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シリコンバレーという答えから離れるとき

いま、海外のスタートアップやテクノロジーの思想が日本に次々と入ってきています。

PayPalの共同創業者であるピーター・ティールが現代アメリカを理解するキーパーソンだと繰り返し紹介され、昨今では『テクノロジカル・リパブリック』も話題となりました。そして国家とテクノロジー企業の関係についての論考も多く紹介されています。

日本はシリコンバレーから様々なものを輸入しています。たとえば2010年代に輸入していたのは、シリコンバレーで語られる未来予測のナラティブや、先端的なエンジニアリングのプラクティス、そしてリーンスタートアップやデザイン思考やOKRといったビジネスの方法論などです。

そして2020年代後半の今、入ってきているのは、テクノ楽観主義や効果的加速主義、暗黒啓蒙といった思想群と、国家、防衛、統治にかかわる事業です。

振り返ってみれば、2010年代、シリコンバレーは少し先の未来がある場所として扱われ、様々な事業が「シリコンバレーという答え」を参照して、その答えの中で使えるものを使う、という形で動いてきました。しかし桁違いの資本を持つようになり、中身も変質していくシリコンバレーを見ていると、もうそれはできないし、そうすべきでもない、とも感じています。

そうした意味で、「シリコンバレーという答えから離れるとき」がやってきたのかもしれません。

もちろんシリコンバレーの技術や事業から学ぶべきものは、今も多くあり、これからも参照はし続けるべきでしょう。そこで頑張る人たちを否定する気はありません。資本主義の競争から降りるべきでもないと思います。

しかし日本全体として考えたとき、シリコンバレーの事業、つまりそこで立てられた問いと、その問いに対する答えを一組のものとして受け取り、そのコンセプトや事業そのものを日本でも参照すべき答えとみなすことは、もう難しくなりつつあるのではないか、と感じています。

2010年代の前提が崩れつつある中で

2010年代まで、多くの事業体は、思想を意識せずに済む自由市場で活動していました。その時代には経済と政治が基本的には分離されているものであり、そうあるべきだと考えられてきたように思います。

しかしその分離の前提には、暗黙的に自由市場とグローバリゼーションの価値観(いわば新自由主義的な価値観)が共有されていました。そうした前提が現在うまくいかなくなり、各国の内政が不安定になってきていることから、様々な変化が起きています。たとえば、急進右派や急進左派と呼ばれている政治団体の台頭や、各国での産業政策や関税などです。そうした動きを受け、政治と経済が再び融合しつつあるように見えます。

徐々に市場の構造が変わりつつあるなかで、国内外のスタートアップが注目する事業もまた移り変わりつつあります。冒頭の防衛などがその一種です。

一方で、2010年代に高まった「スタートアップ」への注目をうまく使い、国家や統治にかかわる思想やナラティブが日本へ入りつつあるように思います。

スタートアップは海外の技術と資本の言葉を早く受け取り、それを「次に来る市場」として紹介し、投資と起業を通じて正統化するような機能を持っています。言い換えれば、その動きを感知する最前線にいるということです。

これまでは、シリコンバレーが示す未来像の中から、日本で使える技術や方法論を選び取ることができました。問いを立てるところから始める必要は、少なくとも今ほど強く意識されていなかったのだと思います。

実業を伴って入ってくる思想

その文脈でPalantirと『テクノロジカル・リパブリック』を見ると、それは単なる事業でも、また単なる思想書でもないように見えます。

著者の一人でPalantirのCEOでもあるアレックス・カープは、米国とその同盟国が優位を保ち自由を維持するために、ソフトウェア産業がAI開発競争を含む国家的課題へ向き直るべきだと論じ、そのうえで日本を含む各国で事業を展開しています。Palantir自身も、2025年の米政府への政策提言で、自社の仕事を米国の国益とその文明を支えるものと位置づけ、米国がAIの国際的な議論と制度形成を主導すべきだと主張しています。

従来のスタートアップシーンや思想シーンとは異なり、「技術と事業という実体を持った思想」が今、安全保障をテーマに、哲学などの人文知・教養をまとった形で入り込みつつあるということです。

Palantirという1社だけが特別というわけではありません。a16zのAmerican Dynamismも、防衛、公共安全、製造、教育など、米国の国益に関わる領域を投資対象として明示しています。そしてそうしたVCから投資を受けたAndurilなども日本に入ってこようとしています。つまりこれは、思想、企業、資本、国家政策が接続された動きだということです。

表面的かつ第一義的には、それはどの技術やサービスを採用するかという問題です。しかしこうした事業群は、「なぜそれをやるのか」という規範的な世界像から丸ごと束ねて供給されてくるように見えます。 そのため、それらの技術やサービスを採用すると、その裏にある思想や統治の方法が、調達や運用の前提として同時に入ることがあります。

もちろん、防衛力や抑止力の観点で、それを採用せざるを得ない部分もあります。しかしその場合でも、そうしたサービスの機能を選別して、どこまでを受容し、どこまでを拒否するのかを、ある程度の価値基準に照らして考えなければなりません。ただ、それらは日本の思想を実装へつなぐ回路の空白を突くような形で入って来ようとしており、油断していると無自覚にその思想を全面的に受容してしまうのではないか、というのが昨今の危機意識です。

米国では思想・資本・政策が合流して力を形成

特に米国のテクノロジー思想を特徴づけるのは、その経路です。米国では、大学、政府研究費、財団、シンクタンクといった、問いを自分で立てる組織が国家と市場のあいだに確保され、競争しながら思想を鍛え上げていきました。その上で、近年はVCの存在感が高まってきました。

VCは、将来像を投資テーゼへ変換し、それを物語として語ることで資本と人材を集め、配る組織です。

それだけではなく、a16zは、資金を配ることに加えて、メディアを持ち、本を出し、採用を支援し、政策へ働きかけることまでを同じ組織に持ち込みました。投資仮説を公開することで、有望な創業者、専門人材、LP、共同投資家を特定の領域へ集め、投資先が属する市場そのものを形成しようとします。将来像の翻訳と、資本の配分と、発信が、同じ主体によってなされつつあるのです。

この発信は、単なる広報ではないと見た方が良いでしょう。マーク・アンドリーセンは、クランとサンスティーンが提唱した「アベイラビリティ・カスケード」という概念を使って、自らの発信戦略を説明しています。ある話題は、語る人が増えるほど重要で確からしく見え、それがさらに語る人を増やします。クランとサンスティーンは、この自己強化の仕掛け役を「アベイラビリティ・アントレプレナー」と呼びます。

アンドリーセンはこの概念をスタートアップ創業者にも当てはめ、社会の注目の焦点そのものを設計しようとします。シリコンバレーからの未来予測の輸入は、日本がこのカスケードの下流に位置してきたことの、一つの現れとして取れますし、現在進行形で起こっている防衛テックの日本での受容などもその一種とも見えます。

ここまでの思想と資本と発信の関係を図にすると、次のようになります。

ただし、思想が先にあり、資本がその思想に従ったという単純な順序ではありません。

米国では、大きくなった資本が、その資本のリターンを得るために、自分と同じサイズの大きな将来像やストーリーを必要としました。1兆円のファンドを作れば、時価総額10兆円や100兆円の規模になりうる事業とストーリーを必要とします。その結果、国家や人類規模の課題と接続せざるを得ません(この往復は以前「カルチャーとファイナンスのあいだの振り子」として書きました)。

つまり、思想が資本を動かしただけでなく、大きくなった資本もまた、大きな思想を必要とするようになったとも言えます。ある意味で、「思想の資本主義化」が起こったと言えるでしょう。

投資から政策関与までを少数の組織が担う現在の米国の状況は、この延長線上にあると見ることができます。バイデン大統領が退任演説で「オリガーキー(寡頭制)が形成されつつある」と警告したのも、こうした状況に対してでしょう。

ただ留保を1つ加えておきます。a16zやティールは米国VCの平均ではありません。私の知る範囲では、他の国に、投資テーゼを超えた思想を書き広めるVCはほとんど見当たりません。だからVC全般が危険だと言いたいのではありません。

ただしVC資金がそうした一部の力を持つファンドへ集中する構造はあり、2025年には上位10ファンドが米国VCの調達額の32.9%を占めました。特異なのは思想を資本の回路へ組み込み、その一部が膨張している米国のほうです。そしてだからこそ、書かれた思想は、大きな資本力を持って、他の国の思想にはない実装の力をまとって入ってきます。

そして米国側では、思想を書く人、資金を配る人、企業を作る人、製品を導入する人、政府へ政策を提案する人が接続し、様々な「成功した創業者」という具体例があるからこそ、その思想が説得力を持っています。

なお、米国の思想がすべて悪いと考えているわけではありません。問題は、それを日本が無批判に受け取ることにあります。

現在の米国で生まれているテクノロジー思想は、米国固有の政治、産業、安全保障上の問題への回答でもあります。その思想を受容するということは、提示された答えだけでなく、その答えが前提としている問題設定、制度、優先順位まで取り込むことです。その選択肢が日本にも有用である場合はあります。しかし、米国固有の問題への回答を、前提ごと輸入してしまえば、日本の条件には合わない判断基準まで受け入れかねません。

論評だけでは動員や判断を止められない

ここで受容の様式を2つに分けておきます。思想を理解し、位置づけ、批判して完結する受容を「論評的受容」と呼び、思想を自分の意思決定の前提に組み込む受容を「実装的受容」と呼びます。同じ本を読んでも、書評を書くのが前者、投資テーゼや事業計画を書き換えるのが後者です。

ティールや加速主義への日本の反応は、書評、解説、警告という論評的受容でほぼ終わっています。これは能力の欠如ではなく、むしろ批評の伝統が育てた論評の能力の高さの現れでしょう。

しかし論評は選別の第一歩であって、選別の軸そのものではありません。「で、あなたはどうするのですか」「私たちはどうするべきなのですか」という問いに対して、論評や分析はヒントを与えてはくれますが、答えてはくれません。しかもアベイラビリティ・カスケードの中では、批判もまた「語る人」の一人に数えられ、話題の重要性を高める側に回りかねません。論評だけでは、注目と資本の動員も、個々の導入判断も、止めることは難しいのです。

選別には、比較の対象が必要です。入ってくる思想が答えようとしている問題に対して、自分たちならどう答えるのかという対案があってはじめて、どの部分を受け入れ、どこからを拒否するのかを判断できます。対案がなければ選別は成り立たず、丸ごと受け入れるか、丸ごと拒否するかの二択に近づいていきます。

日本には豊かな批評や思想の語り手がいます。

しかしそうした語りの多くは、従来の批評や思想の領域の中にとどまり、技術、安全保障、産業といった、いままさに思想が実業を伴って入ってきている領域をまだほとんど覆えていません。出てきている担い手もごく少数にとどまっています。いま空白なのは、論評の能力ではなく、入ってくる思想と同じ土俵に立つ対案のほうです。

先ほど「思想を実装へつなぐ回路の空白」と書いたのは、この空白のことです。回路に載せるべき対案そのものが乏しく、そして対案を語る人と、調達し導入する人との接続もなければ、米国の思想そのものは論壇で批判されるものの、現場では無自覚に実装される、ということが起こりえます。

自分たちの価値基準と問いを持つ

したがって、思想の検討は事業や導入の後に行う批評では足りず、何を作り、何を購入し、どの能力を国内に持ち、どの判断を外国企業へ委ねないかを、事業と政策が固まる前に示す必要があります。また、論評にとどまらず、実体を持つ事業としての対案も増やしていく必要があるでしょう。

これは論壇だけの仕事でも、政府だけの仕事でもないでしょう。たとえば防衛やインフラの調達にかかわる組織は、海外製サービスのどの機能を受け入れ、どこからを拒否するかの選別基準を、導入の前に持ち、議論する必要があります。あるいは、対案となるような事業を作っていくことで、価値基準の違いを分かりやすくすることもできるかもしれません。

そのためには、米国から入ってくる答えを選別するだけでは足りず、日本側で、自分たちが直面している問題は何か、何を守り、何を変えたいのかという問いを、先に立てる必要があるでしょう。たとえば本来は社会保障などの問題を解くべきなのに、アベイラビリティカスケードによって別のところに過剰に注意が向かってしまったら、解くべき問題と資源配分を間違ってしまいます。持つ問いを間違えば、その答えの有効性は激減します。

自前の問いがあれば、海外から入ってくる技術や事業を、その問いに従って評価することもできます。しかし、日本にとって何が問題かを決めるところまで米国側に委ねてしまえば、日本側で問いを立てる力は育ちません。

シリコンバレーという答えから離れるとは、シリコンバレーから学ぶことをやめることでも、米国の技術や思想を単にすべてを拒否することでもないと思っています。そこで立てられた問いと答えを丸ごと受け取るのではなく、自分たちで問いを立て、その答えの一部としてシリコンバレーの技術や思想を選び直すことです。シリコンバレーが作ってくれた技術をうまく活かして、私たちの問題を解くことです。

それは論評的受容から実装的受容へ進むことであり、回路の空白を日本側から埋めていくことでもあると思っています。

そうした観点で、日本の国家や産業の構想・思想が今、必要ではないか、というのが現在の問題意識です。ひいてはそれは私たちが何者でありたいのかを考える機会ともなりうるのではないかとも思います。

問いを立てる場をどう作るかといった具体的な進め方については、稿を改めて論じたいと思います。

➡ 続きの記事として『テクノロジカル・リパブリック』が摩擦なく受容されやすい構造を書きました。


※ 前回の記事「スタートアップをとりまく思想」。本稿は同記事の続編です。本稿の校正等はAIを活用しながら行っています。