なぜ今、ビジネスのために思想を追うのか

かつて、事業環境の先読みに必要な材料といえば、技術と市場でした。いま、そこに3つめの変数として「思想」が加わりつつあるように感じています。
もちろん、それら以外にも政策や規制といった事業の変数もありました。変わったのは、個別の政策を追うだけでは足りず、その水源にある思想まで遡って見る必要が出てきたことです。
それは「人文知が教養として大事」「外国の人と会話するときに役立つ」という話ではありません。社会に通底する思想の変化が、規制や市場を通じて、私たちの実際のビジネスや生活に届きはじめているという、アクチュアルな問題からです。
身近な具体例を挙げると、「○○安全保障」という名のもとに様々な政策が打ち出され、ビジネスに影響を与え始めています。近年の保護貿易的な関税もそうです。こうした政策は、新たなビジネスの制約や物価に影響していたり、逆に新たなビジネス機会になっていたりします。
これらの政策群に共通するのは、短期的な価格効率などをあえて犠牲にしている点です。冷戦後およそ30年にわたり、多国籍企業と主要先進国の政策エリートの間で共有されていた「自由化と効率性」という経営・政策上の前提よりも、「自由や効率よりも大事なもの」が設定されつつあるということです。
かつては安定的で共有されていたこうした思想が、現在揺れ動きつつあり、変数として見ておかなければならないのではないか、というのが現在の認識です。
そしてこの動きが複雑なのは、現在、特定の一つの新しい思想が古い思想を上書きしつつあるというよりも、従来支配的だった思想の後継をめぐって、複数の思想が鬩ぎ合っているからです。
そう考えると、目の前の規制や市場の変化はあくまで表面的なもので、その裏にある地殻の動きを見なければならず、「社会が何を問題とし、どの成果を望ましいと考え、どの政策手段を正当とみなすようになっているか」といった思想的な地殻変動を見てみることが、中長期の事業戦略を考える上で改めて重要になっている。
思想から事業までの伝播
なぜ思想が事業にとって大事だと考えるのか、その理屈となる考え方として、スチュワート・ブランドが『The Clock of the Long Now』で示したペースレイヤーがあります。この見方では、人間の文明を、変化の速い順に、
- 流行
- 商業
- インフラ
- ガバナンス
- 文化
- 自然
という6つの層として捉えます。

Image: Jono Hey, Sketchplanations
速い層は試行と学習を生み、遅い層は記憶と安定を供給します。そして遅い層はめったに動きませんが、いったん動くと、その影響は速い層の全体に長く及びます。企業経営は、主に「商業」の層の速度で動いてきたと言えます。
このペースレイヤーの着想をもとに、本稿では思想的な変化が事業条件へ届く経路を、次のように整理します。
思想→政策レジーム→政策→市場→事業
それぞれの役割は次のとおりです。
- 思想:社会が何を望ましいと考え、何を問題として認識するかを方向づける規範的理念や認識枠組み
- 政策レジーム:政策目標と政策手段についてのパラダイム、それを支持する政治的・社会的な連合、法制度、行政組織などが相互に支え合い、一定の政策方向を持続させる枠組み
- 政策:法律、税、補助、規制、開示、標準、公共調達と、それらの具体的な運用を通じて政策目的を実装する
- 市場:価格、資本コスト、需要、市場アクセス、取引条件などの市場の条件
- 事業:ビジネスのこと。製品、技術、供給網、投資、組織を変更して対応する。

基本的な流れは、思想はまず規範的理念として提出され、それが採用されるとレジームになり、レジームを元に政策が作られて、政策が市場の競争条件を変え、市場が事業に対応を迫る、というものです。
もちろんこれは一方向の因果ではありません。企業や投資家は政策形成に働きかけますし、技術の登場が新しい問題設定を生むことも、危機や事故が政策を先に動かすこともあります。戦争や感染症、金融危機などの個別具体の事件が思想に影響することもあります。
それでも、長期の事業環境を考えるうえでは、個別の政策がどのようなレジームや思想に支えられているかまで見る価値はあるでしょう。
フラット化した世界での効率性レジーム (1990 ~)

こうした層の考え方で、1990年代以降を振り返ってみます。
冷戦後、多国籍企業と主要先進国の経済政策を強く規定したのは、国際分業、市場競争、自由化を通じた効率化を基本とする思想やレジームでした。相互依存は平和と繁栄に寄与し、貿易や投資の障壁を下げ、価格シグナルと競争を機能させることで、資源はより効率的に配分されるという考え方です。
もちろん、政府が市場を設計しなかったわけではなく、政府は貿易協定、競争政策、金融制度、知的財産権などを通じて市場を設計していましたが、その設計が開放性、競争、消費者利益、資本効率といった政策パラダイムを採用していました。ワシントン・コンセンサスも、本来は政府の規制上の役割を残すものでしたが、後に市場原理主義的な意味へ広く拡張されました。
こうした規範的な理念(思想)のもとで、レジームや政策が組まれ、市場では価格、規模、資本効率が主要な競争軸になり、事業では海外展開、外部委託、在庫削減、グローバルでの標準化が合理的な選択になりました。
かつて2005年ごろに、トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』という本がよく売れましたが(日本は2006年)、まさに世界がフラット化して、相互接続する現象やその気分をうまく表現していた言葉のように思います。
このレジームは、低価格の商品、巨大な市場、国境を越えた技術移転を実現しました。一方で、環境負荷、特定地域への供給依存、地域間の雇用格差、産業能力の喪失といったコストは、企業の主要な意思決定基準の中で十分に評価されないことがあり、それが問題となりました。そして、それらのコストや依存関係が、炭素税などの形で、政策と市場を通じて再び事業の意思決定へ組み込まれていこうとしているのが今です。
気候政策への対応という第一波
気候を中心とするサステナビリティは、多くの企業にとって、社会的価値の変化が開示、金融、調達、技術投資を横断して全社課題になる過程を経験した、近年で最も可視的な事例の一つだったと言えます。
気候変動をめぐる議論自体は2015年よりはるか以前からありましたが、2015年にパリ協定と2030アジェンダ・SDGsが採択されたことで、問題設定と共通言語が国際的に同期しました。
この変化は、伝播の各段階を通じて以下のように事業へ届きました。
- 思想:気候の安定と将来世代への責任が企業活動を評価する正当な基準になりました。
- 政策レジーム:そして各国で原則として採用され、レジームとして制度化されます。
- 政策:排出規制、開示制度、炭素価格が整備されました。
- 市場:炭素集約度や移行リスクが投資、保険、調達の判断に入ります。
- 事業:排出量の測定、目標設定、技術転換、供給網の可視化が求められるようになりました。
もちろん、政策が思想を企業へ一方向に押しつけたわけではなく、科学者、市民社会、投資家、標準化団体の活動も政策形成を促しましたし、逆にそうした思想の変化を見越して先んじて対応する事業者もいたでしょう。
公害規制やCSRのように、社会的な価値が政策を通じて事業へ翻訳される経験自体は、それ以前からありました。ただ、問題設定が国際的に同期し、要求が自社だけでなく供給網の全体に及んだという点で、これほどの規模の経験はそう多くなかったでしょう。振り返れば、サステナビリティ経営とは、思想によって社会的な価値が変わり、それが政策と市場を通じて事業の条件へ変換される過程を、全社規模で経験した実地訓練だったと言えます。
経済安全保障という第二波
同じ伝播が、いま安全保障と強靱性をめぐって進んでいます。変わったのは、安全保障と供給網の強靱性が、防衛産業や輸出管理部門だけの問題ではなく、広範な企業の調達、投資、データ、研究開発、資本関係を左右する全社課題になったことです。
思想の層では、主権、供給の継続、技術基盤、国内の産業能力、良質な仕事といった、各国の国内に関わる価値の優先度が上がりました。そのような思想がレジームになると、政策の層で様々な経済安全保障政策や産業政策が打たれるようになります。
米国では、2025年の政権交代によって気候、国際協調、同盟国との関係をめぐる目的は大きく変わりましたが、2025年の通商政策文書でも、労働者、製造業、供給網、重要インフラが明示的な政策目的として扱われています。政権をまたいで同一のレジームが続いているわけではありませんが、市場の結果をそのまま受け入れず、貿易、投資、調達を国家能力と安全保障のために方向づけるという問題設定の一部が連続しているとは言えるでしょう。
市場では、価格だけでなく、原産国、所有関係、供給の継続性、取引相手への信頼、データの保管場所が評価されるようになりました。事業では、複数調達、在庫、現地生産、トレーサビリティ、政府との関係構築、研究情報や人材へのアクセス管理が新たに求められるようになってきているのが、現在地です。
なお、持続可能性と安全保障は独立した2つの制約というわけではなく、両者は重要鉱物、電池、半導体、エネルギー、送電網、データセンターといった領域で融合・隣接しています。脱炭素を進めるほど特定の鉱物や製造拠点への新しい依存が生まれ、それが安全保障の問題になりますし、安全保障を重視して国内生産や友好国生産を求めるほど、脱炭素のコストや速度、技術選択が変わります。他方で、国内のクリーン技術生産能力の整備のように、両者が相乗効果を生む場合もあります。
よって、今、企業が直面しているのは、制約が一つずつ追加される状況ではなく、目的関数の重みと制約条件が政治的に変動し、目的同士がしばしば衝突する状況です。そして複数の思想が競争しあいながら、時間とともに変わりつつあることが、その混乱に拍車をかけている、と整理できます。それは、かつての「自由化と効率化と相互接続」といった安定した前提とは言えない状況です。
国内の価値観の変化
ここまで扱った気候と経済安全保障は性質の異なる問題ですが、いずれも企業を取り巻く対外的・制度的な条件を大きく変えてきた国際的な問題設定でした。ここからは、国内の分配、生活、共同体、国家能力をめぐる問題設定に目を移します。
各国国内では不平等の増大や分極化などが起こる中で、内政を何とかしようという動きもいくつか出てきています。日本や欧州にも同種の動きはありますが、本稿では、議論が最も先行しており、日本への波及も大きい米国を中心に紹介します。
例えば、以下のような思想的な動きが例として挙げられます。
(1) 新しい保守派経済学
自由市場や効率性を自己目的とせず、労働者、家族、地域共同体、国内産業、国家利益を経済政策の上位に置く、新しい米国保守派の経済思想です。 減税・規制緩和・自由貿易を中心とした従来の保守経済学を見直し、産業政策や通商政策を通じて、(彼らの考える)公益に資する市場を再構築しようとします。
解説: https://takaumada.substack.com/p/conservative-economics
(2) 共通善保守主義
個人の自律や価値中立的な手続きだけでは社会を維持できないと考え、家族、共同体、労働の尊厳、文化的継承、国民的連帯などの「共通善」を政治の中心に据える保守思想です。 市場や国家を中立的なものとはみなさず、社会にとって望ましい道徳的・共同体的秩序を育てるために活用しようとします。
解説: https://takaumada.substack.com/p/common-good-conservatism
(3) 進歩的愛国主義
「国民」「主権」「誇り」といった言葉を右派や排外主義に独占させず、平等、包摂、公共投資、民主的市民権を支える理念として再構成する進歩派の思想です。
弱まりつつある階級的連帯に代わる政治的基盤として、国への帰属意識を包摂的な国民的連帯へと結び直そうとします。
解説: https://takaumada.substack.com/p/progressive-patriotism
(4) 供給サイドの進歩主義
再分配や需要喚起だけでなく、住宅、エネルギー、交通、医療、科学技術などを「なぜ十分につくれないのか」という供給側から捉える進歩主義です。
許認可改革、公共投資、行政能力の強化などを通じて、必要な財やサービスを実際に豊富に供給できる「作れる社会」を目指します。
解説: https://takaumada.substack.com/p/abundance-2026
(5) プロダクティビズム
経済成長や事後的な再分配だけでなく、何を、どこで、どのように生産し、どのような仕事を生み出すかを政策の中心に置く、ポスト新自由主義の思想です。
企業の投資や技術選択、職務設計に働きかけ、地域に安定した「良い仕事」と中間層への道筋を増やす産業政策を重視します。
解説: https://takaumada.substack.com/p/productivism
これらの動きは、規範的な政治思想、経済政策のパラダイム、具体的な政策アジェンダなどの異なる抽象度の取り組みを含みますが、いずれも市場の結果だけに委ねず、国内の生産、生活、共同体、国家能力を政策の中心へ戻そうとする点で重なっています。
なお、前半に挙げた保守系の思想、とりわけ共通善保守主義を含むポストリベラルな保守思想には、カトリック社会思想や自然法論の影響を受けた潮流があります。一方、現在の米国政治を理解するうえでは、別の系譜を持つ福音派の政治神学も重要です。日本でも近年、米国の福音派を扱った書籍が刊行され、ビジネス系メディアでも関連する特集が見られるようになりました。これは、米国政治の背景にある宗教思想への関心が日本語圏でも広がっていることを示す一例かもしれません。
流動化し多目的化する評価軸
ここまでの変化が、「新しい一つの思想が古い思想を上書きしつつある」という話であれば楽でした。しかしそうではなく、複数の思想がうごめきつつある、というのが状況を分かりづらくしています。さらに従来の効率性も依然重要であり、価格や品質を無視して事業は成り立ちません。変わったのは、安定して「効率性」に重み付けされていた社会状況から、重みと制約そのものが政治化し、基準が複数かつ流動的になりつつある点です。加えて、良質な仕事や公正な分配といった生活側の価値も、前述の国内重視の思想の変化を背景に存在感を増しています。
整理すると、現在は少なくとも次のような複数の評価軸が累積しながら、その強弱が時間とともに、また国ごとに変化しています。なお、表の最後の「生活と分配」の軸は、前節で紹介した思想群が押し上げているものです。
| 評価軸 | 望ましい成果 | 主な政策手段 | 事業に現れる要求 |
|---|---|---|---|
| 効率性と市場統合 | 価格低下、生産性、消費者利益、成長 | 市場開放、競争、自由貿易、規制改革 | グローバル最適化、外部委託、標準化、在庫削減 |
| 持続可能性 | 気候の安定、将来世代、環境負荷の低減 | 開示、排出規制、炭素価格、技術支援 | 測定、目標設定、技術転換、供給網可視化 |
| 安全保障と強靱性 | 供給継続、主権、産業と技術の基盤 | 輸出と投資の規制、関税、調達、産業支援 | 冗長性、現地化、トレーサビリティ、政策対応 |
| 生活と分配 | 良質な仕事、生活基盤、地域能力、公正な分配、公共リターン | 事前分配、公的選択肢、地域産業政策、条件付き支援 | 賃金、立地、アクセス、地域投資、公共への還元 |
対応を難しくしているのは、これらの価値が常に両立するとは限らないことです。最安の供給者が最も信頼できる供給者とは限りませんし、排出量の少ない技術が安全保障上もっとも望ましい技術とも限りません。国内生産を増やす政策が消費者の生活費を下げるとも限らないでしょう。
これからの経営は、効率性の最適化ではなく、複数の価値の間でトレードオフを意図的に設計する仕事になっていきます。
接続されているが、交換可能ではない世界
この変化がサステナビリティのときと異なるのは、価値観とリスクの関係が、より地理的で政治的であることです。
気候政策は、安全保障と比べれば、CO₂換算排出量という共通単位と、気温上昇を抑えるという地球規模の方向性を共有しやすい領域でした。これに対して安全保障では、誰への依存を減らし、誰を信頼し、どの技術を国内に残すかが、国や同盟関係によって変わります。そして内政で雇用などが重視されると、事業がどれだけ「その国」に貢献するかが問われるようになります。
その結果、世界は完全に分断されるのではなく、接続を保ったまま交換可能性を下げていきます。同じ性能の部品でも原産国や所有関係によって扱いが変わり、同じクラウドサービスでもデータの保管場所と管轄によって市場アクセスが変わり、同じ資本でも投資家の属性によって審査が変わります。
いわば、一度互いに接続しながら「フラット化」して、自由に行き来できていた世界が、その接続性を維持しながらも、今、フラットから凸凹した世界になりつつあり、さらに各国国内でも、どの価値を優先するかをめぐる競争が激しくなっている。そんな感覚です。

この凸凹(国や属性による扱いの差)は選挙や政権交代によって変化しますが、法律、行政組織、インフラ、標準、企業投資には慣性があるため、選挙のたびにすべてが元に戻るわけでもありません。
この世界では、自社の価値観が問われる場面が増えることになります。どの目的のためならコスト増を受け入れ、どの条件なら市場から撤退し、どの供給者とは取引しないのかが問われるからです。
そしてその価値観は、理念として掲げるだけでは事業条件にならず、実態としての資本配分や供給者選定、市場への参入と撤退、技術選択が問われるようになります。さらに言えば、この問いは受け身の対応にとどまりません。どの価値を望ましいとするかをめぐる競争が続いている以上、企業自身もまた、発言や行動を通じてその競争に参加する主体になりえます。
もちろん、思想を追っても、次の選挙結果や、規制が導入される正確な時期までは分かりませんし、思想がレジームとなり、政策へと反映されるまでには時間がかかります。しかし、どの価値を守るためなら収益や成長を一部諦めるのかを危機が来る前に決めておくなど、事前に準備できることはあるでしょう。
転換のメカニズム
ここで一段引いて、経済安全保障を「いま対応すべき新しい規制群」として処理してよいのか、を考えてみます。
歴史を振り返ると、国際経済の基本的な問題設定は何度も変化してきました。19世紀の自由貿易と金本位制、戦間期の秩序崩壊、戦後のブレトンウッズ体制と埋め込まれた自由主義、1970年代以降の市場自由化は、その大まかな例です。
こうした変化は「30年ごとに起こる」といった周期で語られがちですが、周期だけで見ると重要な部分が抜け落ちるように思います。歴史から取り出すべきは周期ではなく、転換のメカニズムでしょう。
そのメカニズムを簡略化すれば、次のような過程のように見えます。まず、既存の政策や市場では解決や説明がしづらい危機や失敗が蓄積し、別の問題設定を提示する思想が現れます。その思想をもとに新たなレジームが形成されると、政策もそれに沿う形で作られます。そうして政策は市場に影響して、市場の中で動く企業は、新しいレジームが続くことを前提に投資を始めます。
ただし現在起きているのは、自由化・効率性のレジームが完全に交代する断絶型の転換というより、それをある程度維持しながら、その上に気候、安全保障、分配、国家能力に関する目的と制度が積み重なる累積型の転換です。
だからこそ、今回の変化は、経済安全保障に対応すれば終わり、ということにはならないでしょう。複数の価値をめぐる思想の競争が続く限り、レジームは変化し続け、対応しなければならないことは増えていくと考えたほうがよいでしょう。
スタートアップにとってのこの転換の意味
この議論は大企業のリスク管理の話に聞こえるかもしれませんが、スタートアップにとっても遠い将来の話ではありません。
まず、これまでのスタートアップは、フラットな世界を暗黙の前提とした活動をしてきたように思います。特にインターネット以降のソフトウェア企業やVCモデルの一部は、資本、データ、人材、製品が国境を越えて比較的容易に移動できる世界を暗黙の前提としてきました。その前提が、分野や地域によって崩れつつあります。
そしてスタートアップが創業から社会的に意味のある規模へ育つまでには、しばしば十年単位の時間がかかります。いま創業する会社は、現在の事業条件ではなく、これから形成される事業条件の中で勝負することになります。
既存企業が現在の事業をどう適応させるかを問われるのに対し、スタートアップは、次の条件を前提に何をゼロから作るかを問われます。その十年の航路の中でどういった変化が起こりうるかを考えることは、自分たちの事業に直結しますし、場合によってはそこに大きな機会を見つけられるかもしれません。
レジームの転換期は、逆風と追い風の両方をもたらします。
逆風は、国境を越えた拡大の摩擦が大きくなることです。追い風は、転換期が新しい需要と市場の形成期でもあることです。たとえばGX、半導体、供給網、防衛、重要インフラ、行政能力などの領域では、政府が顧客、規制者、共同投資家、市場形成者として登場し、旧来の制度に最適化された既存企業の隙間に、新規参入の機会が生まれます。しかし同時に、効率性も問われます。そのバランスが求められるということです。
たとえば、政策支援がなくなっても顧客価値が残るかや、政府が顧客でなくても成立するか、規制対応自体が参入障壁になるかなどが課題となるでしょう。また一つのレジーム圏に適応することで、別の市場を失わないかといった点や、今後起こりうる政策変更に対して、技術・契約・供給網を組み替えられるかも問われるようになります。
そして日本のスタートアップは、米国とは違い、より高い戦略性が求められる立ち位置にいると言えます。米国は、巨大な市場や政府調達がありますが、日本単独の市場はそう大きくはなく、米国と同じことをしていても大きくなることは難しい状況です。
また日本はアメリカほど世界のルールを強く決められない立場にあります。そして人材や資本の供給に制約がある中では、「数を打てば当たる」という戦略を取れるわけでもない状況です。狙いを研ぎ澄ませていかなければならないということです。
そしておそらく必要なのは、どの国のレジームに追随するのかを周りから迫られて選ばされる前に、自分たちは何を守り、何に賭けるのかという問いに対する答えを持つことなのだろうと思います。以前、スタートアップとは問いへの賭けであると書きましたが、レジームの転換期とは、その賭けの前提とオッズが大きく動く時期です。これを活かしていくことは、スタートアップにとっても1つの大きな機会と言えます。
まとめ
思想の変化は、市場と政策の地殻変動となり、事業を揺らす大きな地震にもなりえます。もちろん、そうした地殻変動を観測しても地震の日時を当てることはできませんが、どこに断層があり、どこに圧力がかかっているかを知ることはできます。そしてその観測は、財務や技術のリテラシーだけでは行えません。政治や歴史、思想史といった知識があることで、観測の精度は多少なりとも上がるのではないか、と思います。
また思想を追っても、未来予測はできないため、限界はあります。しかし、対応の選択肢が高くつく前に、つまりオプションの価格が上がる前に、何を守り、どこに賭けるかを決める経営はできます。それは大企業にとってはリスクマネジメントであり、スタートアップにとってはチャンスとして捉えられるのではないか、ということです。
そしてさらにいえば、先に述べたとおり、日本企業やスタートアップもまたこの思想の競争に参加する主体でありえます。実際、「スタートアップをとりまく思想」で書いたとおり、シリコンバレーのスタートアップやVCはその思想の競争に率先して参加しつつあります。ある意味で、思想の未来を予測するのではなく、思想の未来を作っていくための競争が始まっているということです。それはシリコンバレー的な「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ (The best way to predict the future is to invent it)」を思想の面からもやりにきているということでしょう。しかも、圧倒的な資本力をもって、です。
そうした動きを受けて、私たちもどういった思想や態度を取るのかが今問われているのだろうと思いますし、どういった思想を作っていくべきなのかを考えていくべき時期なのだろうと感じています。
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最近、思想系では『スタートアップをとりまく思想』という記事の公開や、関連イベントの開催に加え、Substack でも思想に関するキーワードの記事を溜めています。
それはその一環であり、関連して2026年7月30日にイベントを行いますので、ご興味あればご参加ください。