バンドル(集積体)」であり、その一部を担う専門機関を大学の外に増やすべきだと主張しました。
束ねることと切り離すこと(バンドルとアンバンドル)という見方は、テックブロガーのベン・トンプソンやアナリストのベネディクト・エヴァンスが、新聞やテレビ、ソフトウェア産業の構造転換を読み解くのに用いてきたものです。本稿はベン・ラインハートのエッセイを参照しながら、このアンバンドルの見方を大学に当てはめ、長期の軸でこれからの日本での大学の在り方を考えてみようという試論です。
まず、大学が何をバンドルしてきたのかを振り返ります。
第I部 大学は何をバンドルしているのか
まず、大学が何を一つにバンドルしているのかを整理します。
大学は教育と研究だけの機関ではない
大学は様々な機能やサービスを持っており、学生には1つのセット(バンドル品)としてそれらを販売しています。しかし学生以外にも様々なステークホルダーを持っているのが現在の大学です。
カリフォルニア大学総長のクラーク・カーは1958年、キャンパスの三大問題は「学生にとっての異性、卒業生にとっての運動部、教員にとっての駐車場」だと冗談めかして語りました。教育も研究も入っていません。大学が担ってきた機能を整理すると、次のようになります。
| 機能 | 中身の例 |
|---|---|
| 教育 | 講義、ゼミ、教養教育、専門の知識と技能の伝達 |
| 選抜と証明 | 入学者選抜、学位授与、企業に対するシグナリング |
| 研究 | 新しい知識の探索と検証、後進研究者の育成 |
| 知識の保管 | 図書館、博物館、標本や研究データの蓄積 |
| 若者の移行と共同生活 | 寮、部活動やサークル、友人やパートナーとの出会い |
| 人脈の形成 | 同窓会、就職の仲介、卒業後の相互扶助 |
| スポーツ | 大学名を冠した競技と興行 |
| 医療 | 附属病院の高度な臨床医療 |
| 資産運用 | 寄付金や基金(エンダウメント)の運用 |
| 社会実装と政策支援 | 産学連携、技術移転、政策助言、地域活性化 |
教育と研究以外の機能も小さくありません。日本の国立大学法人全体の2023年度決算では、経常収益約3兆4,266億円の約4割が附属病院の収益です。米国では657大学の基金の合計が9,443億ドルに達しています。
産業界の一部の人などでも、学位の価値の相当部分が講義の外にあると見て、「授業に行かなかった」ことを誇らしげに語ることはしばしば見られます。
バンドルされてきた理由とアンバンドルされる理由
なぜこれほど多様な機能が一つの機関に束ねられてきたのでしょうか。理由は少なくとも4つあると考えています。知識を届けるには人が一か所に集まる必要があったという技術の制約、大学が与える信用、多様な収入を一つにまとめる財政、そして国家や企業などからの期待です。
技術の制約は、新聞と比べると分かりやすくなります。トンプソンは「The Great Unbundling」(2017年)で、新聞が報道、広告、求人、天気予報を一つにできたのは、印刷設備と配達網という高価な流通基盤を握っていたからだと説明しました。大学でも、かつて知識の伝達には教員と学生が同じ場所に集まる必要があり、キャンパスと教授陣は新聞の印刷所や配達網のような希少な流通チャネルでした。図書館や実験室のように固定費の大きい設備も、多くの学部で共有するほうが安く済みます。20世紀に研究が巨額の設備を要するようになると、それを維持できる大組織であること自体が強みになりました(第IV部で見ます)。
大学のブランドは、教育の質と卒業生の能力をまとめて保証する信用として働いてきました。この信用は制度にも支えられています。日本で学位を授与できるのは、法律上、大学と大学改革支援・学位授与機構に限られます。米国で連邦の奨学金を使えるのは、認定(アクレディテーション)を受けた機関で学ぶ場合に限られます。学ぶ場所と学んだことの証明、さらに学費の資金までが同じ機関に結びついているため、学生は機能ごとに別の担い手を選びにくくなっています。
財政の面では、授業料、国の交付金、研究費、寄付が一つの財布に入ることが束を支えてきました。この仕組みのもとで、利益を生みにくい分野を他の収入で支える内部補助が働きます。研究費に上乗せされる間接経費も、図書館や事務組織のような共通の基盤を支えています。束であることが、単独では成り立ちにくい学問を守る仕組みにもなってきたわけです。
国家や企業も、大学に機能を集めてきました。国家が研究と専門人材の育成を大学に託したのは、国際競争に備えるためです。帝国大学は「国家ノ須要ニ応スル」ことを目的に掲げ、戦後の米国は1945年のブッシュ報告に沿って連邦の研究資金を大学に注ぎました。現在は国際大学ランキングが、統合と大規模化を後押ししています。企業は採用の選抜を大学の入試に委ね、共同研究の相手としても期待を寄せてきました。家計は子どもの就職を、地域は若者の定着と人材の養成を期待します。新しい課題が生まれるたびに専用の組織を作るより、既存の大学に載せるほうが早く、予算の説明もしやすかったのだと思います。
大学の側も、こうした期待を成長の機会として取り込みました。研究費を得て大学院と研究所を広げ、附属病院や運動部、資産運用のような事業も抱え、機能を足すたびに規模と影響力を増してきました。カリフォルニア大学総長を務めたクラーク・カーが1963年に、多様な機能と利害関係者を抱える巨大大学を「マルチバーシティ」と呼んだのは、この姿です。一方で、資金の出し手が増えるほど、大学は国家や企業への依存も深めていきました(第IV部・第V部で見ます)。

これら4つの理由は互いを強め合っています。国家や企業の資金が集まれば研究と設備が充実し、それがブランドを高め、優秀な学生と次の資金を呼び込みます。そのため、どれか一つが弱まっても束はすぐには解けません。
インターネットが弱めたのは、4つの理由のうち主に技術の制約でした。流通コストが下がると、新聞もケーブルテレビも用途ごとに分解されていき、エヴァンスは、インターネットのサービスはバンドルとアンバンドルを周期的に繰り返すと論じています。2012年にMOOCが注目されると、クレイ・シャーキーも「我々にとってのMP3はMOOCであり、ナップスターはUdacityだ」と書き、大学に同じ変化が起きると見ました。
しかし大学の崩壊は起きませんでした。学位の信用、学費と研究費の流れ、企業の採用慣行は大学に結びついたまま残り、投資家のスタトンが学位の価値に数えた人のつながりや通過儀礼も、オンライン講座では置き換えられなかったからです。アンバンドルが進むのは、特定の機能について外により優れた担い手が現れ、資金と信用の流れもその担い手に向かうときだと考えています。
そうだとすれば、問うべきは何が安くなるかより、何を束ねておく理由がいまもあるのかです。共同で維持するしかない高価な設備や、利益を生みにくい学問を支える内部補助、長い時間をかけて知見を確かめ合う研究者の共同体、など、束であることが強みになる機能も存続しています。
一方で、束ねておく理由が薄れたのに、資金と信用の経路が大学にしか通っていないために残っている機能もあるはずです。AIが個別指導や添削のコストを下げ、政府や財団が大学の外の研究組織に直接資金を出し始めたいま、この二つの見分けは以前より差し迫った課題になっています。後者を大学の外に出すには、外の担い手に資金と信用が届く経路を先に作っておく必要があると考えています。
第II部 科学のやり方が世界で変わり始めている
この10年ほど、世界では科学の営み方を問い直し、新しい研究のあり方を試す動きが広がっています。

(1)科学のやり方そのものを研究し実験するメタサイエンスが広がっている
メタサイエンスは、研究費の配分方法、査読の妥当性、研究組織のあり方など、科学の進め方そのものをデータと実験で確かめる領域です。2010年代に、論文の多くが追試で再現できないという「再現性の危機」と、資金や研究者が増えてもブレークスルーが生まれにくくなっているという懸念が、これを後押ししました。2019年には英国でResearch on Research Institute(RoRI)が設立されています。
政府も動いています。英国は2024年、科学・イノベーション・技術省と英国研究・イノベーション機構(UKRI)の合同組織としてメタサイエンス・ユニットを設け、研究助成の審査方法の比較実験を始めました。応募者同士が評価し合う分散型ピアレビューでは、審査期間を最大65%短縮できたと報告しています。理念にとどまらず、新しい組織や資金配分の試作品を実際に立ち上げて検証している点が、この潮流の特徴です。
(メタサイエンスについては以前別の記事でも少し書きました。)
(2)大学の外に新しい研究組織が生まれている
新しい研究組織の在り方も模索され始めています。代表例がFRO(Focused Research Organization:特定課題研究組織)です。非営利組織Convergent Researchが推進してきた形式で、論文にも製品開発にも馴染みにくい研究基盤ツールや大規模データセットの開発を、期限と定量目標をもつ専任チームで進めます。米国ではすでに10件が立ち上がり、2026年には英国でも2件が始動しました。ラインハートが指摘するように、大学の研究室では実務の主力が数年で入れ替わる大学院生であり、評価も新規性の高い論文に偏ります。FROはその制約を避けるための組織です。
研究者個人に長期の資金を保証する独立研究所もあります。2021年設立のArc Instituteは、スタンフォード大学やカリフォルニア大学と連携し、中核研究者に8年(更新可)の任期と使途を制限しない資金を提供しています。公的セクターでも、裁量の大きいプログラムマネージャー(PM)が高リスクの研究を主導するDARPA型の機関が、ARPA-E、ARPA-H、ドイツのSPRIND、英国のARIA(2023年発足)と広がりました。冒頭に紹介したNSF X-Labsもその延長にあります。ラインハート自身も2023年、大学にもベンチャーキャピタルにも合わない材料・製造技術の研究開発を進める非営利組織Speculative Technologiesを立ち上げています。
(3)財団などの非営利団体から研究資金が出始めている
戦後の研究大学を支えたのは、NSFや国立衛生研究所(NIH)など政府の競争的資金でした。サイエンス・フィランソロピー・アライアンスの推計(2024年のデータ)によれば、米国の大学と非営利研究機関の研究に連邦政府が出す割合は、1960年代の70%超から2024年には50%(636億ドル)に下がりました。財団などの非営利団体からの資金と、過去の寄付で築かれた基金からの支出を合わせたフィランソロピーは270億ドルで、全体の21%にあたります。
財団は大学に寄付するだけの存在ではなくなっています。HHMIは2006年に自前の研究拠点ジャネリア・リサーチ・キャンパスを、シモンズ財団は2016年にフラットアイアン研究所を開き、チャン・ザッカーバーグ・イニシアティブは非営利研究組織バイオハブを設立しました。Arc Instituteも、パトリック・コリソンらの6億5,000万ドルを超える寄付で設立されています。
非営利の資金は、単年度予算に縛られる政府の資金より、特定の研究者や組織に長く出し続けやすいという特徴があります。一方で、行き先は出し手の関心に左右されやすく、同アライアンスの2023年の報告では、大学の科学分野の研究に向かう非営利団体の資金の72%が、生物学・医学・健康科学に充てられていたようです(2021年度)。それでも、資金を得る経路は確実に広がっていると言えるでしょう。
(4)AIが研究の担い手を変え始めている
2026年には、Google DeepMindの「Co-Scientist」、FutureHouseの「Robin」、Sakana AIらの「AI Scientist」など、仮説の立案から実験設計、解析までを自律的に進めることを目指すAIシステムの論文がNature誌に掲載されました。Anthropicが生物学の研究所を作り、OpenAIが数学の未解決問題に取り組むなど、基盤モデルを提供している会社が研究に近いことを行いつつもあります。(ただし、たとえばRobinの論文でも、候補の確認、実験手順の作成、解析の指示には人間が関わっており、研究の実務がすでに一続きで代替されたわけではありません。)
上に挙げたAIシステムも、開発の中心は大学ではなく企業や非営利の研究組織です。最先端のAIの開発には大学では持ちにくい規模の計算資源とデータが要るため、研究に必要な資本はAIによってさらに増え、その中心地が大学の外へ移る可能性があります(第IV部で見ます)。
ロボットが合成や測定を24時間繰り返す自律実験室の実装も進んでいます。実験や文献調査の相当部分が自動化されれば、大学院生やポスドクの労働力を前提とした研究室の運営は変わらざるを得ないでしょう。同時に、AIが大量の仮説や結果を生み出すほど、何が確かで価値があるのかを批判的に検証する役割は重くなると考えています。この論点には第VI部で改めて見ます。
(5)教育にも変化が起きつつある
AIは研究だけではなく、教育のあり方も大きく変えようとしています。たとえば今、大学はこの AI を使った学生のレポートなどに苦慮しており、従来の教育方法なども改めて考え直されようとしているところです。
ブルーカラーなどの職種が高賃金化することと、従来のホワイトカラーが溢れることによって、大学進学が割に合う投資かというと、そうではなくなりつつあるようです。
それに加えて2026年9月22日、ベンチャーキャピタルa16zの支援のもと、高校卒業者向けの全日制アカデミーHorowitz Andreessen Academy(HAA)が発表されました。学位も単位認定もなく、2027年秋に約50名を授業料無料で受け入れる1年制プログラムから始めるようですが、今後は有償の大学へと転換していく計画を持つようです。内容としては、産業界の実務に通年で携わるコーオプ教育、実務家の直接指導、学生主導のプロジェクトが柱です。前例には、大学を離れて挑戦する22歳以下の若者に2年間で25万ドルを給付するティール・フェローシップ(2011年)があります。
これらが大学から切り出しているのは、知識の伝達ではないように思われます。知識はすでにAIやインターネットで安く手に入ります。切り出されているのは、志を共有する仲間、実務のネットワーク、現場経験、厳しい選考を通過したという信用です。教育そのものより、選抜と社会への移行を支える機能が、先に大学の外へ出始めていると言えます。
世界の動きは大学の機能を外側からアンバンドルしつつある
これらをバンドルの構造に重ねると、FROやNSF X-Labsは目標の明確な技術開発を、ARPA型組織は挑戦的なテーマの目利きと資金配分の権限を、大学の外や専任PMへ移しています。財団は政府とは別の経路で資金を供給し、メタサイエンスは再現性や助成の仕組みを検証の対象にしました。AIは研究室の実務を代替し始め、新しい学校は選抜と実務訓練を切り離しています。
ただし、これらの多くは大学を壊そうとしているわけではないことにも注意が必要です。FROの研究者の多くは大学院で育った人材で、ARPA型機関の資金も大学に流れています。ここで行われているアンバンドルは、大学の外に選択肢を増やし、機能ごとに適した担い手を選べるようにすることだと捉えられます。
研究機能をどう配置し直すかが世界で議論されている
こうした動きを受けて、この数年の議論の焦点は、「大学か、大学の外か」という二択の議論ではなく、どの研究機能を、どの資金・雇用・評価といった形で担わせるかへと移りつつあります。
大学の外に研究組織を作ってきた当事者自身、自らの試みを大学の代替ではなく補完と位置づけています。FROを運営するアダム・マーブルストーンらは2025年の振り返りで、FROは大学研究全般の代替ではないと明記しました。大学の外の研究所の多くは、学部教育から博士の育成までを自前では構築していません。
同時に、研究者個人を支えるのか、専任の組織を支えるのかという設計の対立も浮上しています。米国の2026年の科学政策構想が大学という組織より研究者個人を重視する方向を打ち出したのに対し、欧州研究大学連盟(LERU)は、優れた個人にも長期研究、育成、設備、学問の自由を支える大学が必要だと反論しています。
評価と基盤のあり方も見直されています。RoRIのジェームズ・ウィルズドンらは、AIが申請書を書き、AIが審査する時代には、文章の説得力が研究の質を見分ける手がかりにならなくなると問題提起しました。共有データや研究ソフトウェアのように、個人の論文では評価されにくい仕事をどう担うかも論点です。とはいえ、大学の外に出れば研究者が自由になるとは限りません。たとえば連邦研究費への依存度が高い米国の大学で、経済学の論文から政治的に敏感な主題が減ったという報告もありますが、政府の資金に頼ったままでは自由な研究ができない可能性もあります。
さらに、技術移転制度を支えるバイ・ドール法と、大学による発明の管理についても、見直しを求める議論が出ています。1980年のバイ・ドール法は、連邦資金による発明について、大学などの非営利組織や小企業が一定の条件で権利を保持することを選べるようにした法律です。近年は、特許取得とライセンスを中心とする技術移転に加え、大学の設備や専門人材へのアクセスを通じて技術を普及させる方法も提案されています。ラインハートも、発見を特許化し、ベンチャーキャピタルの資金で製品化する創薬のモデルを、長期の工学開発や複数技術の統合を必要とする他分野に、そのまま一般化することには限界があると論じています。
日本では、日本学術会議が2025年11月の提言で、競争的資金だけでは研究時間、安定した雇用、設備を支えられないとし、基盤的経費の回復とあわせて、大学以外の法人を使った研究者の雇用も検討しています。
日本の話も出てきたので、では、日本の大学はいまどのような状況にあるのかを見ていきます。
第III部 日本の大学と日本の社会課題
世界では主に「研究の進め方」が再設計されつつある一方で、日本の大学は足元の構造的な課題に直面しているのでは、と考えます。

日本の大学が抱える機能と期待
日本の大学で最も比重が大きかったのは、選抜と能力証明だと考えています。第V部で見るように、日本の企業は長く、大学で何を学んだかより、どの難易度の大学に入ったかを採用の基準にしてきました。
期待を寄せる主体も大きくは4つに別れます。国家は先端研究と専門人材を、企業は選抜のシグナルと共同研究を、家庭は子どもがよい職に就くことを、地域は若者の定着、教員や医療人材の養成、産業の維持を期待します。どれも正当ですが、向かっている方向や望んでいることは異なります。たとえば地方の国立大学は、国からは論文指標や外部資金の獲得を、自治体からは教員や看護師の安定した供給を求められます。これらの異なる期待が、限られた教員の同じ時間を奪い合っているわけです。
しかもこの束は、引き算なしに増えてきました。この10年余りでも、地方創生、リスキリング、大学発スタートアップ、経済安全保障などが大学に課されましたが、代わりに既存の業務を減らす判断はほとんどされていません。
研究の担い手が細っている
日本の大学研究は、実務の多くを大学院生に頼ってきたと言われます。文部科学省の調査では、2023年度に職務時間のうち研究に充てた割合は、大学教員の32.2%に対し、博士課程の学生は84.6%でした。それぞれの時間の使い方であって研究全体への貢献の割合ではありませんが、教員の研究時間の割合が2002年度の46.5%から下がり続けるなかで、研究の実務の多くを院生が担う構造がうかがえます。教育と労働の境界が曖昧なまま、院生の意欲と自己負担が研究を支えてきたと言うのが実態に近いのでは、と思います。
その環境は変わりつつあります。2021年度以降、科学技術振興機構(JST)の次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)などで、博士課程の学生に生活費相当額を給付する支援が広がりました。博士課程の学生を処遇されるべき研究者とみなす考え方が定着すれば、研究室の実務を担う学生には対価を払うか、専任の職員を雇う必要が生まれます。つまり、大学や研究室にとっては、無償の労働力でカバーしていた分の費用負担が増えるということです。
一方で担い手の数も減っており、博士課程の入学者は2003年度の18,232人をピークに2024年度は約1.6万人、修士から博士への進学率は14%前後から10.4%に下がりました。円安で研究費の購買力も落ちています。
学生と財源が減っている
文部科学省の将来推計では、約63万人の大学進学者は2040年に約46万人になる見込みです。定員割れの私立大学の比率は、日本私立学校振興・共済事業団の調査で2024年度に59.2%に達し、2026年度も46.2%です。
学費に頼る私立大学では、学生の減少がそのまま財務の危機になります。国立大学の運営費交付金は、2004年度の1兆2,415億円から2015年度には1兆945億円に減りました。物価高と円安で費用が膨らむ一方、賃上げなどは遅れており、家計の側には学費を大きく上げる余地はありません。
研究力と地域での役割も揺らいでいる
科学技術指標2026では、注目度の高い論文数を示すTop 10%補正論文数で、日本は世界13位です。先端科学は大規模な設備と学際的な専任チームで進む傾向を強め、教授1名と院生数名の講座制の研究室では扱いきれない課題が増えています。
地方大学は教員や医療人材を地域に送り出しながら、存続を問われています。ジョブ型雇用や学び直しの広がりは、偏差値による選抜という大学の最大の機能を相対化し始め、2015年のいわゆる「文系不要論」のように、大学の社会的な益を問う声も繰り返されてきました。研究者個人に最長10年の資金を出す創発的研究支援事業のような施策もありますが、資金の大半は既存の大学や国立研究開発法人に流れ、大学の外に新しい研究組織を生む契機にはなっていません。
課題が先行し外の選択肢が追いつかない日本
米国と日本の最大の違いは、アンバンドルが進む順序にあると考えています。米国では、新しい研究組織、篤志家の資金、実践型の学校、学位にこだわらない採用といった選択肢が先に大学の外に立ち上がり、それによって大学の機能が切り出され始めています。
日本では順序が逆で、担い手の減少、進学人口の急減、財政の逼迫が先に大学を直撃しているのに、外側の受け皿は限られています。理化学研究所や産業技術総合研究所のような公的研究機関、大学共同利用機関はありますが、新しい研究組織を立ち上げる道や、研究者が大学と行き来できる雇用、所属を問わない設備の利用は乏しいままです。十分な受け皿がないまま機能が切り離されれば、それは移転ではなく、学問や教育の機能の喪失になりかねません。
しかも日本のアンバンドルは両端から進むおそれがあります。上位では少数の研究大学への集中が進み、下位では地方私立大学の撤退や統廃合が続くでしょう。大学が撤退した地域では、教員や医療人材の育成基盤も、地域の知の拠点も失われかねません。
日本の大学は、「設計されたアンバンドル」に向かうのか、それとも「崩壊としてのアンバンドル」に呑み込まれるのかという分岐点にあります。崩壊を避けるには、解体が進む前に大学の外側を構想し、どの機能をどこへ移すかを合意しておく必要があります。その手がかりを、まず世界の大学の歴史に探ります。

第IV部 世界の大学はバンドルとアンバンドルを繰り返してきた
どの機能がいつ、なぜ大学に組み込まれ、何が大学の外に置かれてきたのかを、各国の歴史でたどります。
日本が大学の仕組みを取り入れてきた国々
近代日本は、単一の国を手本にしませんでした。明治初期は工学をイギリス(とくにスコットランド)、法学と教育行政をフランス、農学をアメリカ、医学をドイツから学び、1886年の帝国大学はそれらを統合してドイツの研究大学の理念と講座制を据えました。戦後は米国を手本に新制大学が始まり、1990年代末以降も米英の制度が続けて取り入れられました。
| 時期 | 日本における主な出来事 | 手本とした国 |
|---|---|---|
| 1871〜1877年 | 工学寮・工部大学校の設立 | イギリス(スコットランド) |
| 1872年 | 学制の公布、司法省法学校の設立 | フランス |
| 1876年 | 札幌農学校の開校 | アメリカ |
| 1886〜1893年 | 帝国大学令、学位令、講座制の導入 | ドイツ |
| 1949年 | 新制大学の発足、大学院制度の再編 | アメリカ |
| 1998〜1999年 | TLO法、日本版バイ・ドール制度の導入 | アメリカ |
| 2004年 | 国立大学法人化 | イギリス |
| 2004年 | 専門職大学院(法科大学院等)の創設 | アメリカ |
| 2022年〜 | 国際卓越研究大学制度、大学ファンド | アメリカ |
以下では、中世・近世のヨーロッパを概観したうえで、各国が大学の内と外にどんな分業を築いたのかを見ていきます。
中世の大学は専門職の養成と認証を担う組合として始まった
大学は12世紀前後の西欧で、ギルド(ウニヴェルシタス)として生まれました。ボローニャでは学生が、パリでは教師が組合を作りました。教養の学芸学部の上に神学、法学、医学の上級学部を置き、聖職者、法律家、医師を養成しました。修業と口頭試問を経た者に与えられる「教授免許」は資格証明を兼ね、13世紀にはソルボンヌ学寮やマートン・カレッジなど共同生活の学寮も生まれています。現代的な意味での研究はまだなく、中世の大学は、専門職の養成、資格の認証、共同生活による人格形成の束だったと言えます。
近世の大学は国家と教派に仕え新しい科学は大学の外で育った
宗教改革と主権国家の形成を経て、大学は宗派ごとに分かれ、聖職者と官僚を育てる国家機関になりました。17世紀の近代科学は主に大学の外、1660年のロンドン王立協会や1666年のパリ王立科学アカデミーで育ちます。ラインハートが引くように、王立協会の創設メンバーで大学に本務をもつ人は4分の1に満たなかったとされます。例外として、ライデン大学は18世紀前半に臨床医学教育を確立し、その流れは日本の蘭学にも及びました。
フランスは大学をいったん廃止し機能ごとに別の機関を作った
フランス革命期の1793年、大学は旧体制の特権的なギルドとして廃止されました。代わりに理工科学校(エコール・ポリテクニーク)や高等師範学校など、国家が求める機能ごとの専門学校群(グランゼコール)が作られました。総合大学の法的な復活は1896年で、先端研究は1939年設立の国立科学研究センター(CNRS)が担いました。エリート養成、研究、国民の高等教育を別々の機関が担う三元体制です。
分けられた機関は孤立していたわけではなく、いまではCNRSの研究員と大学教員が同じラボで働く「混成研究単位(UMR)」が一般的です。一方、2010年代以降は統合に舵を切り、2020年には国際ランキングでの存在感を狙って、複数のグランゼコールや大学を統合したパリ・サクレー大学が発足しました。
日本がフランスから取り入れたのは、学制の全国一元的な学区制度と司法省法学校のフランス法教育でした。グランゼコール、研究センター、大衆大学という三元構造は取り入れませんでした。
イギリスはカレッジと実学と試験機関を並べてきた
イギリスは、成り立ちの異なる組織を並べてきました。オックスフォードやケンブリッジのカレッジ制は、共同生活と少人数のチュートリアルによる教育です。スコットランドには実学の伝統があり、グラスゴー大学のランキンの推挙で来日したヘンリー・ダイアーが、工部大学校の前身である工学寮のカリキュラムを設計しました。1858年にロンドン大学が始めた「学外学位」は、どこで学んだかを問わず試験の合格で学位を与え、教育と認証を切り離した先駆例です。
1919年には、政府が財源を出し、配分は学者の委員会が決める大学補助金委員会(UGC)が設けられ、政府が学問の中身に介入しないための緩衝機関として約70年間機能しました。政策の知も、1920年設立のチャタムハウス(王立国際問題研究所)のように大学の外で育ちました。1992年にポリテクニクを大学に一本化した後は、研究評価(現在のREF)や授業料の導入が進みました。
日本がイギリスから取り入れたのは、工部大学校の工学教育、REFを模した研究評価、法人化の理念でした。カレッジ制の共同生活の基盤や、緩衝機関は取り入れませんでした。
ドイツは研究大学を生み同時に研究を大学の外にも置いた
1810年創立のベルリン大学は、フンボルトの構想に基づく「研究と教育の統一」の理念から、ゼミナール、実験室、正教授が講座を統括する講座制、近代的な博士号を生み、世界に広めました。同時にドイツは、大学の外にも機関を重ねて育てました。高等技術学校は1899年に博士号を出せる工科大学となり、研究はカイザー・ヴィルヘルム協会(1911年)とその系譜のマックス・プランク協会、応用研究のフラウンホーファー協会(1949年)などに置かれ、1970年前後には職業専門教育の専門大学も整備されました。
フラウンホーファー協会では、国や州の基盤的補助金は予算の約3分の1で、残りは受託研究費です。受託で得た資金に応じて基盤的補助金が増えるため、産業に役立つ研究を続ける動機が組織に組み込まれています。大学に実用化を求めるのではなく、外に産業連携専門の組織を設けた例です。
ドイツの大学はほぼすべて州立で、学費も原則として無償です。財政は公的資金に頼っていますが、自治は、基本法(憲法)が保障する学問の自由と、研究者自身が審査と配分を担うドイツ研究振興協会(DFG)のような自治的な組織によって支えられてきました。財源が公的でも、配分の判断を学術の側に置く仕組みがあれば自治を保てることを示す例です。
日本がドイツから取り入れたのは、研究大学の理念、講座制、ドイツ医学、博士の制度でした。大学の外の研究所群や、機関の種類の分化は取り入れませんでした。
アメリカは英独の部品を接ぎ木してマルチバーシティを作った
米国の高等教育は、1636年創立のハーバード・カレッジのように、イギリスのカレッジを手本にした寄宿制の学寮から始まりました。主な目的は教会の聖職者を育てることでした。
19世紀には二つの要素が加えられます。一つは、1862年のモリル法で連邦の公有地の売却益をもとに作られたランドグラント大学で、大学は地域の産業と公共に奉仕すべきだという考え方を根づかせました。もう一つは、1876年開校のジョンズ・ホプキンズ大学で、ドイツ型の研究と大学院教育を中心に置きました。米国の研究大学は、英国流の教養教育、ドイツ流の研究、アメリカ独自の地域奉仕を組み合わせたハイブリッドです。大学の外にも、カーネギー財団やロックフェラー財団、ベル研究所などの企業研究所、2年制のジュニア・カレッジ(現在のコミュニティ・カレッジ)、ブルッキングス研究所やランド研究所のような独立したシンクタンクが育ちました。
第二次世界大戦後、ブッシュ報告とNSF設立が連邦政府の研究支援を恒久化し、GI法が大学を大衆化しました。連邦資金には間接経費が上乗せされ、契約管理が大学本部に集まった結果、事務組織が巨大化しました。1963年、カーは多様な機能と利害関係者を抱える巨大大学を「マルチバーシティ」と名づけ、同じ講義で、連邦資金に頼る研究大学を「連邦助成大学(federal grant university)」と呼んで、資金の出し手が大学の中身を方向づけることへの懸念も示しました。ブッシュの設計はピアレビューと複数の資金配分機関によって政府の介入を抑えようとしましたが、国家の資金が増えるほど、大学は国家への依存を深めていったわけです。
そのカーが1960年に主導したカリフォルニア州のマスタープランは、研究と博士教育をカリフォルニア大学、学部教育と実務修士をカリフォルニア州立大学、広い門戸をコミュニティ・カレッジに分けました。一つの大学に機能を束ねる一方、州のシステムとしては機関の種類を分けていたわけです。巨額の基金で一定の財政的な独立性を持つのは一部の私立大学に限られ、学生の多くは州の予算と学費に頼る州立大学に通っています。
日本がアメリカから取り入れたのは、札幌農学校の理念、新制大学、課程博士制度、TLOと日本版バイ・ドール制度、法科大学院、大学ファンドなどです。取り入れなかったのは、三層の機能分化、民間財団と独立したシンクタンクの厚み、研究者が大学・企業・研究所を行き来する労働市場でした。
研究は20世紀に巨額の設備を要する資本集約的な営みになった
19世紀の研究に必要だったのは、主に図書館と小さな実験室で、大学や篤志家が賄える規模でした。変化が大きかったのは20世紀です。1930年代にアーネスト・ローレンスがカリフォルニア大学でサイクロトロンを大型化し、第二次世界大戦のマンハッタン計画を経ると、加速器、原子炉、研究用の計算機のように、一つの大学では持てない設備が研究の前提になりました。1961年に物理学者アルヴィン・ワインバーグは、こうした研究を「巨大科学(ビッグサイエンス)」と呼んでいます。米国は大学の連合が運営する国立研究所を、欧州は国際共同のCERNを作り、日本も高エネルギー物理学研究所(現在のKEK)やSPring-8のような共同利用の施設を整えました。
この変化は、大学のバンドルと自治の両方に影響しました。高価な設備を持ち、それを維持する技術職員を雇い、安全管理を担えることが大きな組織の強みになり、大学を束ねる力として働きました。同時に、その費用を賄える国家や企業への依存も強まりました。
AIによって、研究に必要な資本はさらに増える可能性があります。最先端のAIモデルの開発には大学では持てない規模の計算資源が必要で、スタンフォード大学の「AI Index」は、注目されるAIモデルの大半が近年は企業から生まれていると報告しています。第II部で見た自律実験室や、大規模なデータの整備にも多額の投資が必要です。一方で、AIが計算や解析の一部を安くし、小さな研究室の力を底上げする面もあります。どちらに振れるかは、計算資源やデータを誰が持ち、誰に開くかという制度設計に左右されるでしょう。
研究を完全にアンバンドルしたソ連と中国のアカデミー
対極にあるのが、研究を大学から制度的に切り離した体制です。ソ連は研究を科学アカデミーの研究所群に集め、大学を主に教育の機関としました。中国科学院(1949年)もこれを踏襲し、現代の中国は科学院体制を維持しながらトップ大学に資金を集中させてきました。科学技術指標2026では、中国は論文総数、Top 10%補正論文数、Top 1%補正論文数のすべてで世界1位です。日本はこの体制を手本にしませんでしたが、第VI部で国際競争力を考える際の比較対象になります。
世界の歴史から見えてくる4つの視点
世界の大学史からは、4つの視点が得られます。
まず、バンドルとアンバンドルは振り子のように繰り返されてきました。中世の束から、科学革命での研究の外部化、フランスの分割、ドイツの再統合、米国のマルチバーシティへと揺れ、いまは欧州で再統合が、米国で先端機能の外部化が進んでいます。
次に、現代で大学を大きな束へまとめる最大の誘因は、機関の規模が評価されやすい国際大学ランキングです。大学間での国際的な規模拡大の競争に駆り立てている一因とも言えるでしょう。
さらに、学術と産業が繁栄した国は、例外なく大学の外に厚い知のエコシステムを持っていました。フランスのグランゼコールとCNRS、イギリスの学外学位とUGC、ドイツの研究協会と専門大学、アメリカの財団、企業研究所、シンクタンク、コミュニティ・カレッジがその例です。
最後に、アンバンドルの議論は一時の流行ではなく、1858年の学外学位や1963年のマルチバーシティ論に連なる制度論の系譜の上に位置づけられます。
第V部 日本の大学はアンバンドルされた状態から出発し政策でバンドルされてきた
ここまで世界のバンドルとアンバンドルの歴史を見てきました。次に見るのは日本です。日本の高等教育は、担い手が分散した状態から出発し、政策によって機能が一つの機関へ束ねられてきました。

江戸の学びは藩校と私塾と蘭学に分かれていた
武士の教育は藩校や昌平坂学問所が、実務や思想の教育は適塾や懐徳堂などの私塾が、西洋の知の導入は『解体新書』に象徴される在野の蘭学のネットワークが担いました。人格形成、専門技術の訓練、新しい学問の探索などが別々の担い手に委ねられていたこの分業は、大学の外の担い手を構想する際の歴史的な参照点になると考えています。
明治初期の日本は各省が自前の学校を持つアンバンドルな状態だった
明治政府の各省は、必要な人材を育てるために自前の学校を作りました。工部省の工部大学校はスコットランドの工学教育、司法省法学校はフランス法、開拓使の札幌農学校は米国の農科大学、東京医学校はドイツの医学講座を手本としました。
各省が機能ごとの学校を直轄する姿はフランスのグランゼコールに近く、日本の近代高等教育はアンバンドルな状態から出発したと言えます。
帝国大学は省庁の学校を束ねドイツ型の講座制を載せた
これを束ね直したのが1886年の帝国大学令です。東京大学と工部大学校などを統合し、目的を「国家ノ須要ニ応スル」学術技芸の教授と研究と定めました。法科・文科の卒業生は一時期、試験を免除されて官吏見習いに任用され、卒業証書が官僚への任用資格を兼ねました。1893年にはドイツ型の講座制が導入され、ドイツでは総合大学から外されていた工学も学部として取り込みました。官僚養成、国家資格、基礎研究、工学教育が一つの組織に束ねられたこの時点が、日本の大学の複合的なバンドルの出発点だと考えています。
大学の自治もこの帝国大学の中で形作られました。1913〜14年の沢柳事件を経て、教授の人事には教授会の同意を得るという慣行が生まれ、これが日本の大学自治の原型になります。ただしそれは、国家が設置し予算を出す大学の中で人事を守る自治であり、国家や政権以上に長く続き、一定の財政的な自律性を保つ諸外国の『大学』の自治とは異なるものでした。1933年の滝川事件では、文部省が京都帝国大学の教授を休職処分とし、その限界が示されています。
大学令は私学を大学にし大学を企業の人材供給源にした
1918年の大学令は、公立・私立の大学を認め、慶應義塾や早稲田などが大学となりました。企業が大学卒業生を一括採用する慣行が定着し、大学は企業のホワイトカラーの供給源にもなります。それでも教養教育は旧制高校、教員養成は師範学校、職業教育は実業専門学校が担い、1917年には理化学研究所(理研)が大学の外に作られました。一方で大学の中に研究機関を置く附置研究所も始まり、外に置く動きと内に束ねる動きが並行していました。
戦時の科学動員が大学に研究成果そのものを求めた
1939年、現在の科研費の前身となる科学研究費交付金が作られ、附置研究所と理工系の定員が拡充されました。国家は大学に、人材だけでなく技術開発の成果そのものを求めるようになります。
1943年の学徒出陣では文科系学生の徴兵猶予が停止される一方、理工系と教員養成系の学生は猶予されました。このとき刻まれた文系と理系への期待の非対称や理系文系の分け方は、現在までつながっているようにも見えます。
1949年の新制大学は機関の種類を一つに収斂させた
戦後の1949年、米国を手本に新制大学が発足し、旧制高校、師範学校、実業専門学校がすべて大学に吸収されました。一府県一国立大学の原則のもとで、教養教育、教員養成、実務教育、地域振興という、戦前は大学の外に分散していた機能が一つの組織に束ねられたわけです。フランスもドイツもアメリカも複数の種類の機関を保ち続けたなかで、日本だけが高等教育の形をほぼ4年制大学に収斂させました。
自治の面では、憲法第23条が学問の自由を保障し、1949年の教育公務員特例法が教授会に教員人事の権限を与えました。戦前の慣行が法に書き込まれた一方で、財源は国の予算に頼るままでした。
高度成長期に大学の実質的な機能は選抜になった
高度成長期には理工系の定員が拡大され、進学率は1960年の約1割から1970年代半ばには4割近くに達しました。企業は入社後にOJTで育てる前提から、大学での学びより、どの偏差値の大学に合格したかを採用の基準にし、大学の実質的な機能は入口での選抜のシグナルに絞られていきました。産業の応用研究は企業の中央研究所が担い、大学が経済成長を牽引することはあまり求められませんでした。このときに大学の外に作られた数少ない教育機関として、高専(1962年)と専修学校(1976年)があります。
1990年代に日本は長期の研究と早い実用化を同時に大学に求め始めた
1991年の大綱化で教養部が解体され、大学院重点化が進み、1995年の科学技術基本法で、基本計画による科学技術政策の展開が始まりました。ほぼ同時に、1998年のTLO法、1999年の日本版バイ・ドール制度、2001年の「大学発ベンチャー1000社計画」で、研究成果を早く産業化せよという要請も重ねられます。米国が時間をかけて定着させた産学連携の枠組みを、日本は基本計画による研究支援の拡充とほぼ同時に一挙に導入し、特許出願や大学発ベンチャーの数を大学の成果として数えるようになりました。この背景には、バブル崩壊後の企業の中央研究所の衰退があり、企業が担っていた長期開発の負担が大学に移されてきたと考えています。
法人化以降大学は機能を足され続けている
2004年、国立大学は英国のNPM (New Public Management) を取り入れた国立大学法人に移行しましたが、運営費交付金は毎年ほぼ1%ずつ削減され、競争的資金で補う構造に変わりました。その後も、専門職大学院、教育基本法への「社会貢献」の明記(2006年)、国立大学の3類型の重点支援枠(2016年)、国際卓越研究大学と大学ファンド、地方創生、リスキリング、起業家育成、経済安全保障、修学支援新制度の要件対応と、機能は足され続けました。不要になった業務を廃止する引き算は、実質的に行われていません。
自治の形も変わりました。法人化で国立大学は法人格を得ましたが、中期目標は文部科学大臣が定め、交付金の削減と競争的資金への移行によって、国の関与はむしろ評価と資金を通じて強まりました。2014年の学校教育法改正では、教授会は学長が決定する際に意見を述べる機関と位置づけられ、2023年の国立大学法人法改正では、規模の大きな国立大学に学外者を含む運営方針会議が置かれることになりました。

大学の外に生まれた学校と研究所は吸収されるか周縁に置かれてきた
大学の外に生まれた機関の多くは、大学に吸収されるか周縁に置かれてきました。工部大学校は帝国大学に、旧制高校や師範学校は新制大学に吸収されました。理研は戦前に「理研コンツェルン」として事業化に成功しましたが、戦後の財閥解体で産業の基盤を失いました。高専、放送大学、大学共同利用機関なども役割を果たしながら、4年制大学に代わる選択肢にはなりませんでした。
政策の知も、大学の外の独立した研究機関にはあまり育ちませんでした。日本では、大学の教員が個人として省庁の審議会や有識者会議の委員となる形が主な経路でした。企業系のシンクタンクや総合研究開発機構(NIRA、1974年)はありますが、米英のような独立した非営利のシンクタンクの厚みはありません。大学と産業界の距離も、「産学協同路線反対」が叫ばれた大学紛争期から、スタートアップ創出が注目される現在まで、政策によって両極端に揺れてきました。
日本の大学の類型は生まれた時代ごとに分かれている
| 類型 | 主に形成された時代背景 |
|---|---|
| 研究大学(旧帝大等) | 1886年の帝国大学令と帝国大学網の整備 |
| 地方国立大学 | 1949年の新制大学(一府県一国立大学の原則) |
| 大規模私立大学 | 1918年の大学令と高度成長期の大衆化 |
| 中小私立大学 | 1990年代以降の設置基準の大綱化と規制緩和による新設 |
| 公立大学 | 戦後の自治体による設置と、近年の私立大学の公立化 |
問題は、これらの類型が役割の違いではなく、論文数と入試偏差値という同じ物差しによる序列として固定されてきたことです。2005年の中央教育審議会答申は大学の機能を7つに整理して各大学に選ばせようとし、2016年の3つの重点支援枠も役割を選ばせる試みでしたが、分化は進みませんでした。類型が序列として受け止められている限り、下位に見える機能を自ら選ぶ動機がない、というのが一つの理由でしょう。論文数や偏差値という少数の分かりやすくモノサシは、在り方の多様性を消してしまうとも言えます。
多機能化の代償は評価の食い違いと選択肢のなさだった
あらゆる役割を束ねてきた代償は主に2つにまとめられると思います。1つは、期待と評価の食い違いです。長期的な基礎研究を期待されながら、特許数や大学発スタートアップ数といった短期の成果でも評価され、時間軸もリスクも違う要請を同じ研究室と教員が一つの評価制度のもとで引き受けています。もう1つは、選択肢のなさです。機関の種類は4年制大学に、資金の出し手は国に、評価は論文と外部資金に、キャリアは大学教授への一本道に偏り、一度つまずくと逃げ場がありません。
研究力低下の主因として、長期的に研究できる余白の喪失がよく挙げられます。しかし私は、時間軸の短さは原因というより結果ではないかと考えています。講座制の身分保障は長期研究を育んだ一方で閉鎖性も生みましたし、米国でも研究費の大半は3〜5年周期の競争的資金です。
より深い要因は、性質の異なる期待を一つの評価枠組みに押し込め、しかも外に選択肢が乏しい、逃げ場のないバンドル構造にあるのではないか、というのが本稿の仮説です。
| 直面する課題 | 日本で深刻な打撃となる構造的要因 |
|---|---|
| 進学人口減と定員割れ | 機関の種類が大学に一本化され、大学の撤退が地域の高等教育の喪失に直結する |
| 院生・若手依存の研究体制 | 講座制が研究の基本単位で、専任チームの研究組織を新設することが難しい |
| 教員の研究時間の減少 | 研究、実用化、経営、入試、学生指導が同じ教員に積み重なる |
| 雇用流動化と学び直し | 大学の機能が入試選抜に偏り、卒業時や社会人向けの能力証明が未成熟 |
| 財政制約とインフレ | 資金源が国庫と家計に偏り、民間財団や寄付の層が薄い |
日本は大学を輸入したが大学の外側を輸入しなかった
日本の大学史を振り返ると、帝国大学や新制大学のように、機能を一つの組織へ束ねる力が一貫して強く働いてきました。大学の外に生まれた組織は吸収されるか周縁に追いやられ、機能は引き算のない足し算で膨らみ続けてきました。国家、企業、家計、地域と、大学に期待する主体が入れ替わるたびに、過去の期待が清算されないまま要求が積み重なってきた経緯もあります。さらに、日本が海外の制度を取り入れる時期は、本国でその限界が見え、見直しが始まる時期と重なる傾向も見られます。
そして同じような弱点として、日本は大学という制度を輸入しましたが、大学の外側を輸入しなかった 、という面があります。第IV部の各国の節の末尾で見たように、日本が取り入れなかったものの多くは、フランスのグランゼコールとCNRS、イギリスの緩衝機関、ドイツの研究所群と専門大学、アメリカの財団、シンクタンク、コミュニティ・カレッジのように、大学と並んで大学の外側に置かれた機関や仕組みでした。
日本にも、理研、産総研、大学共同利用機関のような外側の機関はあります。しかしその多くは国が設けた少数の種類にとどまり、新組織の参入、リーダーへの予算・人事裁量の付与、期限後の人材と成果の継承、所属を問わない設備の共用、大学と外部の行き来は難しいままでした。日本が輸入しなかったのは、外側の多様さと開かれ方だったと言えます。そのため、本来は外に置かれるべき機能まで大学が抱え込んできました。担い手と資源が細り始めたいま、日本の大学が身動きのとれない大きな要因は、この外側の乏しさにあると考えています。

第VI部 次の80年に向けて大学の役割を仕分け大学の外側を構築する
ここからの提案は、大学をアンバンドルする、つまり大学に託す仕事と外の組織に委ねる仕事を仕分け、大学の外側に多様な受け皿を作ることに集約されます。

80年先の最終形は描けないからこそどの未来でも外れない選択をする
本稿では冒頭に、明治維新から戦争までの80年、戦後の80年、そしてこれからの80年というスパンで見ていくことを話しました。
今後80年を見据えたとき、人口については確度の高い予測があります。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、日本の総人口は2070年に約8,700万人、2120年に約5,000万人になるという推計です。現在の半分以下の人口で、研究や大学を支えていく時代が、80年後には待っているということです。
一方、AIが研究をどこまで自律的に進めるようになるかは予測しにくいままです。資金の面でも、科学技術関係予算は2000年度の約1.5倍になりましたが、論文の国際指標は好転していません。条件を揃えた比較ではないので増額が無効だとは言えませんが、額を増やすだけで解決するとも言い切れません。
こうした不確実さのもとでは、80年後の完成図を描くより、どの未来でも価値を失わない選択に力を注ぎ、不要な規制や所属要件を外して、小さく多様な実験を積み重ねるほうが賢明だと考えています。
どの未来でも大学に残る4つのコア事業
どの未来でも大学に残る核は、次の4要素だと考えています。即効性を求めない長期の問いに向き合う探索、主張や実験結果の確からしさを専門家共同体が吟味する検証、知識、文献、標本、データを散逸から守り次代へ引き渡す継承、そして先達や同世代との対話と共同生活を通じて、答えのない領域に自前の問いを立てる力を育てる問いを立てる人の育成です。
第II部で見たように、AIが大量の仮説や論文草稿を出力する世界では、何が信頼に値する知見かを判定し保証する共同体の役割、とりわけ検証の責任が重くなると考えています。

大学に託す仕事と外の組織に託す仕事を分ける
第V部で示した仮説に立てば、機能不全の根は、不確実な長期の探索と、納期と成果を求められる産業実装を、一つの組織と一つの評価枠組みで抱えてきたことにあります。そこで、仕様と納期に責任を負う技術開発や基盤ツールの構築は、FROのような外の組織に委ね、合意した成果物を納めたかで評価します。
同じ仕分けは研究以外にも当てはまります。教育では入試難易度ではなく卒業時の能力証明を重んじ、地域貢献では教員や医療人材の養成を、自治体との間で期間、予算、達成基準を定めた委託契約として引き受ける、などです。
仕事をその性質で仕分ける
仕分けの基準の一つは、探索と統合の区別です。大学の強みは個々の研究者が一つの問いを何十年も追えることで、弱みは多分野の専門家を大人数集めて一つの工学的目標へ統率することです。個人の功績を誘因の基盤とするアカデミアでは大規模なエンジニアリング・チームを長く維持できない、とラインハートは指摘します。
もう一つは、着想を得る研究と成果を納める研究の区別で、次の3つの問いで見分けられます。
- 成果物の仕様と納期に厳格な責任を負う必要があるか —— Yesなら、研究室とは別の体制と評価で担います。
- 複数分野の専任の専門家を長期に統合する必要があるか —— Yesなら、研究室の外の専任チームの仕事です。
- 大学院生が研究の実務に参加することに、確かな教育的意義があるか —— Yesなら、大学の研究室の仕事です。
ただし、評価や体制を分けることと、別の法人にすることは別の判断です。研究室の外に置く方法には、専任の職員と別の評価をもつ部門を学内に作る、大学共同利用機関や技術研究組合のように複数の機関で共同運営する、FROや独立研究所のように別の法人にする、の少なくとも三つがあります。
研究データの基盤のように、大学院生が作り方を学ぶ意義と専任の技術者による保守の必要が併存し、問いの答えが衝突する仕事は、学内の部門か共同運営の組織に置き、大学院生はそこで研究に参加する形が考えられます。法人まで分けるのは、学内や共同運営では必要な裁量や雇用を確保できないときに限るのが妥当です。大学が全額を出資して経営を握る子会社では、給与体系や人事が大学の規則に準じやすく、法人を分けた意味が薄れる点にも注意が必要です。
教育でも、体系的な講義は大学間の単位互換やデジタル講義に集約し、キャンパスには少人数で問いを立て、原典を批判的に読んで議論するゼミナールを残せます。ここまでの仕分けは主に理工系を念頭に置いたもので、人文・社会科学については次の三つの節で考えます。
人文・社会科学を外に出すなら自立できる財源と統治を先に作る
人文・社会科学で外に出しうるのは、政策の分析や評価、社会調査のデータ基盤、史料の保存と公開、市民の学び、翻訳や出版といった、政府、自治体、企業、市民という外の需要がある仕事です。一方で、理論研究、批判的な研究、長期のフィールドワーク、古典語や古文書の読解のように、市場に任せれば消えてしまう仕事もあります。そこで、需要のある仕事は外に出して自立の基盤を整え、市場で成立しにくい仕事は大学に残して公共財として予算で守ることなどはできるかもしれません。外に出した組織が、需要のある仕事の収入で需要のない研究を支えるという、大学と同じ内部補助に頼らないためです。
外に出した組織の財源は、一つの出し手に頼らない四つの層で組み立てることを考えても良いでしょう。緩衝機関を通じた複数年の運営費や基金による基盤、大学図書館や自治体などの会費による共同負担、フルコストで価格を設定した受託や出版による事業、資金源を公開し寄付者が結論に関与しない寄付です。財政的な独立や自律とは、どこからも資金を受けないことではなく、どれか一つの出し手を失っても、その意向に逆らっても、活動を続けられることだからです。
社会科学の政策知を審議会の外に開きシンクタンクとして切り出す
第V部で見たように、日本では社会科学の知が政策に届く主な経路は、教員が個人として審議会の委員になることでした。分析の多くは事務局の省庁が用意し、分析を専門に担う組織には安定した財源も独立性もありませんでした。
外に切り出す仕事の一つ目は、政策の分析と評価です。英国は2011年、教育省の拠出で教育寄付財団(EEF)を作り、教育施策の効果を独立に検証させました。日本でも、一定規模以上の政策事業には予算の一部を独立した評価に充て、その発注を所管省庁ではなく緩衝機関に委ねることなどはできるかもしれません。評価される省庁が評価者を選ぶ利益相反をなくし、外の評価機関に安定した需要を生むためです。審議会は利害を調整し合意を作る場として残し、根拠となる分析は外の組織に任せる、といった分担も可能でしょう。
二つ目は社会調査のデータ基盤で、そのたびの科研費に頼ってきた長期調査を常設の基盤とし、データの提供はミシガン大学のICPSRのように利用機関の会費で賄います。三つ目は独立したシンクタンクそのもので、公的資金を受ける条件として、財源の分散、資金源と分析手法の公開、委託者が結論に介入できない公表権の確保を求めます。
一方、政策の需要に合わない理論研究や批判的な社会学は、大学に残して公共財として支えたほうがよいかもしれません。第II部で見たように、資金の出し手の圧力は研究課題の選び方を変えうるからです。
人文学は大学に残る核の中心に置き直し外側の担い手とつなぐ
文献や史料を読み解き、言葉と概念の意味を確かめ、それを次の世代に手渡すという人文学の中心の仕事は、大学に残る4つの核、とくに検証と継承そのものです。古文書や古典語の読解のように身につけるのに長い年月がかかる技能は、大学が職を保障しなければ途絶えます。AIが大量の文章を生み出す時代には、文章の出所、文脈、意味を批判的に吟味する技能の重みはむしろ増すでしょう。
ただし、人文学の研究は内部補助の余りで支えられてきた面があり、収支を透明にすれば真っ先に削られかねません。大学の中の人文学は明示的な予算で支え、史料の整備、校訂、翻訳、長く読み継がれる著作を、専門家のピアレビューで評価する必要があります。
そのうえで、人文学の活動の場と財源を大学の外に広げることはできます。江戸の私塾や蘭学がそうであったように、いまも図書館、文書館、博物館、出版社、学会、在野の研究者が人文知を支えています。地域の博物館や文書館に研究職を置くことや、英国のオープン・ライブラリー・オブ・ヒューマニティーズのように大学図書館の会費で学術誌を無料公開すること、遺贈などを受け入れる地域人文基金を置くことが考えられます。寄付から基金をつくり、その運用益で継続性を担保することなども可能なはずです。
大学は専門家を育て、職を保障し、質を判断する核であり続け、外の担い手は人文学の活動の場と財源を広げます。人文学自体を守ることと、人文学を大学の中で守ることは別の問題として捉える必要があるように思います。
大学の外側の生態系を描く
ここまでに仕分けた仕事の受け皿として、次のような分業を描けます。
| 担い手 | 主なミッション |
|---|---|
| 研究大学 | 長期的な探索、検証、後進研究者の育成 |
| 地域の大学連合体 | 地域の人材養成、インフラと事務の共同保有 |
| 教育特化型大学 | リベラルアーツ教育、社会人の学び直し |
| 外部の専門研究組織 | 目標と期限を定めた技術開発・ツール構築 |
| 独立系政策シンクタンク | 政策分析と評価、社会調査のデータ基盤 |
| 産業界主導の教育機関 | 実務技能の訓練と能力認証 |
| 人文知のアーカイブと市民の学び | 史料の保存と公開、生涯にわたる教養教育 |
| 共用の研究基盤 | 大型設備、計算資源、データを所属を問わず提供 |
| 自律的な緩衝機関 | 政治的な干渉を排した研究資金の配分・評価 |
| 人材流動化の基盤制度 | 大学と外部組織を研究者が行き来できる雇用環境 |
短期的に作っていくとしたら、目標を定めて先端開発を進める外部の専門研究組織(FROなど)なのではないかと思います。とはいえ寄付文化が成熟していない日本では、産業界のコンソーシアムと政府資金がマッチングファンドで出資する日本版FROが現実的です。ただし、その財源を大学の基盤的経費を削って捻出するのは避けるべきでしょう。
大学の類型ごとに異なるアンバンドルのあり方
とはいえ、一律のアンバンドルは適用できません。第V部で見た類型ごとに、選びうる方向の例を挙げます。
- 研究大学は、方向の定まった技術開発を日本版FROなどへ移し、探索、検証、若手の育成に集中します。
- 地方国立大学は、地域の人材養成を保ちつつ、施設、事務、基礎的な講義を近隣大学との大学連合体で共同保有します。
- 大規模私立大学は、大人数の講義をオンラインの共有基盤へ移し、少人数ゼミ、コーオプ教育、社会人の学び直しに資源を振り向けます。
- 中小私立大学は、連携や分野の転換を試みつつ、撤退する場合に在学生の学びを保証し、キャンパスを転用する道筋を描いておきます。
- 公立大学は、設置自治体との近さを生かし、地域の政策課題を分析する機能を持つ道を選べます。
これらは国が上から割り振る処方ではなく、各大学が自らの歴史と強みから方向を選ぶための選択肢の例です。
国際競争力を順位ではなく世界の研究をつなぐ力で測り直す
人口と研究開発投資の規模で大きな差があるなか、論文の量で米中と競うのは、日本にとって勝ち目の薄い消耗戦だと言わざるを得ません。そこで国際競争力を、論文ランキングの順位から、世界の知のネットワークをどれだけ深く、代わりのきかない形で結びつけているか(結節点の力) へと測り直すことなどです。国際共著や研究人材の循環、SPring-8のような共用施設や長期の記録の国際利用といった指標です。この物差しで見ると、日本が培ってきた長い観測、コホート追跡、史料や標本の保管は、他国がまねしにくい強みに変わります。ただし、競争力の物差しと、市民を育て地域の知を受け継ぐ公共性の物差しは、別の評価軸として扱うべきです。
アンバンドルは新しいジレンマを生む
アンバンドルは矛盾を消すのではなく、組織の内部にあった矛盾を、組織と組織の間の調整の問題に置き換えるものとも言えます。最大のジレンマは、長期の探索研究を大学に純化させると、産業界のニーズから離れ、支持基盤を失いかねないことです。このほかにも、次のようなジレンマがあります。
| 制度的ジレンマ | 衝突する二つの価値 | 克服に向けた方向性 |
|---|---|---|
| 余白か説明責任か | 余白を無条件に認めると怠惰になり、説明責任を厳しくしすぎると長期の賭けができない | 余白は講座でなく個人に与え、節目の事後ピアレビューで評価する |
| 開放か経済安全保障か | オープンな研究が技術流出防止の要求と衝突する | 機微な研究は大学外の管理された機関に集め、大学は原則オープンな場として守る |
| グローバル化か母語の知か | すべて英語化すると、日本語の思索や市民向けの教育が痩せる | 大学院と先端研究は二言語、学部の教養教育や社会人教育は日本語を基盤にする |
| 構造改革か移行コストか | 改革を急ぐと既得権、破綻、地方経済への打撃など摩擦が大きい | 新しいルールは新規採用者から段階的に適用し、経過措置を用意する |
内部補助の扱いも移行の条件になります。本稿は内部補助を明示的な公共財への直接予算に置き換えることを求めますが、その財源が確保されるまでは内部補助を解体しません。研究を大学から切り離しても成果が出るとは限らない、という懸念も当然です。ラインハート自身、プリンストン高等研究所などは創設初期を除けば期待ほどの成果を生み続けてはいないと評価しています。
再びバンドル化が進むことを見越した再アンバンドルの設計
歴史が示すように、いま機能を切り離せても、時間がたてば新たな要求がまとわりつき、再び束ねられていくことは確実でしょう。目指すべきは一度限りの完璧なアンバンドルではなく、バンドルが再び膨らんだときに切り分け直せる仕組みを、あらかじめ制度に組み込んでおくことだと考えています。
新設機関には10〜15年程度のサンセット条項を課し、期限が来たら延長、解散、別組織への引き継ぎのどれにするかを評価して決めるなど、工夫はできます。データや史料の保存を担う機関は、恒久的な組織として別に置いたり、大学本体に新機能を課す政策には定期見直し条項を組み込み、新しい役割を求めるときは既存の義務のどれを廃止するかを同時に決める「1機能追加につき1機能返上」を原則にするなども対策として考えられます。
第II部で見たHAAも、学位を出さない身軽な学校として発表されながら、2028年からは伝統的な私立大学並みの授業料の2年制プログラムを始める計画です。評価が高まれば、修了証明や寮や研究機能を求められ、再バンドル化の道を歩む可能性は十分にあります。外側を作る側にも、自らを切り分け直せる設計が必要です。
次の80年を三つの時期に分けて進める
次の80年を一気に設計することはできず、漸進的に進んでいくことになるでしょう。そのときどのように進めば良いのか、たとえば以下のような進み方があるのでは、と思います。
第一期(2026年〜2040年):整理と実験の時期
18歳人口の減少が最も急な時期に、規制や所属要件を緩めて実験していきます。優先課題は、日本版FROの創設、政策評価枠と地域人文基金の試行、中小私立大学の撤退・転用モデルの構築、共用計算資源とデータ基盤の整備です。成果だけでなく、総費用や、同じ額を学内の改革に投じた場合との比較も記録し、次の判断材料にします。
第二期(2040年〜2070年):再編と定着の時期
実験を検証し、成功したモデルを恒久化し、機能しなかった試みは撤退させます。独立研究組織、シンクタンク、実務専門の学校、人文知のアーカイブといった外の受け皿が、社会の中で厚みと信頼を得ている状態を目指します。
第三期(2070年〜2100年代初頭):定常の時期
人口減少が落ち着くなかで大学と外部機関の分業が安定し、時限性や定期見直しが当たり前の手続きになっている状態を目指します。
三つの時期を通じて守る原則は、大学の規模や数より知の結節点としてのつながりを優先すること、機能を切り離す前に外の受け皿を整えること、長期の余白を組織ではなく人に与えること、定期的な再アンバンドルをあらかじめ組み込むことなどです。ただし現時点の一案であって、今後私の考えも変わる可能性は十分にあります。
終章 アンバンドルを経て大学は初めて自律的な目的を持つ機関になる
大学の意味を位置づけ直す
1886年の帝国大学令が大学の目的を「国家ノ須要ニ応スル」ことと定めて以来、日本の大学の目的は、国家の必要、企業の選抜、家計の上昇志向、地方創生やイノベーションの要請と、外から与えられ続けてきました。目的を外から与えられる組織の価値は、課された目標をどれだけ満たしたかで決まり、評価指標が増えるほど、大学の日常は探求から離れていきます。
雑多な機能を外の専門機関が分担するようになれば、大学には自ら目的を選ぶ余白が戻ってきます。その目的とは、暫定的ではありますが、問いを立てる人を育て、新しい知を探り、その知を批判的に確かめ、世代を超えて長く保全することだと考えています。
教育の場としての大学は、18歳で一度だけ通過する場ではなく、人生の中で何度でも立ち戻れる知の港になっていくでしょう。組織としての大学は、独立研究組織、シンクタンク、自治体、図書館や博物館、市民の学びの場と連携する、外の多様な知の担い手をつなぐハブにもなります。慶應義塾の「独立自尊」や早稲田大学の「学問の独立」のように、国家の要請とは別の場所に学問の拠点を築こうとした私学の建学の精神は、日本の高等教育全体の道標になるのかもしれません。

まとめ

本稿の主張は、大学をアンバンドルすることは、大学の外側を作ることだというものです。
ブッシュ報告から80年、科学技術政策は、大学の基礎研究に資金を投じれば成果はいずれ社会に還元されるという前提で進められてきました。いま世界では、FROやARPA型組織、財団の資金、AIによる研究、新しい学校など、大学の外に選択肢が立ち上がっています。一方の日本は、担い手の先細り、進学人口の急減、財政の逼迫に直面しながら、外の受け皿が乏しいまま既存のバンドルが崩れかけています。各国の大学はどの時代にも大学の外側に知のエコシステムを並べてきましたが、日本は大学という制度だけを輸入し、外で担われるべき期待まで大学に抱え込ませてきました。
次の80年に向けて取り組むべきは、大学に託す仕事と外の組織に委ねる仕事を仕分け、大学が独占してきた設備、資金、地位、組織構造を開いて外側を作り、再び膨らんだときに切り分け直せる仕組みを組み込むことです。大学の自治は、財源の分散、緩衝機関、役割の限定によって支え直します。そうすることで、日本の大学が自らの目的を追求できる条件が広がると考えています。
次の80年は、いまキャンパスで学び、教壇や研究室で働く若い世代が人生の大半を過ごす時代です。そもそも大学は社会の中でどのような役割を果たしており、どの仕事を大学に残し、どの仕事を外に委ね、どんな外側の生態系を作っていくのかという制度設計を、大学の内側にいる人と外側の挑戦者たちとが対話しながら進めるきっかけに、本稿がなればと願っています。