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AI 時代の学生スタートアップとビジネス起業教育の課題 (2026年版)

AI 時代の学生スタートアップとビジネス起業教育の課題

大学等におけるビジネス起業教育(狭義のアントレプレナーシップ教育の一種)は、この10年ほど、ある程度決まった型で行われてきました。

ソフトウェア開発技術を持った学生や技術を学びたい学生に、リーンスタートアップやデザイン思考、顧客開発といった「早く作って、早く確かめる」「ビルの外に出て顧客に会う」といった方法論を教え、作業できる場所を用意してプログラムを運営し、人が集まると、相談できる仲間も生まれ、うまくいけば学生プロジェクトとして始めたものが、急成長するハイグロース・スタートアップになる、という型です。

そしてもう一つの前提として、学生がスタートアップを始めやすいという条件がありました。経験や資金、人脈では社会人にかなわなくても、学生には時間と身軽さがあり、それを生かした行動量で勝負できたからです。自分たちが利用者でもある消費者向けのサービスに需要があり、パソコン一台とわずかなクラウドの費用があれば作り始められました。大人たちの少ない、若者だからこそできる市場が急に出てきたとも言えます。

業界の成熟やAIの登場によって、この条件が変わりつつあるように見えます。また、こうしたビジネス側の変化にあわせて、教育の側でも、これまでの方法論や場が以前のようには機能しづらくなっています。そしてそれらが重なった結果として、ハイグロース・スタートアップを生み出すことと、学生へのアントレプレナーシップ教育とが離れはじめているなかで、どのようにビジネス起業の教育を行っていくべきか、改めて考えていく必要があるのではないでしょうか。

本稿では、そうした課題を整理し、今後何をしていけば良いのかを議論するための材料を示したいと思います。なお、あくまで全体傾向の話であり、個別の具体例では異なる例もあるかと思いますので、その点はご留意ください。

7 つの課題

AIの普及と近年のスタートアップ環境の変化によって、学生スタートアップを取り巻く条件と、これまで前提とされてきた教育の型は、複数の側面から同時に揺らいでいます。ここでは、現在起きている変化を7つの課題として整理します。最初の三つは学生スタートアップを取り巻く課題です。どこにどんな事業が求められているかという需要の側と、学生が事業をつくる手段という供給の側に分かれます。続く三つは教育の側の課題で、最後の一つは、それらが重なった結果として起きていることです。

需要の変化

  1. 作るべきスタートアップの姿が10年前と変わった:コードを書くこと自体の差別化要素が薄れ、業界への深い入り込みや販路、独自データなどが問われるようになった。
  2. 学生の強みだった行動量が届く範囲から需要が遠ざかった:需要の中心がB2CからエンタープライズやAIインフラへと移り、学生の手や実感の届く範囲から需要が離れていった。

供給の変化

  1. 競争に加わるためのコストが上がり見積もりにくくなった:AIの定額プランや従量課金、円安によって、ソフトウェア開発を始めるためのコストが上がり、事前の見積もりも難しくなった。

教育の変化

  1. リーンスタートアップやデザイン思考が必要だが十分ではなくなった:市場が自然に急成長しない領域では、仮説検証の前に「どこで戦うか」という市場選択の判断が不可欠になった。
  2. ラピッドプロトタイピングが力量も本気度も示さなくなった:AIで誰もが見栄えの良いものを作れるようになり、動く成果物だけでは技術力やコミットメントの高さを証明できなくなった。
  3. 人に相談しなくてよくなり集まる理由が薄れた:AIが日常的な相談相手を引き受けるようになり、工房やインキュベーション施設に集まる必然性が低下した。

その結果

  1. ハイグロース・スタートアップの創出と起業家教育が離れはじめた:ここまでの課題が重なった結果、学生にできることとスタートアップに求められることの距離が開き、教育と急成長スタートアップの創出を一つの枠組みで両立させにくくなった。

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以下、それぞれの課題について詳しく見ていきます。

課題1 作るべきスタートアップの姿が10年前と変わった

10年ほど前、大学で起業を志す学生にとって、お金を儲けることと、自分のアイデアを表現すること、そしてITやソフトウェアに取り組むことは、ほぼ同じ一つの道でした。プログラミングを覚えればアイデアをアプリとして形にでき、それがそのまま自己表現になり、うまくいけばわずかな資金で急成長するスタートアップにもなりえました。これが一つの道でいられたのは、スマートフォンとクラウドの普及期が重なっていたからです。当時の大学のプログラムに人が集まったのは、どの動機を持つ学生もそこに来れば満たせたからだと思います。

この数年で、三つは別々の道に分かれました。プロトタイプ的なソフトウェアは誰でも作れるようになり、作ったこと自体では差がつきません。自己表現としての開発はAIを使えば一人でも十分にできますが、誰でも作れるものは、そのままでは事業になりにくいとも言えます。お金を稼ぎたい学生には、起業よりも直接的な選択肢が他にあります。情報系が花形だった状況も変わりつつあり、コーディングはAIの影響を最初に大きく受けた仕事の一つになりました。

求められるスタートアップの姿も変わっています。リーンスタートアップの考え方の生みの親の一人であるスティーブ・ブランクは、「教室の外の世界は変わったのに、授業は変わっていない」と題した記事を書いています。そこでブランクは、作ることが安くなり誰もが同じ道具を持つようになった今、足りないのは人々の注意や販路、独自のデータや業務への深い入り込み、そして規制当局や医療者、支払い側が受け入れる証拠だと整理しています。Moatもコードからデータや業務の深さ、販路、信頼性などに移ったと見ています。10年前はコードを書ければ起業を始められましたが、今は特定の業界や現場に深く入り込めることが求められつつあります。

課題2 学生の強みだった行動量が届く範囲から需要が遠ざかった

これまで、学生発のスタートアップの強みは行動量でした。経験や資金、人脈では社会人にかなわない代わりに、時間と身軽さを生かして、とにかく数多く動くことです。新しい技術をいち早く学んで実装し、多くの人に会って需要を探り、うまくいかなければすぐに次を試す、というやり方です。需要の把握もコーディングも、行動量で補える部分が大きかったと思います。

ただし、行動量が強みになるのは、それが届く範囲に需要がある場合に限られます。その需要の場所が、この十数年で少しずつ学生の領分から離れていきました。

2013年頃までの需要は、主に消費者向け(B2C)のアプリやサービスでした。学生自身が利用者でもあるため、何が求められているかを実感としてつかみやすく、作ってすぐに友人に試してもらうこともできました。その後の数年は、企業向け(B2B)の中でも中小企業や中堅企業、あるいはスタートアップを顧客とする領域が中心になりました。学生にとっては少し遠くなりましたが、意思決定が速く、話を聞きに行けば会ってもらえる相手が多い領域です。2020年頃からは、需要の中心がエンタープライズへと移っていきました。大企業の業務や調達の仕組みは、学生が実感として把握できる範囲から外れています。

そしていま、最も大きな需要はAIにあります。生成AIを応用したアプリや開発ツールには、まだ若手の可能性はあると思います。一方で、インフラとしてのAIへの需要は、半導体や電力といった、学生の手がほとんど届かない領域に向かっています。そしてそうした領域は、おそらくソフトウェア単体では到達できず、業界との深い関係や現場での検証、そして多額の資金を必要とします。

その資金を調達するのも容易ではありません。ベンチャーキャピタルも大きく変わりました。ブランクの同じ記事によれば、米国では資金調達が二極化し、売上が立つまで自己資金で進めるか、計算資源と販路のために大きく調達するかのどちらかになり、エンジニアを雇うための調達はほとんど見られなくなったそうです。

行動量という学生の強みは、需要を実感としてつかめる場所にあり、ソフトウェアを作ることに技能が必要でコストがかかった時代にこそ最も力を発揮しました。いまは需要が遠ざかり、作ることでは差がつかなくなったことで、その強みが通用する範囲が狭くなっています。

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そして「どの市場のどこで探索するか」がある程度学生の直感と近かった頃から、市場をかなり選んで入っていかなければならない状況へと変わってきたように思います。それでも大量に行動して道を開く学生や若手はいますが、事業を通して段階的に成長していくような機会は徐々に減っていくことになるでしょう。

一方で、米国では逆に見える動きもあります。Fortuneの記事によれば、投資会社Antlerのデータでは、AIのユニコーン企業の創業者の平均年齢は、2020年の40歳から2024年には29歳まで下がったそうです。Y Combinatorのデモデイでは、大学を中退したことをピッチで強調する創業者が増えているとも報じられています。学生や学生に近い年齢の創業者が、むしろ前に出てきているように見えます。

とはいえこれはシリコンバレーにかなり限定的な動きのようにも見えており、AIの開発の最前線にいて、投資家の目に留まる場所にいる、ごく一部の学生に大きな資金が集まっているのではないかと考えています。学生にとっての入口は一様に狭まったわけではないでしょうが、かつてのようではない、とも言えます。

課題3 競争に加わるためのコストが上がり見積もりにくくなった

需要の側だけでなく、供給の側、すなわち学生が事業をつくる手段の側でも、条件は厳しくなっています。

これまで、ソフトウェアで起業するための元手はわずかな額で済みました。必要なのはパソコンと、わずかなクラウドの費用くらいです。パソコンは多くの学生がすでに持っていますし、クラウドには無料枠もありました。あとはコーディングに時間を注ぎ込めばよく、その時間こそが学生の持っている資源でした。

いまや起業を目指すのであれば、AIを使いこなせることが最低条件です。そして、AIを使った開発では行動量の意味が変わります。いまは、AIにどれだけ長く、どれだけ多く作業をさせられるかが行動量を左右します。行動量の一部が、時間ではなくお金で買うものになりつつあります。時間はあってもお金のない学生にとって、これは不利な変化です。(とはいえAIのうまい使い方や、安いプロバイダを見つけるのが上手なのも若手なので、こうした点で可能性はあると思います。)

その費用は二段構えになっています。一つは、AIサービスの定額のプランです。ChatGPTの場合、Proプランは日本では月額16,800円(月100ドル)で提供されており、こちらはコーディングエージェントを長時間、高い負荷で使う人に向けたものと位置づけられています。もちろん月額3,000円のPlusでもできることは多くありますが、AIに長い時間コードを書かせ続けるような使い方をしようとすると、上位プランとの差は小さくありません。

もう一つは、使った量に応じてかかるトークン費用です。開発の過程でAIを動かす費用に加え、自分のプロダクトにAIを組み込めば、ユーザーが使うたびに費用が発生します。この従量の費用は、企業にとっては利益率を押し下げる要因になっています。ブランクも、推論のコストによって事業の採算構造が変わり、利益率が圧迫されていると指摘しています。

日本にとっては円安がこの状況に拍車をかけています。アメリカの人にとって、月100〜200ドルは外食を2回ほど我慢すれば払える程度の感覚かもしれません。一方で日本の16,800円は、1回1,000円台の外食に換算すると十数回分に相当します。ドル建てのトークン費用も、円安の分だけ重くなります。同じ道具を同じだけ使うための負担感が、日本の学生にとってはずっと重くなっています。

では大学がAIの利用費を負担すればよいかというと、それも簡単ではありません。かなり単純化した計算ですが、100人の学生に月16,800円のプランを3ヶ月提供するだけで、約500万円かかります。OpenCode GoやLocal LLMなどをうまく使う手もあると思いますが、それを整備する側には相応の負担とコストがかかります。追加のトークン費用を含めればさらに膨らみ、しかもその額を事前に見積もることも難しいでしょう。学生全員に行き渡らせ続けるのは、多くの大学にとって現実的ではありません。

課題2で見たように、いま伸びている領域は低コストで始められる領域とは限りません。それに加えて、かつては低コストで始められたソフトウェアの領域でさえ、始めるためのコストが上がり、見積もりにくくなっています。需要の側では行動量が届く範囲から需要が遠ざかり、供給の側では競争に加わること自体が難しくなっているということです。

課題4 リーンスタートアップやデザイン思考が必要だが十分ではなくなった

こうしたビジネスの変化を受けて、ハイグロース・スタートアップを前提としたビジネス起業教育も変わりつつあります。

この10年ほど、大学の起業家教育の中心にはリーンスタートアップやデザイン思考がありました。人々のニーズを観察して課題を見つけ、小さく作って確かめ、学びながら方向を修正していく方法論です。技術を持った学生に、社会実装の手順としてこれらを教えるという型が、多くのプログラムで採られてきました。

これらの考え方は、スモールビジネスにとっては今でも必要十分かもしれません。目の前の顧客の課題を見つけ、それを解決して対価を得ることを続けていくには、ニーズを確かめながら作るという手順で、多くの場合は事足ります。

ハイグロース・スタートアップにとっても、かつてはそれに近い状況がありました。スマートフォンやクラウドの普及期のように、市場そのものが自然と大きく伸びていく時期には、伸びる市場の中で目の前の顧客の課題を見つけて素早く改善を重ねれば、事業も市場とともに大きくなりえたからです。どの市場に乗るかを深く考えなくても、市場の伸びが事業を大きくしてくれました。

しかし、市場が成熟してきた領域では事情が違います。顧客の課題を見つけて確かめる手順は今も省けませんが、それだけでは事業は大きくなりません。目の前の顧客の課題をうまく解いても、その市場自体が伸びなければ、行き着く先はスモールビジネスです。そしてより大きな課題に挑もうとすると、それは顧客の「現場の人」の課題ではなく、経営の課題となり、会うべき人は事業部長などの幹部レベルになります。そうした人に学生はなかなか会うこともできません。

大きな事業を行っていくときにも仮説検証の考え方は必要です。その意味で、リーンスタートアップやデザイン思考は今でも必要です。しかし、かつてに比べて、それは必要ではあるが十分とは言えなくなってきているように思います。

そうであれば、本当に伸びる領域を見つけることが必要になります。ニーズをどう確かめるかの前に、どこで戦うかを選ぶ判断が問われるということです。ところが、いま伸びている領域が、低コストで学生でも始められる領域かというと、それはまた別の話です。課題2で見たように、AIのインフラへの需要は半導体や電力に向かい、AIの応用で勝負になるのは業界との深い関係や多額の資金を要する領域です。伸びる領域を見つけることと、そこで学生が始められることは、必ずしも一致しなくなっています。

方法論を教えるだけでは足りず、かといって伸びる領域を教えても、学生がそこで始められるとは限りません。

課題5 ラピッドプロトタイピングが力量も本気度も示さなくなった

リーンスタートアップの中核にあったのが、早く作って早く確かめるラピッドプロトタイピングです。工房のようなスペースも、作るコストを下げてこのサイクルを速く回すための設備として位置づけられていました。

この考え方は、作ることにそれなりの時間と技能が必要だったからこそ機能していました。短い期間で動くプロトタイプを作れたことは、二つのことを示していたからです。一つはチームの技術力です。もう一つは、それを作るために時間を割き、新しい技術を学び、本気で取り組んだというコミットメントの高さです。

AIはこの前提を変えました。ソフトウェアであれば、見栄えのよいプロダクトが数時間で出来上がります。その結果、プログラムの成果物を見た人が「AIを使えば誰でもできる」という印象を持ちやすくなりました。作れたことを、外部の誰も評価してくれなくなりつつあります。そして、より見過ごされやすいのは、成果物だけではコミットメントの高さが分からなくなったことです。同じ見た目のプロダクトが、何週間も考え抜いた末に作られたものなのか、週末に思いつきで作られたものなのか、外からは区別がつきません。

ブランクも、似た変化を自分の教室で経験したと書いています。2026年春のスタンフォードの授業では、初日から各チームがAIで作った完成品に近いプロダクトを持ってきました。ところが授業が進むにつれて学びは停滞し、学生は顧客の代わりにAIから洞察を得てそれを正しいと思い込み、反証よりも称賛を集めるようになったそうです。ブランクは、プロダクトがあることはもはや顧客理解も仮説検証も示さないと結論づけ、ボトルネックは作る時間とコストから、何を誰のために作るかという判断に移ったと述べています。顧客の側もAIを使い、学生と同じ速さで代替品を自作できるようになっていたことも報告しています。

ブランクはMVPをIUP(Initial Untested Product、検証されていない初期プロダクト)と呼び直しました。もっとも、これは用語の置き換えに近く、顧客と話して仮説を検証するという骨格そのものは変わっていないと見ることもできます。だとすると、変わったのは方法論の中身というより、どこが難所になるかだと言えます。

プロトタイプには、チームが顧客や技術について学ぶための道具としての役割と、外部に対して力量やコミットメントを示す証明としての役割がありました。前者は今も機能します。しかし後者はほぼ失われました。

課題2で触れた、米国で大学を中退したことが創業者の経歴として好まれるようになっている動きも、この変化と関係しているのかもしれません。作れたことが本気度の証明にならなくなれば、投資家は別の手がかりを探すことになるでしょう。学業という退路を断ったことは、外から見て分かりやすい手がかりです。ただ、それは本気度を示すためのリスクを学生の側に負わせる手がかりでもあります。この点は、後で評価の仕方と合わせて考えます。

課題6 人に相談しなくてよくなり集まる理由が薄れた

大学のインキュベーション施設や学生向けの工房は、機材を置く場所であると同時に、人に相談できる場所でもありました。コードが動かないときに隣の学生に聞くことや、技術職員に加工の方法を教わること、そしてたまたま居合わせた人から思わぬ情報を得ること。場所の意味の多くは、こうした相談や偶然の出会いにあったと思います。

AIは、この相談の多くを代わりに引き受けるようになりました。エラーの原因を調べてコードを直し、事業計画の穴を指摘し、市場調査までこなします。わざわざ誰かのところに出向かなくても、自宅で一人で、深夜でも答えが返ってきます。人に相談する必要が減れば、そのために集まる必要も減り、場所の必要性も下がります。少人数のチームのままで長く事業を進められるようになったことも、この傾向を後押ししています。

もちろん、場所への需要がなくなるわけではありません。物を置いておく場所や特殊な設備、チームで一緒に作業する場所は、今も必要とされます。ただ、汎用的な工房と人が集まるコミュニティを組み合わせたかつての形は、以前ほど人を集めなくなっていると考えています。おそらく、研究室などでも同じような悩みはあるのではないかとも思います。

一方で、人に相談しなくなることには見えにくい代償もあります。AIは相談者の考えを正面から否定することが少なく、もっともらしい答えを返します。ブランクの授業で学生がAIから得た洞察を正しいものとして扱ってしまったのも、その表れでしょう。人に相談する場面には、自分の考えに反する意見をぶつけられる機会が含まれていました。場所に集まらなくなることで失われるのは、その機会のほうかもしれません。この点は、後で人に会って検証する話と合わせて考えます。

課題7 ハイグロース・スタートアップの創出と起業家教育が離れはじめた

ここまでの課題の結果として、この数年で起きているのが、ハイグロース・スタートアップを生み出すことと、学生へのアントレプレナーシップ教育とが離れはじめていることです。

これまでの多くの大学プログラムは、教育の看板を掲げながらプロジェクトを育てていけば、結果としてそれなりの確率でスタートアップが生まれる、という前提で運営されてきました。教育として学生に経験を積ませることと、高い成長を目指すスタートアップを生み出すことが、同じプログラムの中で両立していたのです。この前提は、学生ができることと、スタートアップに求められることとの距離が近かったからこそ成り立っていたのだと思います。

その距離は徐々に広がりつつあります。求められるのは伸びる領域を選ぶ判断や業界への深い入り込み、独自データ、多額の資金であり、学生が持ちにくいものばかりです。始めるためのコストも上がりました。成果物から本気度を見分けることも難しくなり、教育の場から有望なチームを選び出す手がかりも弱くなっています。その結果、教育として意味のあるプログラムを運営しても、そこからハイグロース・スタートアップが生まれる確率は下がり、逆にハイグロース・スタートアップを生み出そうとすると、学生向けの教育とは別の仕組みが必要になりつつあります。

両者が離れはじめた以上、教育の側も次の問いに答える必要があります。スタートアップを生み出すことを目標に据えなくなったとき、大学の起業家教育は何を目指し、何を教えるのか、という問いです。

何を教えればよいのか

これまでの型を一言でいえば、「エンジニアリングの背景を持った学生に対して、技術はある程度できる前提で、社会実装の方法論を教える」というものでした。しかし技術はAIが肩代わりするようになり、方法論もまた、課題4で見たように、市場が自然と伸びていく時代には十分でも、いまは必要条件の一つにとどまっています。

加えて、これまでの起業家教育は、学生の行動量を引き出すことに力を注いできました。とにかく手を動かそう、とにかく人に会いに行こう、という助言です。その行動量の一部がお金で買えるようになり、しかも行動量の届く範囲での需要が細ってきた今、行動量を引き出すことだけを教育の中心に置くのは難しくなっています。

では、今のスタートアップの作り方をそのまま教えればよいかというと、それにも不安が残ります。AIを使った開発の方法や、いまの資金調達の環境、伸びている事業の型を教えれば、学生にとっては分かりやすく、すぐに役立つ実感も持てます。しかし、そうした実践教育が、MBAや職業学校以外の教育機関で行う教育なのか、というとやや疑問が残ります。

スモールビジネスであれば、話はもう少し単純です。課題4で書いたように、リーンスタートアップやデザイン思考は今もスモールビジネスには十分に使えますし、AIで作るコストが下がったことで、少人数や一人で営む事業はむしろ始めやすくなっています。その始め方や回し方には様々な伝え方や教え方があり、それを教えることには一定の意味があると思います。

しかし、それを中心に据えていくことが本当に良いのかについては、考えるべき点があるように思います。大学の外にも学べる場が増える中で、大学がそれを担う理由は何かという点や、社会が大学の起業家教育に何を期待しているかという点などです。また、起業を推進する目的が、自己実現の支援なのか、地域振興なのか、社会課題解決なのか、経済成長なのかによっても、答えは変わるでしょう。

次の一手

以下の方向性は、いずれも試しながら確かめていく仮説です。

方向性1 目的を定めてからプログラムを設計する

課題7で見たように、スタートアップ創出と起業家教育は離れはじめています。それにもかかわらず、大学のプログラムは二つの目的をこれまで曖昧なまま両立させてきました。両者の距離が近かったころはそれで回っていましたが、いまはどちらに振るのかを決めないと、設計も評価もぶれてしまいます。

教育に振るのであれば、できるだけ多くの学生に、長く使える考え方や将来の領域についての知識を届けることが目標になります。スタートアップ創出に振るのであれば、少数のチームを選び、資金と手厚い支援をつけ、高い目標に挑めるようにする必要があるかもしれません。

課題2で見た米国の若い創業者たちは、主に投資家の側から、少数に絞った大きな資金と支援を受けています。日本では、この道はさらに細いと考えています。若い創業者に大きく賭ける資金の層は米国ほど厚くないように見えますし、新卒一括採用の慣行のもとでは、大学を中退して起業することの負担も米国より重く感じられるでしょう。だとすれば日本では、少数の学生が大きく挑むための道を、大学や支援する側が意図して用意する必要があるのかもしれません。

両者を段階としてつなぎ、前半は多くの学生が参加する教育の場とし、後半は選抜したチームだけが資金と支援を受けて進むという設計も考えられます。その場合、選抜の基準は見直したほうがよいと考えています。成果物では本気度が分からなくなった以上、どれだけの人に会い、何を確かめ、実在の相手からどんな約束を取りつけたかといった、時間と労力をかけなければ得られないものを手がかりにすることになるでしょう。いずれにしても、まず目的を定めるところから始める必要があると考えています。

方向性2 長く使える考え方を大きな挑戦の中で鍛える

仮説を検証するという考え方は、教育の中心に置く方法論としてではなく、大きな挑戦の中で使う道具の一つとして位置づけるのがよいと考えています。小さな事業の仮説であれば、AIで作って試すこと自体が安くなり、検証の手順を身につけなくても試行錯誤で済んでしまいます。検証の考え方が必要になるのは、作るだけでは答えが出ない、より大きな問題に挑むときです。

大きな挑戦では、仮説検証のほかにも必要な道具があります。10年かける意味のある問題を選ぶこと、技術のコストや需要の変化を予測すること、何度も試せない中で最も危ないリスクから順に取り除く計画を立てること、ある産業で誰が意思決定し誰がお金を払うのかを読み解くこと、そして仲間や資金や協力先を巻き込むことです。課題4で書いた「どこで戦うかを選ぶ判断」も、これらの道具によって支えられます。いずれも作業の手順ではなく判断に関わるもので、AIの登場より前から存在し、これからも使い続けられる見込みが高いと考えています。

これらの道具の多くは、高価なAIのプランがなくても学べます。課題3で見た、競争に加わるためのコストの問題を、教育の段階ではある程度避けられるという利点もあります。

仮説を立てて検証していく

ここまで、ハイグロース・スタートアップの創出と起業家教育が離れはじめた経緯を確認してきました。その変化は徐々に起こってきましたが、AIの登場がその変化をより明確なものにした、とも言えます。

そうした明白な変化があったからこそ、いま狭義のアントレプレナーシップ教育としてのビジネス起業教育を考え直すときではないかと考えています。

社会にもっとも近い領域だからこそ、起業やビジネスの教育は社会の変化に合わせて変わっていく必要があると考えています。そうした変化を受け止めて、これまでの教育方法を見直し、その状況の変化を踏まえた上で教える側が仮説を立て、それを検証していく、そうしたフェーズに改めて入ったのではないかと感じています。そうした議論を行うための状況の整理として、ブログ記事としてまとめておきます。

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