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防衛テックの倫理 - 日本の Defense Tech / 防衛テックを考える(4)

6月29日(月)にDefense Techに関するイベントに登壇することになったので、事前に自分の考えを書いてまとめておきます。記事が長くなったので複数に分けています。

なお、フィードバックを受けて、今後、私の中での考えや意見は変わる可能性はあります。

日本のDefense Techを考える上では、前提を整理した上で、大きく議論するべき点として3つあると考えています。

  1. 防衛力 - その事業は日本の実効的な防衛力を高めるのか
  2. 事業性 - その事業はスタートアップとして急成長できるか
  3. 倫理 - その事業をするべきか

 本記事では「倫理」について扱います。

防衛テック勃興の社会的リスクと、倫理の重要性

なぜ防衛テックで倫理を考える必要があるのかを、少し大げさなシナリオで考えたいと思います。

まず防衛テック企業の時価総額を伸びるタイミングは、「紛争が起こること」や「対立が強まって、その危機認識が高まること」でしょう。防衛テック企業の製品の需要が増して、市場価値が上がるのは、事案が起こったときであろうと思われるからです。

特に防衛テックに投資するベンチャーキャピタルは、本人たちが戦争を望んでいるかどうかとは別に、ファンド期間内に安全保障環境が緊迫し、防衛予算が増え、投資先の評価が上がるほど、投資リターンが大きくなり得る構造を持ちます。

そうすると、戦争等で企業価値が上がったタイミングで投資回収をして投資リターンを得て、戦争後の復興コストを社会に押し付ける……といったことは多分に陰謀論的ではありますが、そういった構造やナラティブを作るインセンティブがあります。

そうした積極的な関与でなくとも、「確保した予算の正当化をするために、戦争を止めづらくなる」ということもあります。たとえば第二次世界大戦における日本海軍は、対米戦に十分な勝算を持てないことをかなり認識していたものの、長年「米国を仮想敵」として軍備・教育・作戦計画・予算を組み立ててきたため、海軍首脳は明確な開戦反対を避けて、「首相一任」などの曖昧な態度に逃げ、結果的に開戦が決まったと言われています(NHK の特集など)。

これらは関わる個々人が悪だというわけではなく、悪意を持っていなくとも、人間は細かい点で欲深く、弱い傾向にあるので、インセンティブがあればそちらに流れやすくなる、ということです。

そうした人間の弱さがあるからこそ、私たちは自分たちを適切に縛り、律する必要がありますし、そうした疑いがかけられる側は説明責任を持つことになります。特に「争いが起こること」に対する賭け金としての投資が増えている今だからこそ、そうした責任は増えているのではないか、と思います。

民間企業の力が増したからこそ、民間の倫理が求められる

新しいプレイヤーとしての民間

特にこうした議論を民間企業側で行う理由が増していると思っています。

従来であれば、先端技術を開発する大学等の「学」と、それを応用する「軍」の2者が中心となって倫理を議論することが中心でした。市民ももちろんステークホルダーとして入っていましたが、どちらかというと受動的な立ち位置だったように思います。

それが現在は、大学等よりも民間企業が先端技術やその応用を一部リードするようになり、プレイヤーとしての存在感を増してきています。

そうすると、「学」だけをグリップしてもあまり効果的ではなく、「民」をどうするかを考えていかなければなりません。そのとき「民」側でも同様のことを考えていかなければならないことも増えています。

民間が力を持ったからこそ、そこには大きな責任が生まれます。

民間の中でのスタートアップ

そうした意味で、スタートアップ側も考えていく必要があります。スタートアップという民間企業が防衛テックの担い手として期待されているからこそ、そこには相応の責任が生まれてくるということです。

従来のスタートアップは、市場のルールに従っていれば良い領域で事業を行っていましたが、それを変えるタイミングに来ているということです。

従来から、スタートアップが様々な規制産業に入り込むことが増えてきて、そこでも相応の責任が求められてきましたが、それが人の生死に関わる領域まで広がってきています。そうであれば、そこには一層の責任が求められるようになってきます。

情報技術による関わり方の質的変化

また情報技術の発展で、かつての民間企業による兵器提供とは違い、民間企業の意思が戦闘の意思決定に入りこむ余地が高まっているため、民間企業が軍事に対して持つ影響力はかつてよりも大きくなっているように見えます。加えて、グローバリゼーションの流れの中で、ビッグテックのように一企業が国を超える影響力を持ちうるようになったことも大きな変化としてあります。

情報の重要な部分を民間企業が握り、影響力が高まる今、こうした民間企業が自らを律する仕組みや、外から制御する仕組みをどう作るかは、今後の公共的な議論として必要性が高まってくるでしょう。

大きな力に対しては、大きな予見責任・抑制責任・説明責任が伴います。それに対する準備が新たに必要になってきています。

従来のシリコンバレーにはMove fast and break thingsのような考え方がありましたが、それは後戻りが可能で、かつ人の命とそこまで関わらない事業領域だったからです。もし軍事の領域でそれをすれば、Move fast, kill things となってしまい、人の命は戻ってきません。

だからこそ、倫理についての議論が必要であるのだと思います。

ただし、前述したとおり、「戦争への加担か、完全撤退か」という二択で考えるのはあまりに単純すぎます。実効的な防衛力を失ってしまえば、かえって人命や社会を危険にさらす可能性もあるからです。

問われるべきなのは、防衛技術に関わることやその事業をすべて否定することではなく、何をやって良いのか、何をしてはいけないのかという、複雑な善し悪しのグラデーションを見ていくことだろうと思います。

倫理と速度

一方、倫理を重く見すぎると、民主国家側の技術開発が遅れ、結果的に権威主義国家に対する抑止力が落ちるのではないか、と考える人もいるかもしれません。しかし倫理が弱ければ、後から調達停止や輸出停止も起こりえます。訴訟や同盟国との相互運用性低下も招くかもしれません。その結果、むしろ事業が脆くなります。

よく科学技術系でも言われることですが、ちゃんとアクセルを踏むためにも、ブレーキは用意しておくべきだし、ステアリングができるようにしていたり、ガードレールが設置されていなければ、社会からの信認は得られないでしょう。

先の記事でも、軍事の調達改革や市場改革が行わなければ、おそらく大きなスタートアップは生まれないのではないか、と書きました。そうした市場設計を促していくのであれば、自ら倫理を議論し、設計することは、自社の価値最大化にもつながっていくはずです。

そうした観点からも、そのため、「この技術は軍事的に有効か?」「この事業はスタートアップとして魅力的か?」を考えると同時に、「この事業をしてよいか?(この事業に投資・支援してよいか?)」「どこまでなら良いか?」を、関わる人たち自らが考え、自ら発信していくことは重要ですし、本人たちが気にしていなくても、周囲からそうした問いを投げかけていったり、歯止めをかけていく必要性は大きいのだろうと思います。

そこで本稿では、防衛テックを一律に否定するのではなく、また倫理を「開発停止の理由」ではないものとして考え、社会的な正統性と長期的な採用可能性を高める設計条件としての倫理を考えたいと思います。その際、倫理を感情論ではなく、実務上のリスク管理や制度設計、民主的正統性の問題としてなるべく捉えたいと思います。

倫理を実務に具体化する

事業で変わる倫理の論点やリスク

防衛テックの倫理といっても、その防衛テックがどういった事業を行うかで倫理に関する論点やリスクは変わります。たとえば以下のような分類ができるでしょう。

類型

例

倫理リスク

後方支援・ロジスティクス

補給、整備、在庫管理、訓練支援

比較的低いが、戦争遂行能力への寄与はある

防衛インフラ

サイバー防御、衛星通信、基地警備、災害対応

民間転用・監視転用・依存リスク

情報収集・分析

ISR、OSINT、画像解析、状況認識AI

誤認、監視、差別的標的化、責任分散

指揮統制・意思決定支援

C2、標的優先順位付け、作戦計画支援

人間判断の形骸化、説明不能性

致死的兵器・自律兵器

攻撃ドローン、自律標的選定、火器管制

IHL違反、過剰攻撃、責任所在の不明確化

そのうえで実務的には、以下の3つあたりから始める必要があるのだろうと思います。

  1. 企業:ガバナンスをどう設計するか
  2. 個人:創業者や投資家の徳をどう求めるか
  3. 政策:市場全体の制度をどう設計するか

(1) 企業のガバナンス設計 

1つの方法は、いかに企業の倫理的なガバナンス体制を作るかです。

たとえばドローン企業であるSkydioは、消費者用からB2B向けに事業を強めた2020年のタイミングで、Engagement and Responsible Use Principlesを公開しています。ドイツのHelsingという防衛AI系スタートアップもEthicsに関する情報を整理しています。PalantirもHuman Rights Policyを用意しています。

倫理的な一線を踏み越えないために、事業者や投資家が「どの用途・顧客・運用条件なら倫理的に関われるか」といったルールや制度を作っておくことは、危険な領域に踏み込もうとしている企業にとって、自社を守ってくれる防具や規律になってくれるはずです。

Defense Techをやっていくのであれば、こうした仕組みを、企業・投資家・支援側ともに用意していく、というのが1つの実務的な解決策ではないかと思います。

たとえば、以下のようなチェックリストをチェックするのも1つでしょう。(あくまで例です)

問い

具体的確認事項

誰に売るのか

顧客は民主的統制下にあるか。人権侵害リスクの高い治安機関・軍・政府ではないか。

何に使われるのか

防衛、防災、監視、標的化、攻撃支援のどれか。

どこまで関与するのか

情報提供か、意思決定支援か、標的選定か、攻撃実行か。

人間の判断は残るか

人間が意味のある判断を行える設計か。DoDの自律兵器指令も、意図しない交戦リスクを下げるための設計・責任体制を重視しています。(U.S. Department of War)

監査できるか

ログ、モデル更新履歴、データ由来、判断理由、事故後検証が残るか。

止められるか

誤作動時の停止、顧客違反時の契約解除、用途逸脱時のアクセス制限が可能か。

外部化していないか

復興コスト、民間人被害、誤爆、監視被害を社会に押し付けていないか。

ただし、これらがどこまで実効的かは見ておく必要があります。たとえば最近だと、2026年6月にPalantirは、外部株主の56%が人権レビューの実施を支持していたにもかかわらず、株主総会においてそれを否決したそうです。これは創業者に強い議決権を与える株式の構造を取っていたためです。Helsingも掲げていることは確認できますが、内実は正直分かりません。

この事例が示しているのは、ガバナンスがあることと、外部からの統制が効くことは別だということです。そこに対して、どういうルールを用意するかは議論が必要です。

(2) 個人の徳と良識

2つめの観点は、徳や倫理を議論することです。

スタートアップは上述のような制度が会社の中では未熟になりがちです。そのため、創業者や投資家個人の徳や良識が求められることになります。よって、創業者や投資家が戦争に関わる権力を扱うにふさわしい人格や組織文化を持っていることを評価したり、そうした議論の場が多くあることが望ましいでしょう。

ただし、徳だけに頼るのは危ういとも思います。競争の圧力がかかる局面では、個人の良識だけでは組織を止められないからです。

(3) 市場設計

だからこそ、外部の市場の設計が重要となります。防衛テック市場が正当化されるのは、国家と社会にとって必要な防衛力を、より効率的かつ適切に供給するためです。そうした合目的的に機能する市場を設計していく必要があります。

『資本主義にとって倫理とは何か』を書いたジョセフ・ヒースなどは、企業は競争する役目を与えられている主体であって、企業に対して社会をよくすることを求めるのは違うのでは、という議論をした上で、ただし市場制度の目的に反する手段で競争することは倫理的ではないと整理します。

その意味で、危機ナラティブの過剰な演出や調達制度への過度な影響、ベンダーロックイン、責任やコストの外部化によって競争するのであれば、それは市場の目的を損なう競争です。それらを防ぐための、市場の失敗を利用しない競争ルールや調達制度、投資契約、用途審査、監査可能性に落とし込む必要があります。

(ただし一方で、防衛領域のようにかつて市場ではなかったところが市場化されていく中で、企業を御せるだけの市場制度ができるまでの間は、企業に倫理を求めざるをえないところもあるように思います。)

倫理に関する議論

加えて、やや抽象度の高い点ですが、倫理という観点で気になる点をいくつか挙げておきます。

(1) 基本

まず最低限抑えるべきなのは、国際人道法や人権、正戦論などの観点です。

Defense Tech企業や投資家は、国際人道法が求める基本原則を理解しておく必要があるでしょう。こうした検討なしに、「防衛に役立つからよい」と語るのはとても危ういように映ります。

特に防衛・治安・情報領域では、製品が民間人監視や反体制派弾圧、過剰な武力行使、差別的な標的化に転用されるリスクを前提に設計しなければなりません。

ただ、こうした議論があまりされているようには見えず、ここには不安が残ります。

また、国家などの抽象的な議論ではなく、誰がどう傷つくのかといったようなケア倫理的な側面にも注意を払う必要がありますが、そういった議論も少ない印象があります。

(2) 正統性や責任の議論

かつての兵器であれば、意思決定は軍が行うものでした。しかし昨今の情報技術を用いた意思決定プロセスでは、民間企業がその意思決定にも間接的に関わることになります。かつてのような情報共有中心の技術であれば、まだ意思決定の主導権は軍にありました。しかし民間企業が作ったAIが判断するとなったら、民間企業の作ったものによる意思決定は、どこまで正統性があるのか、またそれはどのような扱いになるのかなども問題になります。

また防衛が国によるものである限りにおいて、国に対して一定の牽制をかける仕組みが法律という形で組み込まれていました。しかしそれが私企業になると、外部からのガバナンスを仕掛けるのは相応の難しさが出てきます。さきほどのPalantirの例などが一例です。これをどうしていくのかは考えるべきでしょう。

責任のありかの問題も出てきます。昨今の防衛テックの危険なところは、責任が分散してしまうところです。エンジニアはモデルを作っただけと言い、企業は政府の要件に従っただけと言い、軍はベンダーの評価を信じたと言い、オペレーターはシステムを信頼した、と言うかもしれません。これは誰も完全には責任を負わないシステムです。自律兵器になればその問題はより大きくなります。

そうして責任がうやむやになる前に議論を整理しておく必要があります。

(3) 民間プラットフォーム依存と主権

また、防衛テック企業が、単に兵器やソフトウェアを売るのではなく、軍事オペレーションの基盤になるプラットフォームを作ろうとする傾向にあることにも注意が必要です。プラットフォーム化によって、各国の軍が少数企業に依存し、ロックインや独占・寡占が起こりやすくなることになるということでもあります。

いずれそうした民間企業が「War (戦争) as a Servie」や「防衛力/抑止力 as a Service」として様々な国に自社の製品を売っていくことは容易に想像できますし、導入されたあとにも、企業が契約を打ち切れば国防が機能しなくなるリスクをはらむこともあります。

実際、Starlinkをめぐっては、2026年2月にロシア軍が不正利用していたとされる端末のアクセスが制限され、ロシア側の通信に影響が出たと報じられています。また2025年には、ウクライナとの資源交渉の文脈で、Starlinkアクセス停止の可能性に言及したそうです。事実関係には慎重な整理が必要ですが、このように民間プラットフォームが戦時の通信・作戦継続に大きな影響を持ち得るようになったときに、どのように対応していくべきかは対策をしておく必要があります。

(4) 新しいプレイヤーとの付き合い方

ここまでスタートアップ側の話をしてきましたが、スタートアップを巻き込もうとする政府側にも新しい倫理観や市場観が求められるのだろうと思います。

前述したとおり、スタートアップやVCは時限付きのインセンティブがあり、そして従来の防衛関係者とはやや異なる、資本の論理によって動かされるプレイヤーたちです。そうした人たちが起こしていくイノベーションを防衛のエコシステムに入れるということには、メリットもありつつデメリットもあります。それをうまく御せなければ、そうした人たちのナラティブに飲み込まれ、対立が先鋭化しやすくなるかもしれません。

たとえばa16zなどは、技術倫理を「敵」と見なす原稿を書いています。そうした人たちの言動や技術を御せるかどうかは、政府側にどれだけの能力があるかにも依存するでしょう。

(5) 国への貢献の度合いの過剰なナラティブ

防衛テックを「国への貢献」と見過ぎないことも重要だろうと思います。

防衛テックへの投資家でもあるBen Buchheim-Jurissonは、元軍人という経歴から、民間企業や投資家は「やめる自由」があり、かつ儲けも大きな一方で、軍人は国家による厳しい拘束低い報酬などの制約の中で動き、かつ実際に危機にも接する違いを強調します。PalantirやAndurilのような企業が「国家への奉仕」という言葉を使うと、戦争のコストを実際には負わない民間エリートが、戦争の道徳的権威だけを借りることになりかねないことに警鐘を鳴らしています。これは日本の防衛テックにも通用するロジックでしょう。 

防衛に関わる民間企業や投資家の中には、本当に社会や国家を守りたいと考えている人もいるでしょうが、とはいえ「国への貢献」というナラティブですべてを肯定してはならず、どういった責任を誰が負っているのかを見ていく必要があるように思います。

(6) 日本としてどうありたいのか

そして最後に、日本での防衛テックの倫理を考える上では、やはり日本の国としての形や、日本にとっての安全保障とは何かを改めて考えていく必要があるのだろうと思います。これは倫理を超えた種類の議論も含むものだと思いますが、米国の守りが後退しつつある中で、では日本として何を最低限守りたいのか、どの程度費用を拠出できるのか、何を踏み越えてはならないのかを考え、そのうえで、その中で何ができるかを考えることです。

ただ、そうした倫理は日本独自で設計すれば良いというわけではなく、連携を取る国の倫理とある程度共有していく必要もあります。倫理観が共有できない国では、自国で作ったものもの輸出することも難しい、という事業上での理由もあります。EUに売りたいならEUの倫理観や倫理の議論にも沿う形にしていく、などの配慮が必要でしょう。

アメリカでは、そうした「倫理」を求める動きとして、キリスト教回帰や共通善のようなものが議論されているようにも見えます。

そして日本の形を考えていくうえで、今のシリコンバレーの雰囲気に呑まれてはいけないとも思います。アメリカの覇権的な思考、テクノリバタリアン的な市場主義、そしてシリコンバレーの特有の技術楽観論、などが混ざり合って、現在のアメリカのDefense Techの潮流は生まれているように見えます。それが常に正しいというわけではないでしょう。  

防衛テックを否定しているわけではない

以上、いくつかの観点で考えてきました。

だから防衛テックはやらないほうが良い、というわけではありません。やるのであれば、ちゃんとやる必要が、社会にも事業にもあるだろう、ということです。たとえば市場環境を良くしていくようなロビイングをするのであれば、それなりの覚悟と理屈を持ったうえで、環境整備などを政府に求めていくべきなのだろうと思います。

こうしたことを考え抜いたうえで関わるのであれば、防衛テックは単なる戦争ビジネスではなく、平和を維持するための技術にもなり得ると思います。しかし、そのためには設計が必要です。

なお、防衛の努力を否定するものではありませんが、私個人としては、平和な世界を作り出すことに自分の時間と能力を使うほうが良いのでは、と思っています。防衛は短期的には大事かもしれませんが、中長期で賭けることができるのが、一般的な株式投資などと同様の個人の強みでもあるなら、短期の動乱の先にある平和を作り出すことに時間を使ったほうが総合的なリターンは大きいのではと思いますし、市場のトレンドに賭けるのではなく、市場を活用しながら作りたい未来を作ること、人類社会がより良い方向に向かうことに賭けたいとも思います。

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