<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><channel><title>馬田 隆明のブログ（オピニオン）</title><description>馬田隆明のブログの「オピニオン」の記事。</description><link>https://takaumada.com/blog/tags/opinion/</link><language>ja</language><atom:link href="https://takaumada.com/blog/tags/opinion/rss.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title>大学をアンバンドルする</title><link>https://takaumada.com/blog/unbundling-the-university/</link><guid isPermaLink="true">https://takaumada.com/blog/unbundling-the-university/</guid><description>大学は近代国家や多くの企業よりも長い歴史を持つ制度です。長い歴史のなかで、知と人を育む器としての大学は、世紀を超えて存続してきました。だからこそ大学の意義を考える時間軸は、数年の改革や10年の計画にとどまらず、数十年、あるいは世代の単位にな…</description><pubDate>Thu, 24 Sep 2026 01:40:59 GMT</pubDate><content:encoded>&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924102918.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大学は近代国家や多くの企業よりも長い歴史を持つ制度です。長い歴史のなかで、知と人を育む器としての大学は、世紀を超えて存続してきました。だからこそ大学の意義を考える時間軸は、数年の改革や10年の計画にとどまらず、数十年、あるいは世代の単位になるのではないかと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;たとえば現在の科学技術研究の体制の多くは、1945年、第二次世界大戦の終結とともに始まりました。しかし、戦前と戦後を&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/japan-postwar-25-years/&quot;&gt;以前の記事&lt;/a&gt;で振り返った通り、明治維新 (1868年) から終戦までが約80年、そして戦後から現在までは約80年経過しており、1945年の体制を維持することが良いのかは改めて考えたほうがよいのかもしれません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;実際、国際秩序の在り方は今まさに大きく変わろうとしていますし、科学技術関連の様々な動きが諸外国では見られるように思います。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;戦後の科学体制の変化の兆し&quot;&gt;戦後の科学体制の変化の兆し&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;現在の大学の在り方に大きな影響を与えたのは、1945年7月のブッシュ報告です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;米国の科学研究開発局（OSRD）局長ヴァネヴァー・ブッシュは、戦時に大学の研究者をレーダーや原子爆弾の開発へ動員した経験を平時に引き継ぐ構想として、報告書『&lt;a href=&quot;https://nsf-gov-resources.nsf.gov/2023-04/EndlessFrontier75th_w.pdf&quot;&gt;科学——果てしなきフロンティア（Science, the Endless Frontier）&lt;/a&gt;』をトルーマン大統領に提出しました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;内容としては、政府は大学の基礎研究に資金を投じるけれど、中身には介入せず、成果はいずれ新産業や公衆衛生、国防の力として社会に還元される、といった公的な投資の色の強い思想であり、社会契約です。この考え方は1950年の全米科学財団（NSF）設立で制度となり、戦後の米国の研究大学は各国の手本となりました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その米国で変化が起きています。NSFは2026年5月、&lt;a href=&quot;https://www.nsf.gov/news/nsf-announces-15b-nsf-x-labs-initiative-pursue-generational&quot;&gt;「NSF X-Labs」&lt;/a&gt;の創設を発表しました。今後10年で15億ドルを投じ、学術機関の外に独立した研究組織を立ち上げ、専任チームに運営の自律とマイルストーンごとの資金を与える取り組みです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大学の役割そのものを問い直す議論も出ています。ベン・ラインハート（Ben Reinhardt）は2025年のエッセイ「&lt;a href=&quot;https://www.unbundle-the-university.com/&quot;&gt;大学をアンバンドルする（Unbundle the University）&lt;/a&gt;」で、大学は教育、研究、資格認定、技術開発、政策提言、スポーツ興行、資産運用までを抱え込んだ「バンドル（集積体）」であり、その一部を担う専門機関を大学の外に増やすべきだと主張しました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;束ねることと切り離すこと（バンドルとアンバンドル）という見方は、テックブロガーのベン・トンプソンやアナリストのベネディクト・エヴァンスが、新聞やテレビ、ソフトウェア産業の構造転換を読み解くのに用いてきたものです。本稿はベン・ラインハートのエッセイを参照しながら、このアンバンドルの見方を大学に当てはめ、長期の軸でこれからの日本での大学の在り方を考えてみようという試論です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;まず、大学が何をバンドルしてきたのかを振り返ります。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;第i部-大学は何をバンドルしているのか&quot;&gt;第I部 大学は何をバンドルしているのか&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;まず、大学が何を一つにバンドルしているのかを整理します。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;大学は教育と研究だけの機関ではない&quot;&gt;大学は教育と研究だけの機関ではない&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;大学は様々な機能やサービスを持っており、学生には1つのセット（バンドル品）としてそれらを販売しています。しかし学生以外にも様々なステークホルダーを持っているのが現在の大学です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;カリフォルニア大学総長のクラーク・カーは1958年、キャンパスの三大問題は「&lt;a href=&quot;https://newsarchive.berkeley.edu/news/media/releases/2003/12/02_kerr.shtml&quot;&gt;学生にとっての異性、卒業生にとっての運動部、教員にとっての駐車場&lt;/a&gt;」だと冗談めかして語りました。教育も研究も入っていません。大学が担ってきた機能を整理すると、次のようになります。&lt;/p&gt;

















































&lt;table&gt;&lt;thead&gt;&lt;tr&gt;&lt;th&gt;機能&lt;/th&gt;&lt;th&gt;中身の例&lt;/th&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/thead&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;教育&lt;/td&gt;&lt;td&gt;講義、ゼミ、教養教育、専門の知識と技能の伝達&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;選抜と証明&lt;/td&gt;&lt;td&gt;入学者選抜、学位授与、企業に対するシグナリング&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;研究&lt;/td&gt;&lt;td&gt;新しい知識の探索と検証、後進研究者の育成&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;知識の保管&lt;/td&gt;&lt;td&gt;図書館、博物館、標本や研究データの蓄積&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;若者の移行と共同生活&lt;/td&gt;&lt;td&gt;寮、部活動やサークル、友人やパートナーとの出会い&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;人脈の形成&lt;/td&gt;&lt;td&gt;同窓会、就職の仲介、卒業後の相互扶助&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;スポーツ&lt;/td&gt;&lt;td&gt;大学名を冠した競技と興行&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;医療&lt;/td&gt;&lt;td&gt;附属病院の高度な臨床医療&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;資産運用&lt;/td&gt;&lt;td&gt;寄付金や基金（エンダウメント）の運用&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;社会実装と政策支援&lt;/td&gt;&lt;td&gt;産学連携、技術移転、政策助言、地域活性化&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;
&lt;p&gt;教育と研究以外の機能も小さくありません。&lt;a href=&quot;https://www.mext.go.jp/content/20250331-mxt_hojinka-000041313_2.pdf&quot;&gt;日本の国立大学法人全体の2023年度決算&lt;/a&gt;では、経常収益約3兆4,266億円の約4割が附属病院の収益です。米国では&lt;a href=&quot;https://www.nacubo.org/Press-Releases/2026/US-Higher-Education-Endowments-Report-Stable-Returns-Increase-Spending-to-33-4-Billion-in-FY25&quot;&gt;657大学の基金&lt;/a&gt;の合計が9,443億ドルに達しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;産業界の一部の人などでも、学位の価値の相当部分が講義の外にあると見て、「授業に行かなかった」ことを誇らしげに語ることはしばしば見られます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;バンドルされてきた理由とアンバンドルされる理由&quot;&gt;バンドルされてきた理由とアンバンドルされる理由&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;なぜこれほど多様な機能が一つの機関に束ねられてきたのでしょうか。理由は少なくとも4つあると考えています。知識を届けるには人が一か所に集まる必要があったという技術の制約、大学が与える信用、多様な収入を一つにまとめる財政、そして国家や企業などからの期待です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;技術の制約は、新聞と比べると分かりやすくなります。トンプソンは&lt;a href=&quot;https://stratechery.com/2017/the-great-unbundling/&quot;&gt;「The Great Unbundling」&lt;/a&gt;（2017年）で、新聞が報道、広告、求人、天気予報を一つにできたのは、印刷設備と配達網という高価な流通基盤を握っていたからだと説明しました。大学でも、かつて知識の伝達には教員と学生が同じ場所に集まる必要があり、キャンパスと教授陣は新聞の印刷所や配達網のような希少な流通チャネルでした。図書館や実験室のように固定費の大きい設備も、多くの学部で共有するほうが安く済みます。20世紀に研究が巨額の設備を要するようになると、それを維持できる大組織であること自体が強みになりました（第IV部で見ます）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大学のブランドは、教育の質と卒業生の能力をまとめて保証する信用として働いてきました。この信用は制度にも支えられています。日本で学位を授与できるのは、法律上、大学と大学改革支援・学位授与機構に限られます。米国で連邦の奨学金を使えるのは、認定（アクレディテーション）を受けた機関で学ぶ場合に限られます。学ぶ場所と学んだことの証明、さらに学費の資金までが同じ機関に結びついているため、学生は機能ごとに別の担い手を選びにくくなっています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;財政の面では、授業料、国の交付金、研究費、寄付が一つの財布に入ることが束を支えてきました。この仕組みのもとで、利益を生みにくい分野を他の収入で支える内部補助が働きます。研究費に上乗せされる間接経費も、図書館や事務組織のような共通の基盤を支えています。束であることが、単独では成り立ちにくい学問を守る仕組みにもなってきたわけです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;国家や企業も、大学に機能を集めてきました。国家が研究と専門人材の育成を大学に託したのは、国際競争に備えるためです。帝国大学は「国家ノ須要ニ応スル」ことを目的に掲げ、戦後の米国は1945年のブッシュ報告に沿って連邦の研究資金を大学に注ぎました。現在は国際大学ランキングが、統合と大規模化を後押ししています。企業は採用の選抜を大学の入試に委ね、共同研究の相手としても期待を寄せてきました。家計は子どもの就職を、地域は若者の定着と人材の養成を期待します。新しい課題が生まれるたびに専用の組織を作るより、既存の大学に載せるほうが早く、予算の説明もしやすかったのだと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大学の側も、こうした期待を成長の機会として取り込みました。研究費を得て大学院と研究所を広げ、附属病院や運動部、資産運用のような事業も抱え、機能を足すたびに規模と影響力を増してきました。カリフォルニア大学総長を務めたクラーク・カーが1963年に、多様な機能と利害関係者を抱える巨大大学を「マルチバーシティ」と呼んだのは、この姿です。一方で、資金の出し手が増えるほど、大学は国家や企業への依存も深めていきました（第IV部・第V部で見ます）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103031.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これら4つの理由は互いを強め合っています。国家や企業の資金が集まれば研究と設備が充実し、それがブランドを高め、優秀な学生と次の資金を呼び込みます。そのため、どれか一つが弱まっても束はすぐには解けません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;インターネットが弱めたのは、4つの理由のうち主に技術の制約でした。流通コストが下がると、新聞もケーブルテレビも用途ごとに分解されていき、エヴァンスは、インターネットのサービスはバンドルとアンバンドルを周期的に繰り返すと&lt;a href=&quot;https://www.ben-evans.com/benedictevans/2013/9/21/atomisation-and-bundling&quot;&gt;論じています&lt;/a&gt;。2012年にMOOCが注目されると、クレイ・シャーキーも&lt;a href=&quot;http://www.shirky.com/weblog/2012/11/napster-udacity-and-the-academy/&quot;&gt;「我々にとってのMP3はMOOCであり、ナップスターはUdacityだ」&lt;/a&gt;と書き、大学に同じ変化が起きると見ました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかし大学の崩壊は起きませんでした。学位の信用、学費と研究費の流れ、企業の採用慣行は大学に結びついたまま残り、投資家のスタトンが学位の価値に数えた人のつながりや通過儀礼も、オンライン講座では置き換えられなかったからです。アンバンドルが進むのは、特定の機能について外により優れた担い手が現れ、資金と信用の流れもその担い手に向かうときだと考えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そうだとすれば、問うべきは何が安くなるかより、何を束ねておく理由がいまもあるのかです。共同で維持するしかない高価な設備や、利益を生みにくい学問を支える内部補助、長い時間をかけて知見を確かめ合う研究者の共同体、など、束であることが強みになる機能も存続しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一方で、束ねておく理由が薄れたのに、資金と信用の経路が大学にしか通っていないために残っている機能もあるはずです。AIが個別指導や添削のコストを下げ、政府や財団が大学の外の研究組織に直接資金を出し始めたいま、この二つの見分けは以前より差し迫った課題になっています。後者を大学の外に出すには、外の担い手に資金と信用が届く経路を先に作っておく必要があると考えています。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;第ii部-科学のやり方が世界で変わり始めている&quot;&gt;第II部 科学のやり方が世界で変わり始めている&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;この10年ほど、世界では科学の営み方を問い直し、新しい研究のあり方を試す動きが広がっています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103405.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;1科学のやり方そのものを研究し実験するメタサイエンスが広がっている&quot;&gt;（1）科学のやり方そのものを研究し実験するメタサイエンスが広がっている&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;メタサイエンスは、研究費の配分方法、査読の妥当性、研究組織のあり方など、科学の進め方そのものをデータと実験で確かめる領域です。2010年代に、論文の多くが追試で再現できないという「再現性の危機」と、資金や研究者が増えてもブレークスルーが生まれにくくなっているという懸念が、これを後押ししました。2019年には英国で&lt;a href=&quot;https://researchonresearch.org/&quot;&gt;Research on Research Institute（RoRI）&lt;/a&gt;が設立されています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;政府も動いています。英国は2024年、科学・イノベーション・技術省と英国研究・イノベーション機構（UKRI）の合同組織として&lt;a href=&quot;https://www.ukri.org/what-we-do/browse-our-areas-of-investment-and-support/uk-metascience-unit/&quot;&gt;メタサイエンス・ユニット&lt;/a&gt;を設け、研究助成の審査方法の比較実験を始めました。応募者同士が評価し合う分散型ピアレビューでは、審査期間を最大65%短縮できたと報告しています。理念にとどまらず、新しい組織や資金配分の試作品を実際に立ち上げて検証している点が、この潮流の特徴です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;(メタサイエンスについては以前&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/metascience-for-funding/&quot;&gt;別の記事&lt;/a&gt;でも少し書きました。)&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;2大学の外に新しい研究組織が生まれている&quot;&gt;（2）大学の外に新しい研究組織が生まれている&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;新しい研究組織の在り方も模索され始めています。代表例が&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/fro-introduction/&quot;&gt;FRO（Focused Research Organization：特定課題研究組織）&lt;/a&gt;です。非営利組織&lt;a href=&quot;https://www.convergentresearch.org/&quot;&gt;Convergent Research&lt;/a&gt;が推進してきた形式で、論文にも製品開発にも馴染みにくい研究基盤ツールや大規模データセットの開発を、期限と定量目標をもつ専任チームで進めます。米国ではすでに10件が立ち上がり、2026年には英国でも2件が始動しました。ラインハートが指摘するように、大学の研究室では実務の主力が数年で入れ替わる大学院生であり、評価も新規性の高い論文に偏ります。FROはその制約を避けるための組織です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;研究者個人に長期の資金を保証する独立研究所もあります。2021年設立の&lt;a href=&quot;https://arcinstitute.org/programs/core-investigators&quot;&gt;Arc Institute&lt;/a&gt;は、スタンフォード大学やカリフォルニア大学と連携し、中核研究者に8年（更新可）の任期と使途を制限しない資金を提供しています。公的セクターでも、裁量の大きいプログラムマネージャー（PM）が高リスクの研究を主導するDARPA型の機関が、ARPA-E、ARPA-H、ドイツのSPRIND、英国のARIA（2023年発足）と広がりました。冒頭に紹介したNSF X-Labsもその延長にあります。ラインハート自身も2023年、大学にもベンチャーキャピタルにも合わない材料・製造技術の研究開発を進める非営利組織Speculative Technologiesを立ち上げています。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;3財団などの非営利団体から研究資金が出始めている&quot;&gt;（3）財団などの非営利団体から研究資金が出始めている&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;戦後の研究大学を支えたのは、NSFや国立衛生研究所（NIH）など政府の競争的資金でした。&lt;a href=&quot;https://indicators.sciphil.org/key-findings&quot;&gt;サイエンス・フィランソロピー・アライアンスの推計&lt;/a&gt;（2024年のデータ）によれば、米国の大学と非営利研究機関の研究に連邦政府が出す割合は、1960年代の70%超から2024年には50%（636億ドル）に下がりました。財団などの非営利団体からの資金と、過去の寄付で築かれた基金からの支出を合わせたフィランソロピーは270億ドルで、全体の21%にあたります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;財団は大学に寄付するだけの存在ではなくなっています。HHMIは2006年に自前の研究拠点ジャネリア・リサーチ・キャンパスを、シモンズ財団は2016年に&lt;a href=&quot;https://www.simonsfoundation.org/flatiron/&quot;&gt;フラットアイアン研究所&lt;/a&gt;を開き、チャン・ザッカーバーグ・イニシアティブは非営利研究組織&lt;a href=&quot;https://biohub.org/news/ai-biology-cure-disease/&quot;&gt;バイオハブ&lt;/a&gt;を設立しました。Arc Instituteも、パトリック・コリソンらの&lt;a href=&quot;https://www.businesswire.com/news/home/20211215005308/en/The-Arc-Institute-Launches-to-Accelerate-Scientific-Breakthroughs-in-Complex-Diseases-in-Collaboration-with-Stanford-University-UCSF-and-UC-Berkeley&quot;&gt;6億5,000万ドルを超える寄付&lt;/a&gt;で設立されています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;非営利の資金は、単年度予算に縛られる政府の資金より、特定の研究者や組織に長く出し続けやすいという特徴があります。一方で、行き先は出し手の関心に左右されやすく、同アライアンスの&lt;a href=&quot;https://cdn.prod.website-files.com/69fb8bba7d019258b8750838/6a42b465adec88e06ec39523_SPA-Science-Philanthropy-Indicators-Report-2023.pdf&quot;&gt;2023年の報告&lt;/a&gt;では、大学の科学分野の研究に向かう非営利団体の資金の72%が、生物学・医学・健康科学に充てられていたようです（2021年度）。それでも、資金を得る経路は確実に広がっていると言えるでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;4aiが研究の担い手を変え始めている&quot;&gt;（4）AIが研究の担い手を変え始めている&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;2026年には、Google DeepMindの&lt;a href=&quot;https://www.nature.com/articles/s41586-026-10644-y&quot;&gt;「Co-Scientist」&lt;/a&gt;、FutureHouseの&lt;a href=&quot;https://www.nature.com/articles/s41586-026-10652-y&quot;&gt;「Robin」&lt;/a&gt;、Sakana AIらの&lt;a href=&quot;https://www.nature.com/articles/s41586-026-10265-5&quot;&gt;「AI Scientist」&lt;/a&gt;など、仮説の立案から実験設計、解析までを自律的に進めることを目指すAIシステムの論文がNature誌に掲載されました。Anthropicが&lt;a href=&quot;https://www.reuters.com/world/anthropic-quietly-sets-up-biology-lab-it-ramps-ai-drug-program-2026-09-18/&quot;&gt;生物学の研究所&lt;/a&gt;を作り、OpenAIが&lt;a href=&quot;https://openai.com/ja-JP/index/advisory-group-on-mathematics-and-ai/&quot;&gt;数学の未解決問題&lt;/a&gt;に取り組むなど、基盤モデルを提供している会社が研究に近いことを行いつつもあります。（ただし、たとえばRobinの論文でも、候補の確認、実験手順の作成、解析の指示には人間が関わっており、研究の実務がすでに一続きで代替されたわけではありません。）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;上に挙げたAIシステムも、開発の中心は大学ではなく企業や非営利の研究組織です。最先端のAIの開発には大学では持ちにくい規模の計算資源とデータが要るため、研究に必要な資本はAIによってさらに増え、その中心地が大学の外へ移る可能性があります（第IV部で見ます）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ロボットが合成や測定を24時間繰り返す自律実験室の実装も進んでいます。実験や文献調査の相当部分が自動化されれば、大学院生やポスドクの労働力を前提とした研究室の運営は変わらざるを得ないでしょう。同時に、AIが大量の仮説や結果を生み出すほど、何が確かで価値があるのかを批判的に検証する役割は重くなると考えています。この論点には第VI部で改めて見ます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;5教育にも変化が起きつつある&quot;&gt;（5）教育にも変化が起きつつある&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;AIは研究だけではなく、教育のあり方も大きく変えようとしています。たとえば今、大学はこの AI を使った学生のレポートなどに苦慮しており、従来の教育方法なども改めて考え直されようとしているところです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ブルーカラーなどの職種が高賃金化することと、従来のホワイトカラーが溢れることによって、大学進学が割に合う投資かというと、&lt;a href=&quot;https://www.works-i.com/column/labor-market/detail013.html&quot;&gt;そうではなくなりつつあるようです。&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それに加えて2026年9月22日、ベンチャーキャピタルa16zの支援のもと、高校卒業者向けの全日制アカデミー&lt;a href=&quot;https://a16z.com/announcement/incubating-horowitz-andreessen-academy/&quot;&gt;Horowitz Andreessen Academy（HAA）&lt;/a&gt;が発表されました。学位も単位認定もなく、2027年秋に約50名を授業料無料で受け入れる1年制プログラムから始めるようですが、今後は有償の大学へと転換していく計画を持つようです。内容としては、産業界の実務に通年で携わるコーオプ教育、実務家の直接指導、学生主導のプロジェクトが柱です。前例には、大学を離れて挑戦する22歳以下の若者に2年間で25万ドルを給付するティール・フェローシップ（2011年）があります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これらが大学から切り出しているのは、知識の伝達ではないように思われます。知識はすでにAIやインターネットで安く手に入ります。切り出されているのは、志を共有する仲間、実務のネットワーク、現場経験、厳しい選考を通過したという信用です。教育そのものより、選抜と社会への移行を支える機能が、先に大学の外へ出始めていると言えます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;世界の動きは大学の機能を外側からアンバンドルしつつある&quot;&gt;世界の動きは大学の機能を外側からアンバンドルしつつある&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;これらをバンドルの構造に重ねると、FROやNSF X-Labsは目標の明確な技術開発を、ARPA型組織は挑戦的なテーマの目利きと資金配分の権限を、大学の外や専任PMへ移しています。財団は政府とは別の経路で資金を供給し、メタサイエンスは再現性や助成の仕組みを検証の対象にしました。AIは研究室の実務を代替し始め、新しい学校は選抜と実務訓練を切り離しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただし、これらの多くは大学を壊そうとしているわけではないことにも注意が必要です。FROの研究者の多くは大学院で育った人材で、ARPA型機関の資金も大学に流れています。ここで行われているアンバンドルは、大学の外に選択肢を増やし、機能ごとに適した担い手を選べるようにすることだと捉えられます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;研究機能をどう配置し直すかが世界で議論されている&quot;&gt;研究機能をどう配置し直すかが世界で議論されている&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;こうした動きを受けて、この数年の議論の焦点は、「大学か、大学の外か」という二択の議論ではなく、どの研究機能を、どの資金・雇用・評価といった形で担わせるかへと移りつつあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大学の外に研究組織を作ってきた当事者自身、自らの試みを大学の代替ではなく補完と位置づけています。FROを運営するアダム・マーブルストーンらは2025年の&lt;a href=&quot;https://issues.org/focused-research-organizations-fro-marblestone-gamick-wang-fridman/&quot;&gt;振り返り&lt;/a&gt;で、FROは大学研究全般の代替ではないと明記しました。大学の外の研究所の多くは、学部教育から博士の育成までを自前では構築していません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;同時に、研究者個人を支えるのか、専任の組織を支えるのかという設計の対立も浮上しています。米国の&lt;a href=&quot;https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2026/07/Science-A-New-Golden-Age.pdf&quot;&gt;2026年の科学政策構想&lt;/a&gt;が大学という組織より研究者個人を重視する方向を打ち出したのに対し、欧州研究大学連盟（LERU）は、優れた個人にも長期研究、育成、設備、学問の自由を支える大学が必要だと&lt;a href=&quot;https://www.leru.org/news/the-white-houses-science-vision-is-no-blueprint-for-europe&quot;&gt;反論&lt;/a&gt;しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;評価と基盤のあり方も見直されています。RoRIのジェームズ・ウィルズドンらは、AIが申請書を書き、AIが審査する時代には、文章の説得力が研究の質を見分ける手がかりにならなくなると&lt;a href=&quot;https://researchonresearch.org/ai-agents-pose-existential-threat-to-research-funding/&quot;&gt;問題提起&lt;/a&gt;しました。共有データや研究ソフトウェアのように、個人の論文では評価されにくい仕事をどう担うかも論点です。とはいえ、大学の外に出れば研究者が自由になるとは限りません。たとえば連邦研究費への依存度が高い米国の大学で、経済学の論文から政治的に敏感な主題が減ったという&lt;a href=&quot;https://cepr.org/voxeu/columns/when-political-pressure-trumps-academic-freedom&quot;&gt;報告&lt;/a&gt;もありますが、政府の資金に頼ったままでは自由な研究ができない可能性もあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;さらに、技術移転制度を支えるバイ・ドール法と、大学による発明の管理についても、&lt;a href=&quot;https://newsletter.goodscienceproject.org/p/why-are-we-screwing-over-researchers?utm_source=chatgpt.com&quot;&gt;見直しを求める議論&lt;/a&gt;が出ています。1980年のバイ・ドール法は、連邦資金による発明について、大学などの非営利組織や小企業が一定の条件で権利を保持することを選べるようにした法律です。近年は、特許取得とライセンスを中心とする技術移転に加え、&lt;a href=&quot;https://genome.wustl.edu/beyond-bayh-dole-academic-genome-centers-as-tech-hubs/?utm_source=chatgpt.com&quot;&gt;大学の設備や専門人材へのアクセスを通じて技術を普及させる方法&lt;/a&gt;も提案されています。ラインハートも、発見を特許化し、ベンチャーキャピタルの資金で製品化する創薬のモデルを、&lt;a href=&quot;https://blog.spec.tech/p/health-technology-is-weird?utm_source=chatgpt.com&quot;&gt;長期の工学開発や複数技術の統合を必要とする他分野に、そのまま一般化することには限界がある&lt;/a&gt;と論じています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本では、日本学術会議が2025年11月の&lt;a href=&quot;https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf2/kohyo-26-t394-2.pdf&quot;&gt;提言&lt;/a&gt;で、競争的資金だけでは研究時間、安定した雇用、設備を支えられないとし、基盤的経費の回復とあわせて、大学以外の法人を使った研究者の雇用も検討しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本の話も出てきたので、では、日本の大学はいまどのような状況にあるのかを見ていきます。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;第iii部-日本の大学と日本の社会課題&quot;&gt;第III部 日本の大学と日本の社会課題&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;世界では主に「研究の進め方」が再設計されつつある一方で、日本の大学は足元の構造的な課題に直面しているのでは、と考えます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103442.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;日本の大学が抱える機能と期待&quot;&gt;日本の大学が抱える機能と期待&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;日本の大学で最も比重が大きかったのは、選抜と能力証明だと考えています。第V部で見るように、日本の企業は長く、大学で何を学んだかより、どの難易度の大学に入ったかを採用の基準にしてきました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;期待を寄せる主体も大きくは4つに別れます。国家は先端研究と専門人材を、企業は選抜のシグナルと共同研究を、家庭は子どもがよい職に就くことを、地域は若者の定着、教員や医療人材の養成、産業の維持を期待します。どれも正当ですが、向かっている方向や望んでいることは異なります。たとえば地方の国立大学は、国からは論文指標や外部資金の獲得を、自治体からは教員や看護師の安定した供給を求められます。これらの異なる期待が、限られた教員の同じ時間を奪い合っているわけです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかもこの束は、引き算なしに増えてきました。この10年余りでも、地方創生、リスキリング、大学発スタートアップ、経済安全保障などが大学に課されましたが、代わりに既存の業務を減らす判断はほとんどされていません。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;研究の担い手が細っている&quot;&gt;研究の担い手が細っている&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;日本の大学研究は、実務の多くを大学院生に頼ってきたと言われます。&lt;a href=&quot;https://www.mext.go.jp/content/20250418-mxt_chousei01-000040124.pdf&quot;&gt;文部科学省の調査&lt;/a&gt;では、2023年度に職務時間のうち研究に充てた割合は、大学教員の32.2%に対し、博士課程の学生は84.6%でした。それぞれの時間の使い方であって研究全体への貢献の割合ではありませんが、教員の研究時間の割合が2002年度の46.5%から下がり続けるなかで、研究の実務の多くを院生が担う構造がうかがえます。教育と労働の境界が曖昧なまま、院生の意欲と自己負担が研究を支えてきたと言うのが実態に近いのでは、と思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その環境は変わりつつあります。2021年度以降、科学技術振興機構（JST）の次世代研究者挑戦的研究プログラム（SPRING）などで、博士課程の学生に生活費相当額を給付する支援が広がりました。博士課程の学生を処遇されるべき研究者とみなす考え方が定着すれば、研究室の実務を担う学生には対価を払うか、専任の職員を雇う必要が生まれます。つまり、大学や研究室にとっては、無償の労働力でカバーしていた分の費用負担が増えるということです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一方で担い手の数も減っており、&lt;a href=&quot;https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2025/RM349_32.html&quot;&gt;博士課程の入学者&lt;/a&gt;は2003年度の18,232人をピークに2024年度は約1.6万人、&lt;a href=&quot;https://www.mext.go.jp/content/20240711-koutou02-000037014_7.pdf&quot;&gt;修士から博士への進学率&lt;/a&gt;は14%前後から10.4%に下がりました。円安で研究費の購買力も落ちています。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;学生と財源が減っている&quot;&gt;学生と財源が減っている&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://www.mext.go.jp/content/20260825-mxt_koutou01-000051717_9.pdf&quot;&gt;文部科学省の将来推計&lt;/a&gt;では、約63万人の大学進学者は2040年に約46万人になる見込みです。定員割れの私立大学の比率は、&lt;a href=&quot;https://www.shigaku.go.jp/files/shigan_doukouR7.pdf&quot;&gt;日本私立学校振興・共済事業団の調査&lt;/a&gt;で2024年度に59.2%に達し、2026年度も&lt;a href=&quot;https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD063ON0W6A800C2000000/&quot;&gt;46.2%&lt;/a&gt;です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;学費に頼る私立大学では、学生の減少がそのまま財務の危機になります。国立大学の運営費交付金は、2004年度の1兆2,415億円から2015年度には1兆945億円に減りました。物価高と円安で費用が膨らむ一方、賃上げなどは遅れており、家計の側には学費を大きく上げる余地はありません。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;研究力と地域での役割も揺らいでいる&quot;&gt;研究力と地域での役割も揺らいでいる&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://www.nistep.go.jp/archives/63771/&quot;&gt;科学技術指標2026&lt;/a&gt;では、注目度の高い論文数を示すTop 10%補正論文数で、日本は世界13位です。先端科学は大規模な設備と学際的な専任チームで進む傾向を強め、教授1名と院生数名の講座制の研究室では扱いきれない課題が増えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;地方大学は教員や医療人材を地域に送り出しながら、存続を問われています。ジョブ型雇用や学び直しの広がりは、偏差値による選抜という大学の最大の機能を相対化し始め、2015年のいわゆる「文系不要論」のように、大学の社会的な益を問う声も繰り返されてきました。研究者個人に最長10年の資金を出す創発的研究支援事業のような施策もありますが、資金の大半は既存の大学や国立研究開発法人に流れ、大学の外に新しい研究組織を生む契機にはなっていません。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;課題が先行し外の選択肢が追いつかない日本&quot;&gt;課題が先行し外の選択肢が追いつかない日本&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;米国と日本の最大の違いは、アンバンドルが進む順序にあると考えています。米国では、新しい研究組織、篤志家の資金、実践型の学校、学位にこだわらない採用といった選択肢が先に大学の外に立ち上がり、それによって大学の機能が切り出され始めています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本では順序が逆で、担い手の減少、進学人口の急減、財政の逼迫が先に大学を直撃しているのに、外側の受け皿は限られています。理化学研究所や産業技術総合研究所のような公的研究機関、大学共同利用機関はありますが、新しい研究組織を立ち上げる道や、研究者が大学と行き来できる雇用、所属を問わない設備の利用は乏しいままです。十分な受け皿がないまま機能が切り離されれば、それは移転ではなく、学問や教育の機能の喪失になりかねません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかも日本のアンバンドルは両端から進むおそれがあります。上位では少数の研究大学への集中が進み、下位では地方私立大学の撤退や統廃合が続くでしょう。大学が撤退した地域では、教員や医療人材の育成基盤も、地域の知の拠点も失われかねません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本の大学は、&lt;strong&gt;「設計されたアンバンドル」に向かうのか、それとも「崩壊としてのアンバンドル」に呑み込まれるのか&lt;/strong&gt;という分岐点にあります。崩壊を避けるには、解体が進む前に大学の外側を構想し、どの機能をどこへ移すかを合意しておく必要があります。その手がかりを、まず世界の大学の歴史に探ります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103457.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;第iv部-世界の大学はバンドルとアンバンドルを繰り返してきた&quot;&gt;第IV部 世界の大学はバンドルとアンバンドルを繰り返してきた&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;どの機能がいつ、なぜ大学に組み込まれ、何が大学の外に置かれてきたのかを、各国の歴史でたどります。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;日本が大学の仕組みを取り入れてきた国々&quot;&gt;日本が大学の仕組みを取り入れてきた国々&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;近代日本は、単一の国を手本にしませんでした。明治初期は工学をイギリス（とくにスコットランド）、法学と教育行政をフランス、農学をアメリカ、医学をドイツから学び、1886年の帝国大学はそれらを統合してドイツの研究大学の理念と講座制を据えました。戦後は米国を手本に新制大学が始まり、1990年代末以降も米英の制度が続けて取り入れられました。&lt;/p&gt;























































&lt;table&gt;&lt;thead&gt;&lt;tr&gt;&lt;th&gt;時期&lt;/th&gt;&lt;th&gt;日本における主な出来事&lt;/th&gt;&lt;th&gt;手本とした国&lt;/th&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/thead&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;1871〜1877年&lt;/td&gt;&lt;td&gt;工学寮・工部大学校の設立&lt;/td&gt;&lt;td&gt;イギリス（スコットランド）&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;1872年&lt;/td&gt;&lt;td&gt;学制の公布、司法省法学校の設立&lt;/td&gt;&lt;td&gt;フランス&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;1876年&lt;/td&gt;&lt;td&gt;札幌農学校の開校&lt;/td&gt;&lt;td&gt;アメリカ&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;1886〜1893年&lt;/td&gt;&lt;td&gt;帝国大学令、学位令、講座制の導入&lt;/td&gt;&lt;td&gt;ドイツ&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;1949年&lt;/td&gt;&lt;td&gt;新制大学の発足、大学院制度の再編&lt;/td&gt;&lt;td&gt;アメリカ&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;1998〜1999年&lt;/td&gt;&lt;td&gt;TLO法、日本版バイ・ドール制度の導入&lt;/td&gt;&lt;td&gt;アメリカ&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;2004年&lt;/td&gt;&lt;td&gt;国立大学法人化&lt;/td&gt;&lt;td&gt;イギリス&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;2004年&lt;/td&gt;&lt;td&gt;専門職大学院（法科大学院等）の創設&lt;/td&gt;&lt;td&gt;アメリカ&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;2022年〜&lt;/td&gt;&lt;td&gt;国際卓越研究大学制度、大学ファンド&lt;/td&gt;&lt;td&gt;アメリカ&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;
&lt;p&gt;以下では、中世・近世のヨーロッパを概観したうえで、各国が大学の内と外にどんな分業を築いたのかを見ていきます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;中世の大学は専門職の養成と認証を担う組合として始まった&quot;&gt;中世の大学は専門職の養成と認証を担う組合として始まった&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;大学は12世紀前後の西欧で、ギルド（ウニヴェルシタス）として生まれました。ボローニャでは学生が、パリでは教師が組合を作りました。教養の学芸学部の上に神学、法学、医学の上級学部を置き、聖職者、法律家、医師を養成しました。修業と口頭試問を経た者に与えられる「教授免許」は資格証明を兼ね、13世紀にはソルボンヌ学寮やマートン・カレッジなど共同生活の学寮も生まれています。現代的な意味での研究はまだなく、中世の大学は、専門職の養成、資格の認証、共同生活による人格形成の束だったと言えます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;近世の大学は国家と教派に仕え新しい科学は大学の外で育った&quot;&gt;近世の大学は国家と教派に仕え新しい科学は大学の外で育った&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;宗教改革と主権国家の形成を経て、大学は宗派ごとに分かれ、聖職者と官僚を育てる国家機関になりました。17世紀の近代科学は主に大学の外、1660年のロンドン王立協会や1666年のパリ王立科学アカデミーで育ちます。ラインハートが引くように、王立協会の創設メンバーで大学に本務をもつ人は4分の1に満たなかったとされます。例外として、ライデン大学は18世紀前半に臨床医学教育を確立し、その流れは日本の蘭学にも及びました。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;フランスは大学をいったん廃止し機能ごとに別の機関を作った&quot;&gt;フランスは大学をいったん廃止し機能ごとに別の機関を作った&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;フランス革命期の1793年、大学は旧体制の特権的なギルドとして廃止されました。代わりに理工科学校（エコール・ポリテクニーク）や高等師範学校など、国家が求める機能ごとの専門学校群（グランゼコール）が作られました。総合大学の法的な復活は1896年で、先端研究は1939年設立の国立科学研究センター（CNRS）が担いました。エリート養成、研究、国民の高等教育を別々の機関が担う三元体制です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;分けられた機関は孤立していたわけではなく、いまではCNRSの研究員と大学教員が同じラボで働く「混成研究単位（UMR）」が一般的です。一方、2010年代以降は統合に舵を切り、2020年には国際ランキングでの存在感を狙って、複数のグランゼコールや大学を統合したパリ・サクレー大学が発足しました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本がフランスから取り入れたのは、学制の全国一元的な学区制度と司法省法学校のフランス法教育でした。グランゼコール、研究センター、大衆大学という三元構造は取り入れませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;イギリスはカレッジと実学と試験機関を並べてきた&quot;&gt;イギリスはカレッジと実学と試験機関を並べてきた&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;イギリスは、成り立ちの異なる組織を並べてきました。オックスフォードやケンブリッジのカレッジ制は、共同生活と少人数のチュートリアルによる教育です。スコットランドには実学の伝統があり、グラスゴー大学のランキンの推挙で来日したヘンリー・ダイアーが、工部大学校の前身である工学寮のカリキュラムを設計しました。1858年にロンドン大学が始めた「&lt;a href=&quot;https://www.london.ac.uk/about/history&quot;&gt;学外学位&lt;/a&gt;」は、どこで学んだかを問わず試験の合格で学位を与え、教育と認証を切り離した先駆例です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1919年には、政府が財源を出し、配分は学者の委員会が決める&lt;a href=&quot;https://historyandpolicy.org/policy-papers/papers/university-fees-in-historical-perspective/&quot;&gt;大学補助金委員会（UGC）&lt;/a&gt;が設けられ、政府が学問の中身に介入しないための緩衝機関として約70年間機能しました。政策の知も、1920年設立のチャタムハウス（王立国際問題研究所）のように大学の外で育ちました。1992年にポリテクニクを大学に一本化した後は、研究評価（現在のREF）や授業料の導入が進みました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本がイギリスから取り入れたのは、工部大学校の工学教育、REFを模した研究評価、法人化の理念でした。カレッジ制の共同生活の基盤や、緩衝機関は取り入れませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;ドイツは研究大学を生み同時に研究を大学の外にも置いた&quot;&gt;ドイツは研究大学を生み同時に研究を大学の外にも置いた&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;1810年創立のベルリン大学は、フンボルトの構想に基づく「&lt;a href=&quot;https://germanhistorydocs.org/en/the-holy-roman-empire-1648-1815/wilhelm-von-humboldt-s-treatise-quot-on-the-internal-and-external-organization-of-the-higher-scientific-institutions-in-berlin-quot-1810&quot;&gt;研究と教育の統一&lt;/a&gt;」の理念から、ゼミナール、実験室、正教授が講座を統括する講座制、近代的な博士号を生み、世界に広めました。同時にドイツは、大学の外にも機関を重ねて育てました。高等技術学校は1899年に博士号を出せる工科大学となり、研究はカイザー・ヴィルヘルム協会（1911年）とその系譜のマックス・プランク協会、応用研究のフラウンホーファー協会（1949年）などに置かれ、1970年前後には職業専門教育の専門大学も整備されました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;フラウンホーファー協会では、&lt;a href=&quot;https://www.fraunhofer.de/en/about-fraunhofer/profile-structure/facts-and-figures/finances.html&quot;&gt;国や州の基盤的補助金は予算の約3分の1&lt;/a&gt;で、残りは受託研究費です。受託で得た資金に応じて基盤的補助金が増えるため、産業に役立つ研究を続ける動機が組織に組み込まれています。大学に実用化を求めるのではなく、外に産業連携専門の組織を設けた例です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ドイツの大学はほぼすべて州立で、学費も原則として無償です。財政は公的資金に頼っていますが、自治は、基本法（憲法）が保障する学問の自由と、研究者自身が審査と配分を担う&lt;a href=&quot;https://www.dfg.de/en/research-funding/proposal-funding-process/info-review/individual-grants/funding-decision&quot;&gt;ドイツ研究振興協会（DFG）&lt;/a&gt;のような自治的な組織によって支えられてきました。財源が公的でも、配分の判断を学術の側に置く仕組みがあれば自治を保てることを示す例です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本がドイツから取り入れたのは、研究大学の理念、講座制、ドイツ医学、博士の制度でした。大学の外の研究所群や、機関の種類の分化は取り入れませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;アメリカは英独の部品を接ぎ木してマルチバーシティを作った&quot;&gt;アメリカは英独の部品を接ぎ木してマルチバーシティを作った&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;米国の高等教育は、1636年創立のハーバード・カレッジのように、イギリスのカレッジを手本にした寄宿制の学寮から始まりました。主な目的は教会の聖職者を育てることでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;19世紀には二つの要素が加えられます。一つは、1862年の&lt;a href=&quot;https://www.archives.gov/milestone-documents/morrill-act&quot;&gt;モリル法&lt;/a&gt;で連邦の公有地の売却益をもとに作られたランドグラント大学で、大学は地域の産業と公共に奉仕すべきだという考え方を根づかせました。もう一つは、1876年開校のジョンズ・ホプキンズ大学で、ドイツ型の研究と大学院教育を中心に置きました。米国の研究大学は、英国流の教養教育、ドイツ流の研究、アメリカ独自の地域奉仕を組み合わせたハイブリッドです。大学の外にも、カーネギー財団やロックフェラー財団、ベル研究所などの企業研究所、2年制のジュニア・カレッジ（現在のコミュニティ・カレッジ）、ブルッキングス研究所やランド研究所のような独立したシンクタンクが育ちました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第二次世界大戦後、ブッシュ報告とNSF設立が連邦政府の研究支援を恒久化し、GI法が大学を大衆化しました。連邦資金には間接経費が上乗せされ、契約管理が大学本部に集まった結果、事務組織が巨大化しました。1963年、カーは多様な機能と利害関係者を抱える巨大大学を「&lt;a href=&quot;https://www.jstor.org/stable/j.ctt6wpqkr&quot;&gt;マルチバーシティ&lt;/a&gt;」と名づけ、同じ講義で、連邦資金に頼る研究大学を「連邦助成大学（federal grant university）」と呼んで、資金の出し手が大学の中身を方向づけることへの懸念も示しました。ブッシュの設計はピアレビューと複数の資金配分機関によって政府の介入を抑えようとしましたが、国家の資金が増えるほど、大学は国家への依存を深めていったわけです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そのカーが1960年に主導した&lt;a href=&quot;https://www.ucop.edu/acadinit/mastplan/MasterPlan1960.pdf&quot;&gt;カリフォルニア州のマスタープラン&lt;/a&gt;は、研究と博士教育をカリフォルニア大学、学部教育と実務修士をカリフォルニア州立大学、広い門戸をコミュニティ・カレッジに分けました。一つの大学に機能を束ねる一方、州のシステムとしては機関の種類を分けていたわけです。巨額の基金で一定の財政的な独立性を持つのは一部の私立大学に限られ、学生の多くは州の予算と学費に頼る州立大学に通っています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本がアメリカから取り入れたのは、札幌農学校の理念、新制大学、課程博士制度、TLOと日本版バイ・ドール制度、法科大学院、大学ファンドなどです。取り入れなかったのは、三層の機能分化、民間財団と独立したシンクタンクの厚み、研究者が大学・企業・研究所を行き来する労働市場でした。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;研究は20世紀に巨額の設備を要する資本集約的な営みになった&quot;&gt;研究は20世紀に巨額の設備を要する資本集約的な営みになった&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;19世紀の研究に必要だったのは、主に図書館と小さな実験室で、大学や篤志家が賄える規模でした。変化が大きかったのは20世紀です。1930年代にアーネスト・ローレンスがカリフォルニア大学でサイクロトロンを大型化し、第二次世界大戦のマンハッタン計画を経ると、加速器、原子炉、研究用の計算機のように、一つの大学では持てない設備が研究の前提になりました。1961年に物理学者アルヴィン・ワインバーグは、こうした研究を「&lt;a href=&quot;https://indico.cern.ch/event/1521235/attachments/3032509/5354169/Weinberg_Big_Science_1961.pdf&quot;&gt;巨大科学（ビッグサイエンス）&lt;/a&gt;」と呼んでいます。米国は大学の連合が運営する国立研究所を、欧州は国際共同のCERNを作り、日本も高エネルギー物理学研究所（現在のKEK）やSPring-8のような共同利用の施設を整えました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この変化は、大学のバンドルと自治の両方に影響しました。高価な設備を持ち、それを維持する技術職員を雇い、安全管理を担えることが大きな組織の強みになり、大学を束ねる力として働きました。同時に、その費用を賄える国家や企業への依存も強まりました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;AIによって、研究に必要な資本はさらに増える可能性があります。最先端のAIモデルの開発には大学では持てない規模の計算資源が必要で、スタンフォード大学の「AI Index」は、注目されるAIモデルの大半が近年は企業から生まれていると報告しています。第II部で見た自律実験室や、大規模なデータの整備にも多額の投資が必要です。一方で、AIが計算や解析の一部を安くし、小さな研究室の力を底上げする面もあります。どちらに振れるかは、計算資源やデータを誰が持ち、誰に開くかという制度設計に左右されるでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;研究を完全にアンバンドルしたソ連と中国のアカデミー&quot;&gt;研究を完全にアンバンドルしたソ連と中国のアカデミー&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;対極にあるのが、研究を大学から制度的に切り離した体制です。ソ連は研究を科学アカデミーの研究所群に集め、大学を主に教育の機関としました。中国科学院（1949年）もこれを踏襲し、現代の中国は科学院体制を維持しながらトップ大学に資金を集中させてきました。&lt;a href=&quot;https://www.nistep.go.jp/archives/63771/&quot;&gt;科学技術指標2026&lt;/a&gt;では、中国は論文総数、Top 10%補正論文数、Top 1%補正論文数のすべてで世界1位です。日本はこの体制を手本にしませんでしたが、第VI部で国際競争力を考える際の比較対象になります。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;世界の歴史から見えてくる4つの視点&quot;&gt;世界の歴史から見えてくる4つの視点&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;世界の大学史からは、4つの視点が得られます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;まず、バンドルとアンバンドルは振り子のように繰り返されてきました。中世の束から、科学革命での研究の外部化、フランスの分割、ドイツの再統合、米国のマルチバーシティへと揺れ、いまは欧州で再統合が、米国で先端機能の外部化が進んでいます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;次に、現代で大学を大きな束へまとめる最大の誘因は、機関の規模が評価されやすい国際大学ランキングです。大学間での国際的な規模拡大の競争に駆り立てている一因とも言えるでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;さらに、学術と産業が繁栄した国は、例外なく大学の外に厚い知のエコシステムを持っていました。フランスのグランゼコールとCNRS、イギリスの学外学位とUGC、ドイツの研究協会と専門大学、アメリカの財団、企業研究所、シンクタンク、コミュニティ・カレッジがその例です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;最後に、アンバンドルの議論は一時の流行ではなく、1858年の学外学位や1963年のマルチバーシティ論に連なる制度論の系譜の上に位置づけられます。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;第v部-日本の大学はアンバンドルされた状態から出発し政策でバンドルされてきた&quot;&gt;第V部 日本の大学はアンバンドルされた状態から出発し政策でバンドルされてきた&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;ここまで世界のバンドルとアンバンドルの歴史を見てきました。次に見るのは日本です。日本の高等教育は、担い手が分散した状態から出発し、政策によって機能が一つの機関へ束ねられてきました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103541.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;江戸の学びは藩校と私塾と蘭学に分かれていた&quot;&gt;江戸の学びは藩校と私塾と蘭学に分かれていた&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;武士の教育は藩校や昌平坂学問所が、実務や思想の教育は適塾や懐徳堂などの私塾が、西洋の知の導入は『解体新書』に象徴される在野の蘭学のネットワークが担いました。人格形成、専門技術の訓練、新しい学問の探索などが別々の担い手に委ねられていたこの分業は、大学の外の担い手を構想する際の歴史的な参照点になると考えています。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;明治初期の日本は各省が自前の学校を持つアンバンドルな状態だった&quot;&gt;明治初期の日本は各省が自前の学校を持つアンバンドルな状態だった&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;明治政府の各省は、必要な人材を育てるために自前の学校を作りました。工部省の工部大学校はスコットランドの工学教育、司法省法学校はフランス法、開拓使の札幌農学校は米国の農科大学、東京医学校はドイツの医学講座を手本としました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;各省が機能ごとの学校を直轄する姿はフランスのグランゼコールに近く、日本の近代高等教育はアンバンドルな状態から出発したと言えます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;帝国大学は省庁の学校を束ねドイツ型の講座制を載せた&quot;&gt;帝国大学は省庁の学校を束ねドイツ型の講座制を載せた&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;これを束ね直したのが1886年の&lt;a href=&quot;https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318050.htm&quot;&gt;帝国大学令&lt;/a&gt;です。東京大学と工部大学校などを統合し、目的を「国家ノ須要ニ応スル」学術技芸の教授と研究と定めました。法科・文科の卒業生は一時期、試験を免除されて官吏見習いに任用され、卒業証書が官僚への任用資格を兼ねました。1893年にはドイツ型の講座制が導入され、ドイツでは総合大学から外されていた工学も学部として取り込みました。官僚養成、国家資格、基礎研究、工学教育が一つの組織に束ねられたこの時点が、日本の大学の複合的なバンドルの出発点だと考えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大学の自治もこの帝国大学の中で形作られました。1913〜14年の&lt;a href=&quot;https://law.kyoto-u.ac.jp/about/rekishi/&quot;&gt;沢柳事件&lt;/a&gt;を経て、教授の人事には教授会の同意を得るという慣行が生まれ、これが日本の大学自治の原型になります。ただしそれは、国家が設置し予算を出す大学の中で人事を守る自治であり、国家や政権以上に長く続き、一定の財政的な自律性を保つ諸外国の『大学』の自治とは異なるものでした。1933年の滝川事件では、文部省が京都帝国大学の教授を休職処分とし、その限界が示されています。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;大学令は私学を大学にし大学を企業の人材供給源にした&quot;&gt;大学令は私学を大学にし大学を企業の人材供給源にした&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;1918年の大学令は、公立・私立の大学を認め、慶應義塾や早稲田などが大学となりました。企業が大学卒業生を一括採用する慣行が定着し、大学は企業のホワイトカラーの供給源にもなります。それでも教養教育は旧制高校、教員養成は師範学校、職業教育は実業専門学校が担い、1917年には理化学研究所（理研）が大学の外に作られました。一方で大学の中に研究機関を置く附置研究所も始まり、外に置く動きと内に束ねる動きが並行していました。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;戦時の科学動員が大学に研究成果そのものを求めた&quot;&gt;戦時の科学動員が大学に研究成果そのものを求めた&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;1939年、現在の科研費の前身となる科学研究費交付金が作られ、附置研究所と理工系の定員が拡充されました。国家は大学に、人材だけでなく技術開発の成果そのものを求めるようになります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1943年の学徒出陣では文科系学生の徴兵猶予が停止される一方、理工系と教員養成系の学生は猶予されました。このとき刻まれた文系と理系への期待の非対称や理系文系の分け方は、現在までつながっているようにも見えます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;1949年の新制大学は機関の種類を一つに収斂させた&quot;&gt;1949年の新制大学は機関の種類を一つに収斂させた&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;戦後の1949年、米国を手本に新制大学が発足し、旧制高校、師範学校、実業専門学校がすべて大学に吸収されました。一府県一国立大学の原則のもとで、教養教育、教員養成、実務教育、地域振興という、戦前は大学の外に分散していた機能が一つの組織に束ねられたわけです。フランスもドイツもアメリカも複数の種類の機関を保ち続けたなかで、日本だけが高等教育の形をほぼ4年制大学に収斂させました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自治の面では、憲法第23条が学問の自由を保障し、1949年の教育公務員特例法が教授会に教員人事の権限を与えました。戦前の慣行が法に書き込まれた一方で、財源は国の予算に頼るままでした。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;高度成長期に大学の実質的な機能は選抜になった&quot;&gt;高度成長期に大学の実質的な機能は選抜になった&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;高度成長期には理工系の定員が拡大され、進学率は1960年の約1割から1970年代半ばには4割近くに達しました。企業は入社後にOJTで育てる前提から、大学での学びより、どの偏差値の大学に合格したかを採用の基準にし、大学の実質的な機能は入口での選抜のシグナルに絞られていきました。産業の応用研究は企業の中央研究所が担い、大学が経済成長を牽引することはあまり求められませんでした。このときに大学の外に作られた数少ない教育機関として、高専（1962年）と専修学校（1976年）があります。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;1990年代に日本は長期の研究と早い実用化を同時に大学に求め始めた&quot;&gt;1990年代に日本は長期の研究と早い実用化を同時に大学に求め始めた&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;1991年の大綱化で教養部が解体され、大学院重点化が進み、1995年の科学技術基本法で、基本計画による科学技術政策の展開が始まりました。ほぼ同時に、1998年のTLO法、1999年の日本版バイ・ドール制度、2001年の「大学発ベンチャー1000社計画」で、研究成果を早く産業化せよという要請も重ねられます。米国が時間をかけて定着させた産学連携の枠組みを、日本は基本計画による研究支援の拡充とほぼ同時に一挙に導入し、特許出願や大学発ベンチャーの数を大学の成果として数えるようになりました。この背景には、バブル崩壊後の企業の中央研究所の衰退があり、企業が担っていた長期開発の負担が大学に移されてきたと考えています。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;法人化以降大学は機能を足され続けている&quot;&gt;法人化以降大学は機能を足され続けている&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;2004年、国立大学は英国のNPM (New Public Management) を取り入れた国立大学法人に移行しましたが、運営費交付金は毎年ほぼ1%ずつ削減され、競争的資金で補う構造に変わりました。その後も、専門職大学院、教育基本法への「社会貢献」の明記（2006年）、国立大学の3類型の重点支援枠（2016年）、国際卓越研究大学と大学ファンド、地方創生、リスキリング、起業家育成、経済安全保障、修学支援新制度の要件対応と、機能は足され続けました。不要になった業務を廃止する引き算は、実質的に行われていません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自治の形も変わりました。法人化で国立大学は法人格を得ましたが、中期目標は文部科学大臣が定め、交付金の削減と競争的資金への移行によって、国の関与はむしろ評価と資金を通じて強まりました。2014年の学校教育法改正では、教授会は学長が決定する際に意見を述べる機関と位置づけられ、2023年の国立大学法人法改正では、規模の大きな国立大学に学外者を含む運営方針会議が置かれることになりました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103641.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;大学の外に生まれた学校と研究所は吸収されるか周縁に置かれてきた&quot;&gt;大学の外に生まれた学校と研究所は吸収されるか周縁に置かれてきた&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;大学の外に生まれた機関の多くは、大学に吸収されるか周縁に置かれてきました。工部大学校は帝国大学に、旧制高校や師範学校は新制大学に吸収されました。理研は戦前に「理研コンツェルン」として事業化に成功しましたが、戦後の財閥解体で産業の基盤を失いました。高専、放送大学、大学共同利用機関なども役割を果たしながら、4年制大学に代わる選択肢にはなりませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;政策の知も、大学の外の独立した研究機関にはあまり育ちませんでした。日本では、大学の教員が個人として省庁の審議会や有識者会議の委員となる形が主な経路でした。企業系のシンクタンクや総合研究開発機構（NIRA、1974年）はありますが、米英のような独立した非営利のシンクタンクの厚みはありません。大学と産業界の距離も、「産学協同路線反対」が叫ばれた大学紛争期から、スタートアップ創出が注目される現在まで、政策によって両極端に揺れてきました。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;日本の大学の類型は生まれた時代ごとに分かれている&quot;&gt;日本の大学の類型は生まれた時代ごとに分かれている&lt;/h3&gt;





























&lt;table&gt;&lt;thead&gt;&lt;tr&gt;&lt;th&gt;類型&lt;/th&gt;&lt;th&gt;主に形成された時代背景&lt;/th&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/thead&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;研究大学（旧帝大等）&lt;/td&gt;&lt;td&gt;1886年の帝国大学令と帝国大学網の整備&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;地方国立大学&lt;/td&gt;&lt;td&gt;1949年の新制大学（一府県一国立大学の原則）&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;大規模私立大学&lt;/td&gt;&lt;td&gt;1918年の大学令と高度成長期の大衆化&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;中小私立大学&lt;/td&gt;&lt;td&gt;1990年代以降の設置基準の大綱化と規制緩和による新設&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;公立大学&lt;/td&gt;&lt;td&gt;戦後の自治体による設置と、近年の私立大学の公立化&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;
&lt;p&gt;問題は、これらの類型が役割の違いではなく、論文数と入試偏差値という同じ物差しによる序列として固定されてきたことです。&lt;a href=&quot;https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05013101.htm&quot;&gt;2005年の中央教育審議会答申&lt;/a&gt;は大学の機能を7つに整理して各大学に選ばせようとし、2016年の3つの重点支援枠も役割を選ばせる試みでしたが、分化は進みませんでした。類型が序列として受け止められている限り、下位に見える機能を自ら選ぶ動機がない、というのが一つの理由でしょう。論文数や偏差値という少数の分かりやすくモノサシは、在り方の多様性を消してしまうとも言えます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;多機能化の代償は評価の食い違いと選択肢のなさだった&quot;&gt;多機能化の代償は評価の食い違いと選択肢のなさだった&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;あらゆる役割を束ねてきた代償は主に2つにまとめられると思います。1つは、期待と評価の食い違いです。長期的な基礎研究を期待されながら、特許数や大学発スタートアップ数といった短期の成果でも評価され、時間軸もリスクも違う要請を同じ研究室と教員が一つの評価制度のもとで引き受けています。もう1つは、選択肢のなさです。機関の種類は4年制大学に、資金の出し手は国に、評価は論文と外部資金に、キャリアは大学教授への一本道に偏り、一度つまずくと逃げ場がありません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;研究力低下の主因として、長期的に研究できる余白の喪失がよく挙げられます。しかし私は、時間軸の短さは原因というより結果ではないかと考えています。講座制の身分保障は長期研究を育んだ一方で閉鎖性も生みましたし、米国でも研究費の大半は3〜5年周期の競争的資金です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;より深い要因は、性質の異なる期待を一つの評価枠組みに押し込め、しかも外に選択肢が乏しい、逃げ場のないバンドル構造にあるのではないか、というのが本稿の仮説です。&lt;/p&gt;





























&lt;table&gt;&lt;thead&gt;&lt;tr&gt;&lt;th&gt;直面する課題&lt;/th&gt;&lt;th&gt;日本で深刻な打撃となる構造的要因&lt;/th&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/thead&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;進学人口減と定員割れ&lt;/td&gt;&lt;td&gt;機関の種類が大学に一本化され、大学の撤退が地域の高等教育の喪失に直結する&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;院生・若手依存の研究体制&lt;/td&gt;&lt;td&gt;講座制が研究の基本単位で、専任チームの研究組織を新設することが難しい&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;教員の研究時間の減少&lt;/td&gt;&lt;td&gt;研究、実用化、経営、入試、学生指導が同じ教員に積み重なる&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;雇用流動化と学び直し&lt;/td&gt;&lt;td&gt;大学の機能が入試選抜に偏り、卒業時や社会人向けの能力証明が未成熟&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;財政制約とインフレ&lt;/td&gt;&lt;td&gt;資金源が国庫と家計に偏り、民間財団や寄付の層が薄い&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;
&lt;h3 id=&quot;日本は大学を輸入したが大学の外側を輸入しなかった&quot;&gt;日本は大学を輸入したが大学の外側を輸入しなかった&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;日本の大学史を振り返ると、帝国大学や新制大学のように、機能を一つの組織へ束ねる力が一貫して強く働いてきました。大学の外に生まれた組織は吸収されるか周縁に追いやられ、機能は引き算のない足し算で膨らみ続けてきました。国家、企業、家計、地域と、大学に期待する主体が入れ替わるたびに、過去の期待が清算されないまま要求が積み重なってきた経緯もあります。さらに、日本が海外の制度を取り入れる時期は、本国でその限界が見え、見直しが始まる時期と重なる傾向も見られます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして同じような弱点として、&lt;strong&gt;日本は大学という制度を輸入しましたが、大学の外側を輸入しなかった&lt;/strong&gt; 、という面があります。第IV部の各国の節の末尾で見たように、日本が取り入れなかったものの多くは、フランスのグランゼコールとCNRS、イギリスの緩衝機関、ドイツの研究所群と専門大学、アメリカの財団、シンクタンク、コミュニティ・カレッジのように、大学と並んで大学の外側に置かれた機関や仕組みでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本にも、理研、産総研、大学共同利用機関のような外側の機関はあります。しかしその多くは国が設けた少数の種類にとどまり、新組織の参入、リーダーへの予算・人事裁量の付与、期限後の人材と成果の継承、所属を問わない設備の共用、大学と外部の行き来は難しいままでした。日本が輸入しなかったのは、外側の多様さと開かれ方だったと言えます。そのため、本来は外に置かれるべき機能まで大学が抱え込んできました。担い手と資源が細り始めたいま、日本の大学が身動きのとれない大きな要因は、この外側の乏しさにあると考えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103713.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;第vi部-次の80年に向けて大学の役割を仕分け大学の外側を構築する&quot;&gt;第VI部 次の80年に向けて大学の役割を仕分け大学の外側を構築する&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;ここからの提案は、大学をアンバンドルする、つまり&lt;strong&gt;大学に託す仕事と外の組織に委ねる仕事を仕分け、大学の外側に多様な受け皿を作ること&lt;/strong&gt;に集約されます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103747.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;80年先の最終形は描けないからこそどの未来でも外れない選択をする&quot;&gt;80年先の最終形は描けないからこそどの未来でも外れない選択をする&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;本稿では冒頭に、明治維新から戦争までの80年、戦後の80年、そしてこれからの80年というスパンで見ていくことを話しました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;今後80年を見据えたとき、人口については確度の高い予測があります。&lt;a href=&quot;https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001093650.pdf&quot;&gt;国立社会保障・人口問題研究所の推計&lt;/a&gt;では、日本の総人口は2070年に約8,700万人、2120年に約5,000万人になるという推計です。現在の半分以下の人口で、研究や大学を支えていく時代が、80年後には待っているということです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一方、AIが研究をどこまで自律的に進めるようになるかは予測しにくいままです。資金の面でも、科学技術関係予算は2000年度の約1.5倍になりましたが、論文の国際指標は好転していません。条件を揃えた比較ではないので増額が無効だとは言えませんが、額を増やすだけで解決するとも言い切れません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;こうした不確実さのもとでは、80年後の完成図を描くより、どの未来でも価値を失わない選択に力を注ぎ、不要な規制や所属要件を外して、小さく多様な実験を積み重ねるほうが賢明だと考えています。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;どの未来でも大学に残る4つのコア事業&quot;&gt;どの未来でも大学に残る4つのコア事業&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;どの未来でも大学に残る核は、次の4要素だと考えています。即効性を求めない長期の問いに向き合う&lt;strong&gt;探索&lt;/strong&gt;、主張や実験結果の確からしさを専門家共同体が吟味する&lt;strong&gt;検証&lt;/strong&gt;、知識、文献、標本、データを散逸から守り次代へ引き渡す&lt;strong&gt;継承&lt;/strong&gt;、そして先達や同世代との対話と共同生活を通じて、答えのない領域に自前の問いを立てる力を育てる&lt;strong&gt;問いを立てる人の育成&lt;/strong&gt;です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第II部で見たように、AIが大量の仮説や論文草稿を出力する世界では、何が信頼に値する知見かを判定し保証する共同体の役割、とりわけ検証の責任が重くなると考えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103813.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;大学に託す仕事と外の組織に託す仕事を分ける&quot;&gt;大学に託す仕事と外の組織に託す仕事を分ける&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;第V部で示した仮説に立てば、機能不全の根は、不確実な長期の探索と、納期と成果を求められる産業実装を、一つの組織と一つの評価枠組みで抱えてきたことにあります。そこで、仕様と納期に責任を負う技術開発や基盤ツールの構築は、FROのような外の組織に委ね、合意した成果物を納めたかで評価します。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;同じ仕分けは研究以外にも当てはまります。教育では入試難易度ではなく卒業時の能力証明を重んじ、地域貢献では教員や医療人材の養成を、自治体との間で期間、予算、達成基準を定めた委託契約として引き受ける、などです。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;仕事をその性質で仕分ける&quot;&gt;仕事をその性質で仕分ける&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;仕分けの基準の一つは、&lt;strong&gt;探索&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;統合&lt;/strong&gt;の区別です。大学の強みは個々の研究者が一つの問いを何十年も追えることで、弱みは多分野の専門家を大人数集めて一つの工学的目標へ統率することです。個人の功績を誘因の基盤とするアカデミアでは大規模なエンジニアリング・チームを長く維持できない、とラインハートは指摘します。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;もう一つは、&lt;strong&gt;着想を得る研究&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;成果を納める研究&lt;/strong&gt;の区別で、次の3つの問いで見分けられます。&lt;/p&gt;
&lt;ol&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;成果物の仕様と納期に厳格な責任を負う必要があるか&lt;/strong&gt; —— Yesなら、研究室とは別の体制と評価で担います。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;複数分野の専任の専門家を長期に統合する必要があるか&lt;/strong&gt; —— Yesなら、研究室の外の専任チームの仕事です。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;大学院生が研究の実務に参加することに、確かな教育的意義があるか&lt;/strong&gt; —— Yesなら、大学の研究室の仕事です。&lt;/li&gt;
&lt;/ol&gt;
&lt;p&gt;ただし、評価や体制を分けることと、別の法人にすることは別の判断です。研究室の外に置く方法には、専任の職員と別の評価をもつ部門を学内に作る、大学共同利用機関や技術研究組合のように複数の機関で共同運営する、FROや独立研究所のように別の法人にする、の少なくとも三つがあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;研究データの基盤のように、大学院生が作り方を学ぶ意義と専任の技術者による保守の必要が併存し、問いの答えが衝突する仕事は、学内の部門か共同運営の組織に置き、大学院生はそこで研究に参加する形が考えられます。法人まで分けるのは、学内や共同運営では必要な裁量や雇用を確保できないときに限るのが妥当です。大学が全額を出資して経営を握る子会社では、給与体系や人事が大学の規則に準じやすく、法人を分けた意味が薄れる点にも注意が必要です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;教育でも、体系的な講義は大学間の単位互換やデジタル講義に集約し、キャンパスには少人数で問いを立て、原典を批判的に読んで議論するゼミナールを残せます。ここまでの仕分けは主に理工系を念頭に置いたもので、人文・社会科学については次の三つの節で考えます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;人文社会科学を外に出すなら自立できる財源と統治を先に作る&quot;&gt;人文・社会科学を外に出すなら自立できる財源と統治を先に作る&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;人文・社会科学で外に出しうるのは、政策の分析や評価、社会調査のデータ基盤、史料の保存と公開、市民の学び、翻訳や出版といった、政府、自治体、企業、市民という外の需要がある仕事です。一方で、理論研究、批判的な研究、長期のフィールドワーク、古典語や古文書の読解のように、市場に任せれば消えてしまう仕事もあります。そこで、需要のある仕事は外に出して自立の基盤を整え、市場で成立しにくい仕事は大学に残して公共財として予算で守ることなどはできるかもしれません。外に出した組織が、需要のある仕事の収入で需要のない研究を支えるという、大学と同じ内部補助に頼らないためです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;外に出した組織の財源は、一つの出し手に頼らない四つの層で組み立てることを考えても良いでしょう。緩衝機関を通じた複数年の運営費や基金による&lt;strong&gt;基盤&lt;/strong&gt;、大学図書館や自治体などの会費による&lt;strong&gt;共同負担&lt;/strong&gt;、フルコストで価格を設定した受託や出版による&lt;strong&gt;事業&lt;/strong&gt;、資金源を公開し寄付者が結論に関与しない&lt;strong&gt;寄付&lt;/strong&gt;です。財政的な独立や自律とは、どこからも資金を受けないことではなく、どれか一つの出し手を失っても、その意向に逆らっても、活動を続けられることだからです。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;社会科学の政策知を審議会の外に開きシンクタンクとして切り出す&quot;&gt;社会科学の政策知を審議会の外に開きシンクタンクとして切り出す&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;第V部で見たように、日本では社会科学の知が政策に届く主な経路は、教員が個人として審議会の委員になることでした。分析の多くは事務局の省庁が用意し、分析を専門に担う組織には安定した財源も独立性もありませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;外に切り出す仕事の一つ目は、政策の分析と評価です。英国は2011年、教育省の拠出で&lt;a href=&quot;https://educationendowmentfoundation.org.uk/about-us/how-we-work/founding-partners&quot;&gt;教育寄付財団（EEF）&lt;/a&gt;を作り、教育施策の効果を独立に検証させました。日本でも、一定規模以上の政策事業には予算の一部を独立した評価に充て、その発注を所管省庁ではなく緩衝機関に委ねることなどはできるかもしれません。評価される省庁が評価者を選ぶ利益相反をなくし、外の評価機関に安定した需要を生むためです。審議会は利害を調整し合意を作る場として残し、根拠となる分析は外の組織に任せる、といった分担も可能でしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;二つ目は社会調査のデータ基盤で、そのたびの科研費に頼ってきた長期調査を常設の基盤とし、データの提供はミシガン大学の&lt;a href=&quot;https://www.icpsr.umich.edu/sites/ICPSR/about/history/early-years&quot;&gt;ICPSR&lt;/a&gt;のように利用機関の会費で賄います。三つ目は独立したシンクタンクそのもので、公的資金を受ける条件として、財源の分散、資金源と分析手法の公開、委託者が結論に介入できない公表権の確保を求めます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一方、政策の需要に合わない理論研究や批判的な社会学は、大学に残して公共財として支えたほうがよいかもしれません。第II部で見たように、資金の出し手の圧力は研究課題の選び方を変えうるからです。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;人文学は大学に残る核の中心に置き直し外側の担い手とつなぐ&quot;&gt;人文学は大学に残る核の中心に置き直し外側の担い手とつなぐ&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;文献や史料を読み解き、言葉と概念の意味を確かめ、それを次の世代に手渡すという人文学の中心の仕事は、大学に残る4つの核、とくに検証と継承そのものです。古文書や古典語の読解のように身につけるのに長い年月がかかる技能は、大学が職を保障しなければ途絶えます。AIが大量の文章を生み出す時代には、文章の出所、文脈、意味を批判的に吟味する技能の重みはむしろ増すでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただし、人文学の研究は内部補助の余りで支えられてきた面があり、収支を透明にすれば真っ先に削られかねません。大学の中の人文学は明示的な予算で支え、史料の整備、校訂、翻訳、長く読み継がれる著作を、専門家のピアレビューで評価する必要があります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そのうえで、人文学の活動の場と財源を大学の外に広げることはできます。江戸の私塾や蘭学がそうであったように、いまも図書館、文書館、博物館、出版社、学会、在野の研究者が人文知を支えています。地域の博物館や文書館に研究職を置くことや、英国の&lt;a href=&quot;https://www.openlibhums.org/media/press/OLH_Journals_Brochure.pdf#page=5&quot;&gt;オープン・ライブラリー・オブ・ヒューマニティーズ&lt;/a&gt;のように大学図書館の会費で学術誌を無料公開すること、遺贈などを受け入れる地域人文基金を置くことが考えられます。寄付から基金をつくり、その運用益で継続性を担保することなども可能なはずです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大学は専門家を育て、職を保障し、質を判断する核であり続け、外の担い手は人文学の活動の場と財源を広げます。人文学自体を守ることと、人文学を大学の中で守ることは別の問題として捉える必要があるように思います。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;大学の外側の生態系を描く&quot;&gt;大学の外側の生態系を描く&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;ここまでに仕分けた仕事の受け皿として、次のような分業を描けます。&lt;/p&gt;

















































&lt;table&gt;&lt;thead&gt;&lt;tr&gt;&lt;th&gt;担い手&lt;/th&gt;&lt;th&gt;主なミッション&lt;/th&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/thead&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;研究大学&lt;/td&gt;&lt;td&gt;長期的な探索、検証、後進研究者の育成&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;地域の大学連合体&lt;/td&gt;&lt;td&gt;地域の人材養成、インフラと事務の共同保有&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;教育特化型大学&lt;/td&gt;&lt;td&gt;リベラルアーツ教育、社会人の学び直し&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;外部の専門研究組織&lt;/td&gt;&lt;td&gt;目標と期限を定めた技術開発・ツール構築&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;独立系政策シンクタンク&lt;/td&gt;&lt;td&gt;政策分析と評価、社会調査のデータ基盤&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;産業界主導の教育機関&lt;/td&gt;&lt;td&gt;実務技能の訓練と能力認証&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;人文知のアーカイブと市民の学び&lt;/td&gt;&lt;td&gt;史料の保存と公開、生涯にわたる教養教育&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;共用の研究基盤&lt;/td&gt;&lt;td&gt;大型設備、計算資源、データを所属を問わず提供&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;自律的な緩衝機関&lt;/td&gt;&lt;td&gt;政治的な干渉を排した研究資金の配分・評価&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;人材流動化の基盤制度&lt;/td&gt;&lt;td&gt;大学と外部組織を研究者が行き来できる雇用環境&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;
&lt;p&gt;短期的に作っていくとしたら、目標を定めて先端開発を進める外部の専門研究組織（FROなど）なのではないかと思います。とはいえ寄付文化が成熟していない日本では、産業界のコンソーシアムと政府資金がマッチングファンドで出資する日本版FROが現実的です。ただし、その財源を大学の基盤的経費を削って捻出するのは避けるべきでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;大学の類型ごとに異なるアンバンドルのあり方&quot;&gt;大学の類型ごとに異なるアンバンドルのあり方&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;とはいえ、一律のアンバンドルは適用できません。第V部で見た類型ごとに、選びうる方向の例を挙げます。&lt;/p&gt;
&lt;ol&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;研究大学&lt;/strong&gt;は、方向の定まった技術開発を日本版FROなどへ移し、探索、検証、若手の育成に集中します。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;地方国立大学&lt;/strong&gt;は、地域の人材養成を保ちつつ、施設、事務、基礎的な講義を近隣大学との大学連合体で共同保有します。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;大規模私立大学&lt;/strong&gt;は、大人数の講義をオンラインの共有基盤へ移し、少人数ゼミ、コーオプ教育、社会人の学び直しに資源を振り向けます。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;中小私立大学&lt;/strong&gt;は、連携や分野の転換を試みつつ、撤退する場合に在学生の学びを保証し、キャンパスを転用する道筋を描いておきます。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;公立大学&lt;/strong&gt;は、設置自治体との近さを生かし、地域の政策課題を分析する機能を持つ道を選べます。&lt;/li&gt;
&lt;/ol&gt;
&lt;p&gt;これらは国が上から割り振る処方ではなく、各大学が自らの歴史と強みから方向を選ぶための選択肢の例です。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;国際競争力を順位ではなく世界の研究をつなぐ力で測り直す&quot;&gt;国際競争力を順位ではなく世界の研究をつなぐ力で測り直す&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;人口と研究開発投資の規模で大きな差があるなか、論文の量で米中と競うのは、日本にとって勝ち目の薄い消耗戦だと言わざるを得ません。そこで国際競争力を、論文ランキングの順位から、&lt;strong&gt;世界の知のネットワークをどれだけ深く、代わりのきかない形で結びつけているか（結節点の力）&lt;/strong&gt; へと測り直すことなどです。国際共著や研究人材の循環、SPring-8のような共用施設や長期の記録の国際利用といった指標です。この物差しで見ると、日本が培ってきた長い観測、コホート追跡、史料や標本の保管は、他国がまねしにくい強みに変わります。ただし、競争力の物差しと、市民を育て地域の知を受け継ぐ公共性の物差しは、別の評価軸として扱うべきです。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;アンバンドルは新しいジレンマを生む&quot;&gt;アンバンドルは新しいジレンマを生む&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;アンバンドルは矛盾を消すのではなく、&lt;strong&gt;組織の内部にあった矛盾を、組織と組織の間の調整の問題に置き換える&lt;/strong&gt;ものとも言えます。最大のジレンマは、長期の探索研究を大学に純化させると、産業界のニーズから離れ、支持基盤を失いかねないことです。このほかにも、次のようなジレンマがあります。&lt;/p&gt;






























&lt;table&gt;&lt;thead&gt;&lt;tr&gt;&lt;th&gt;制度的ジレンマ&lt;/th&gt;&lt;th&gt;衝突する二つの価値&lt;/th&gt;&lt;th&gt;克服に向けた方向性&lt;/th&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/thead&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;余白か説明責任か&lt;/td&gt;&lt;td&gt;余白を無条件に認めると怠惰になり、説明責任を厳しくしすぎると長期の賭けができない&lt;/td&gt;&lt;td&gt;余白は講座でなく個人に与え、節目の事後ピアレビューで評価する&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;開放か経済安全保障か&lt;/td&gt;&lt;td&gt;オープンな研究が技術流出防止の要求と衝突する&lt;/td&gt;&lt;td&gt;機微な研究は大学外の管理された機関に集め、大学は原則オープンな場として守る&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;グローバル化か母語の知か&lt;/td&gt;&lt;td&gt;すべて英語化すると、日本語の思索や市民向けの教育が痩せる&lt;/td&gt;&lt;td&gt;大学院と先端研究は二言語、学部の教養教育や社会人教育は日本語を基盤にする&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;構造改革か移行コストか&lt;/td&gt;&lt;td&gt;改革を急ぐと既得権、破綻、地方経済への打撃など摩擦が大きい&lt;/td&gt;&lt;td&gt;新しいルールは新規採用者から段階的に適用し、経過措置を用意する&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;
&lt;p&gt;内部補助の扱いも移行の条件になります。本稿は内部補助を明示的な公共財への直接予算に置き換えることを求めますが、その財源が確保されるまでは内部補助を解体しません。研究を大学から切り離しても成果が出るとは限らない、という懸念も当然です。ラインハート自身、プリンストン高等研究所などは創設初期を除けば期待ほどの成果を生み続けてはいないと評価しています。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;再びバンドル化が進むことを見越した再アンバンドルの設計&quot;&gt;再びバンドル化が進むことを見越した再アンバンドルの設計&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;歴史が示すように、いま機能を切り離せても、時間がたてば新たな要求がまとわりつき、再び束ねられていくことは確実でしょう。目指すべきは一度限りの完璧なアンバンドルではなく、&lt;strong&gt;バンドルが再び膨らんだときに切り分け直せる仕組みを、あらかじめ制度に組み込んでおくこと&lt;/strong&gt;だと考えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;新設機関には10〜15年程度のサンセット条項を課し、期限が来たら延長、解散、別組織への引き継ぎのどれにするかを評価して決めるなど、工夫はできます。データや史料の保存を担う機関は、恒久的な組織として別に置いたり、大学本体に新機能を課す政策には定期見直し条項を組み込み、新しい役割を求めるときは既存の義務のどれを廃止するかを同時に決める「1機能追加につき1機能返上」を原則にするなども対策として考えられます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第II部で見たHAAも、学位を出さない身軽な学校として発表されながら、2028年からは伝統的な私立大学並みの授業料の2年制プログラムを始める計画です。評価が高まれば、修了証明や寮や研究機能を求められ、再バンドル化の道を歩む可能性は十分にあります。外側を作る側にも、自らを切り分け直せる設計が必要です。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;次の80年を三つの時期に分けて進める&quot;&gt;次の80年を三つの時期に分けて進める&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;次の80年を一気に設計することはできず、漸進的に進んでいくことになるでしょう。そのときどのように進めば良いのか、たとえば以下のような進み方があるのでは、と思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;第一期（2026年〜2040年）：整理と実験の時期&lt;/strong&gt;&lt;br&gt;
18歳人口の減少が最も急な時期に、規制や所属要件を緩めて実験していきます。優先課題は、日本版FROの創設、政策評価枠と地域人文基金の試行、中小私立大学の撤退・転用モデルの構築、共用計算資源とデータ基盤の整備です。成果だけでなく、総費用や、同じ額を学内の改革に投じた場合との比較も記録し、次の判断材料にします。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;第二期（2040年〜2070年）：再編と定着の時期&lt;/strong&gt;&lt;br&gt;
実験を検証し、成功したモデルを恒久化し、機能しなかった試みは撤退させます。独立研究組織、シンクタンク、実務専門の学校、人文知のアーカイブといった外の受け皿が、社会の中で厚みと信頼を得ている状態を目指します。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;第三期（2070年〜2100年代初頭）：定常の時期&lt;/strong&gt;&lt;br&gt;
人口減少が落ち着くなかで大学と外部機関の分業が安定し、時限性や定期見直しが当たり前の手続きになっている状態を目指します。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;三つの時期を通じて守る原則は、大学の規模や数より知の結節点としてのつながりを優先すること、機能を切り離す前に外の受け皿を整えること、長期の余白を組織ではなく人に与えること、定期的な再アンバンドルをあらかじめ組み込むことなどです。ただし現時点の一案であって、今後私の考えも変わる可能性は十分にあります。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;終章-アンバンドルを経て大学は初めて自律的な目的を持つ機関になる&quot;&gt;終章 アンバンドルを経て大学は初めて自律的な目的を持つ機関になる&lt;/h2&gt;
&lt;h3 id=&quot;大学の意味を位置づけ直す&quot;&gt;大学の意味を位置づけ直す&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;1886年の帝国大学令が大学の目的を「国家ノ須要ニ応スル」ことと定めて以来、日本の大学の目的は、国家の必要、企業の選抜、家計の上昇志向、地方創生やイノベーションの要請と、外から与えられ続けてきました。目的を外から与えられる組織の価値は、課された目標をどれだけ満たしたかで決まり、評価指標が増えるほど、大学の日常は探求から離れていきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;雑多な機能を外の専門機関が分担するようになれば、大学には&lt;strong&gt;自ら目的を選ぶ余白&lt;/strong&gt;が戻ってきます。その目的とは、暫定的ではありますが、&lt;strong&gt;問いを立てる人を育て、新しい知を探り、その知を批判的に確かめ、世代を超えて長く保全すること&lt;/strong&gt;だと考えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;教育の場としての大学は、18歳で一度だけ通過する場ではなく、人生の中で何度でも立ち戻れる知の港になっていくでしょう。組織としての大学は、独立研究組織、シンクタンク、自治体、図書館や博物館、市民の学びの場と連携する、&lt;strong&gt;外の多様な知の担い手をつなぐハブ&lt;/strong&gt;にもなります。慶應義塾の「独立自尊」や早稲田大学の「学問の独立」のように、国家の要請とは別の場所に学問の拠点を築こうとした私学の建学の精神は、日本の高等教育全体の道標になるのかもしれません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103940.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;まとめ&quot;&gt;まとめ&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/unbundling-the-university/20260924103907.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;本稿の主張は、&lt;strong&gt;大学をアンバンドルすることは、大学の外側を作ることだ&lt;/strong&gt;というものです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ブッシュ報告から80年、科学技術政策は、大学の基礎研究に資金を投じれば成果はいずれ社会に還元されるという前提で進められてきました。いま世界では、FROやARPA型組織、財団の資金、AIによる研究、新しい学校など、大学の外に選択肢が立ち上がっています。一方の日本は、担い手の先細り、進学人口の急減、財政の逼迫に直面しながら、外の受け皿が乏しいまま既存のバンドルが崩れかけています。各国の大学はどの時代にも大学の外側に知のエコシステムを並べてきましたが、日本は大学という制度だけを輸入し、外で担われるべき期待まで大学に抱え込ませてきました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;次の80年に向けて取り組むべきは、大学に託す仕事と外の組織に委ねる仕事を仕分け、大学が独占してきた設備、資金、地位、組織構造を開いて外側を作り、再び膨らんだときに切り分け直せる仕組みを組み込むことです。大学の自治は、財源の分散、緩衝機関、役割の限定によって支え直します。そうすることで、日本の大学が自らの目的を追求できる条件が広がると考えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;次の80年は、いまキャンパスで学び、教壇や研究室で働く若い世代が人生の大半を過ごす時代です。そもそも大学は社会の中でどのような役割を果たしており、どの仕事を大学に残し、どの仕事を外に委ね、どんな外側の生態系を作っていくのかという制度設計を、大学の内側にいる人と外側の挑戦者たちとが対話しながら進めるきっかけに、本稿がなればと願っています。&lt;/p&gt;</content:encoded><dc:creator>馬田 隆明</dc:creator><category>オピニオン</category></item><item><title>Podcast『大きなお金は、大きな物語を求める ── なぜいまスタートアップに「思想」が必要だと考えるのか？』に出演しました</title><link>https://takaumada.com/blog/de-silo-2020s/</link><guid isPermaLink="true">https://takaumada.com/blog/de-silo-2020s/</guid><description>De-Silo の 2020s というポッドキャスト番組にお招きいただきました。 『大きなお金は、大きな物語を求める──なぜいまスタートアップに「思想」が必要だと考えるのか？』という回です。最近の記事に関連する話をしているので、もしご興味あ…</description><pubDate>Fri, 21 Aug 2026 05:12:31 GMT</pubDate><content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://de-silo.xyz/&quot;&gt;De-Silo&lt;/a&gt; の 2020s というポッドキャスト番組にお招きいただきました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『&lt;a href=&quot;https://open.spotify.com/episode/22sTYKc9CKg16lsfMHNkCN&quot;&gt;大きなお金は、大きな物語を求める──なぜいまスタートアップに「思想」が必要だと考えるのか？&lt;/a&gt;』という回です。最近の記事に関連する話をしているので、もしご興味あればご視聴ください。&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;
&lt;p&gt;【最新エピソード更新】ポッドキャスト「2020s」🎙️&lt;br&gt;
大きなお金は、大きな物語を求める──なぜいまスタートアップに「思想」が必要だと考えるのか？　ゲスト：馬田隆明（東京大学FoundXディレクター）〖2020s #10〗&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
🐴出演&lt;a href=&quot;https://x.com/tumada?ref_src=twsrc%5Etfw&quot;&gt;@tumada&lt;/a&gt; (ゲスト)&lt;a href=&quot;https://x.com/tami_yanagisawa?ref_src=twsrc%5Etfw&quot;&gt;@tami_yanagisawa&lt;/a&gt; &lt;a href=&quot;https://x.com/ktrokd?ref_src=twsrc%5Etfw&quot;&gt;@ktrokd&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
🍉ハイライト… &lt;a href=&quot;https://t.co/83tfrJLCD9&quot;&gt;pic.twitter.com/83tfrJLCD9&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;— De-Silo (@desilo_jp) &lt;a href=&quot;https://x.com/desilo_jp/status/2090637435025985881?ref_src=twsrc%5Etfw&quot;&gt;2026年8月21日&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;YouTube はこちらから：&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://www.youtube.com/watch?v=UcuIoKxyvOo&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/de-silo-2020s/20260821141041.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded><dc:creator>馬田 隆明</dc:creator><category>オピニオン</category></item><item><title>スタートアップの思想の空白 ―― 『テクノロジカル・リパブリック』が摩擦なく受容されやすい構造について</title><link>https://takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/</link><guid isPermaLink="true">https://takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/</guid><description>『テクノロジカル・リパブリック』が日本でも話題になっています。著者のアレックス・カープはPalantirのCEOであり、その主張の骨子は、技術産業は消費者向けの便利さから離れて、国家の目的と結び直すべきだというものです。 ここ数年で入ってき…</description><pubDate>Sun, 16 Aug 2026 07:21:46 GMT</pubDate><content:encoded>&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/20260817202345.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『&lt;a href=&quot;https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/26/03/09/02515/&quot;&gt;テクノロジカル・リパブリック&lt;/a&gt;』が日本でも話題になっています。著者のアレックス・カープはPalantirのCEOであり、その主張の骨子は、技術産業は消費者向けの便利さから離れて、国家の目的と結び直すべきだというものです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ここ数年で入ってきたのは、この本に加えて、効果的加速主義（e/acc）やテクノ楽観主義に代表される『技術至上主義的な思想』、シンギュラリティ（技術的特異点）を人類の救済や終焉と結びつけて捉える『終末論的な思想』、そして第三に、a16zが提唱するAmerican Dynamismのようにな技術・国家・資本を一体として推進しようとする『国家再建的な思想』などです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかもこれらは投資テーゼや製品、調達の前提という形で、つまり事業と資本を伴って現在日本に入ってこようとしています。その中には、国家、安全保障、民主主義、統治、自由の意味といった、社会の根幹に関わる価値判断も含まれているように見えています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これほど大きな価値判断を含むものが入ってきているのに、そこまで大きな摩擦が起きていないように見えます。もちろん、ロシアによるウクライナ侵攻をはじめ、日本の安全保障環境が変わっているからということもあるかと思いますが、とはいえ、全体としてはむしろ好意的に受け入れる若手・中堅世代が多いと感じるのは、考えてみれば不思議なことです（若者から中堅世代は新規性の高いものに引きつけられやすい傾向にあるとはいえ）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;本稿では、この摩擦のなさの理由を考えます。主に原因は送り手の巧妙さよりも、受け取る側の構造、つまり私たち側にあるのではと考えています。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;答えを委託した経路の確立&quot;&gt;答えを委託した経路の確立&lt;/h2&gt;
&lt;h3 id=&quot;1-シリコンバレーから答えを受け取る経路の確立&quot;&gt;(1) シリコンバレーから答えを受け取る経路の確立&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;話は2010年代に遡ります。スマートフォンとクラウドで創業費用が下がり、金融緩和で資金調達環境が改善して、日本のスタートアップ市場が急速に立ち上がった時期です。市場の器が整うのと並行して、シリコンバレーから多くの言葉と考え方が輸入されました。2012年には『リーン・スタートアップ』の邦訳が刊行され、それに加えてY Combinator流の方法論、ピッチの形式、投資契約の雛形までが一式で導入されます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この輸入は合理的でした。実績のある成功事例があり、教材とテンプレートが揃っていて、投資家に説明できる形式が最初から手に入ったからです。私自身、その輸入に関わった一人だという自覚があります（直輸入ではなく変更が必要だった部分も多かったと、いまは反省を込めて思いますが）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただ、輸入されたのは「どう作るか」という方法論だけではありませんでした。方法論が答えるのは、主にHowです。何を作るか、なぜその領域を選ぶかという問いには、別の供給源が必要になります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その役割を担ったのが、「シリコンバレーで起きたことは数年後に日本でも起きる」というタイムマシン経営的な発想でした。これは市場予測の手法であると同時に、未来についての語りでもあります。「日本の数年後は、シリコンバレーの現在を見ればわかる」という語り方を採用した時点で、未来を自前で構想する必要はなくなります。つまりこの時期の日本は、Howだけでなく、WhatとWhy、そして未来の語りまでをまとめて、&lt;a href=&quot;http://xn--q6jaa4cf23abbkeey6bfp5mc2c4c1bdf5gsdlmudi6b5au82doa9puk6a7sj0c96e1eb80bqqke6p0epk00bca2czgt1bm959jpqgvuf0m2blk1kes8bbba541jcb890ru81cf01clw6bmdh38mkx7fk79ags4bwsubt1s8fnc./&quot;&gt;答え&lt;/a&gt;として輸入することで急速に立ち上げることができました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/20260816155513.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;2-未来の語りを委託し過去と現在を目指す日本の-why&quot;&gt;(2) 未来の語りを委託し、過去と現在を目指す日本の Why&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;一方で、「なぜこの事業をやるのか」を自分の言葉で語る形式も、同じ時期に国内で模索されていました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その一つは原体験です。自分が経験した困難から事業を説明する語り方は、動機を理解しやすくし、投資家に説明できる形式を与えました（この問題は「&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/past-of-the-future/&quot;&gt;『原体験』はなくてもいい&lt;/a&gt;」として以前書きました）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;もう一つは社会課題です。阪神・淡路大震災と東日本大震災を経て市民活動やシビックテックの実践が広がり、顕在化した課題から事業を説明する語りが根づきました。この系譜自体は輸入品ではなく、日本の貴重な蓄積だと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この二つには共通の構造があります。どちらも、&lt;strong&gt;事業の理由を過去か現在に求める&lt;/strong&gt;という点です。原体験は自分がすでに経験したことに、社会課題はすでに顕在化していることに、語りを結びつけます。すでにある課題への取り組みの正当性は誰からも問われないでしょう。しかし、未来をこうしたい、という話に正当性を求めるのは難しいことです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;こうして、過去は原体験が語り、現在は社会課題が語り、未来はシリコンバレーの言説から輸入する、という語りの分担ができあがりました。個人の動機としてのWhyは原体験で補えたものの、産業や社会をどこへ向けるかという未来形のWhyは、国内では担い手がいない状況が続きました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;こうして日本には、シリコンバレーから未来の How、What、Why の答えを受け取る経路が、25年かけて作られました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ここまでかなり単純化した構図を描いてきましたが、摩擦が起きない理由の1つは、こうした構造にあるのでは、と考えています。そしてシリコンバレーの企業群の成功と25年分の実績は、こうした経路への信頼になっています。今その経路を経て入ってきている思想も、従来のような未来予測や投資テーゼ、製品という見慣れたパッケージで通ってくる限り、「それが答え」であるかのように入ってきやすい構造がある、とも言えます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただ、これだけでは説明の半分にしかなりません。パッケージを信頼して受け取ることと、中身の価値判断まで受け入れることのあいだには、まだ距離があるからです。そこでもう一段掘り下げて考えます。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;思想は地図とものさしと進路でできている&quot;&gt;思想は地図とものさしと進路でできている&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;入ってくるものを選別するには、それが何でできているかを分解できなければなりません。その分解のためには、受け取り側に何かしらの判断基準が必要です。その判断基準を構成するものが、かねてから取り上げてきている「思想」です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ですが「思想」という日本語は、哲学から世界観、教義、態度までを広く覆っていて、そのままでは分析の道具になりません。学術的にも事情は同じで、イデオロギーという概念には単一の合意された定義がないようです（&lt;a href=&quot;https://plato.stanford.edu/entries/ideology/&quot;&gt;スタンフォード哲学百科事典&lt;/a&gt;も、複数の用法が並存していると整理しています）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そこで本稿では、便宜的に、思想を『&lt;strong&gt;社会についての「地図」と「ものさし」と「進路」を、ひとまとまりにした思考の枠組み&lt;/strong&gt;』として扱います。これはMullinsによる&lt;a href=&quot;https://en.wikipedia.org/wiki/Ideology&quot;&gt;古典的なイデオロギーの定義&lt;/a&gt;の一部です&lt;sup&gt;&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/#user-content-fn-1&quot; id=&quot;user-content-fnref-1&quot; data-footnote-ref=&quot;&quot; aria-describedby=&quot;footnote-label&quot;&gt;1&lt;/a&gt;&lt;/sup&gt;。3つの働きは、それぞれ次の問いに答えます。&lt;/p&gt;
&lt;ul&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;地図&lt;/strong&gt;：認識の要素です。社会がどのような歴史を経て現在に至り、何が問題で、何が原因かを示します。また社会の機序や仕組みも含み、現在の条件から導かれる将来の見通しも含みます。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ものさし&lt;/strong&gt;：評価の要素です。現状と予想される将来を評価し、どのような社会を望ましいとするか、何が正しく、価値が衝突したときにどちらを優先するのかを示します。自由、平等、秩序、安全、成長の優先順位も含みます。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;strong&gt;進路&lt;/strong&gt;：集合的行動の要素です。社会を維持・修正・変革するために、誰がどう動くかを示します。&lt;/li&gt;
&lt;/ul&gt;
&lt;p&gt;地図を広げ、ものさしを当てて、進路を引く、という海図の上の作業のイメージです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/20260815170811.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;2010年代にシリコンバレーから入ってきた未来の予測や方法論で目立ったものは、主に地図と進路でした。社会の仕組みは非効率が問題で、ソフトウェア技術によって解決できるといった「地図」や、それをどう変えていくのかといった「進路」です。ものさしもその中に含まれていましたが、世界全体で新自由主義的な市場原理主義を共通して持っており、そのためあまり摩擦は生まれませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかしいま、新自由主義敵な考え方に見直しが入りつつあり（その兆候は&lt;a href=&quot;https://takaumada.substack.com/&quot;&gt;Substack&lt;/a&gt;にまとめています）、様々な思想が入り乱れつつあります。その中で勢力を持ちつつあるのが「&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/startup-thought-2026/&quot;&gt;シリコンバレーをとりまく思想&lt;/a&gt;」でまとめたような、効果的加速主義やテクノ楽観主義、暗黒啓蒙などの、これまでとは異質な地図とものさしが含まれる思想群です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それらには「問題は民主主義やリベラルにある」といった地図や、「軍事事業は消費者向け事業に勝る」といったものさし、そしてそのための投資テーゼや「とにかく加速しろ」という進路などが含まれています。そしてこの思想の一部は、肥大化していく少数のVCの資本力とともに、Palantir や Anduril のような実業を含むパッケージとして展開されつつあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;こうしたパッケージは分解しなければ選別できません。 そして分解した中身を測るには、自前のものさしが要ります。しかし日本では、そのものさしが十分に準備できていないのでは、と考えています。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;いま日本で書かれている思想&quot;&gt;いま日本で書かれている思想&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;では、その自前のものさしはどうなっているのでしょうか。スタートアップの思想の受容経路は主に若者から中堅世代の間で行われるため、現在日本で見られる新しい潮流を見ていきたいと思います。その際に、それらの思想が「誰」に向かって書かれているかを整理すると分かりやすいので、国家、文明、個人、産業の順に見てみます。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;1国家に宛てた潮流デジタル民主主義&quot;&gt;（1）国家に宛てた潮流：デジタル民主主義&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;安野貴博は2024年の東京都知事選挙で約15万票を得て、2025年にはチームみらいとして参議院に議席を得ました。オードリー・タンとグレン・ワイルの&lt;a href=&quot;https://plurality.net/ja/&quot;&gt;『Plurality』&lt;/a&gt;をはじめとするデジタル民主主義の構想が、政党、選挙、行政という経路で実装まで進んでいる、世界的にも珍しい事例です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;思想の「地図・ものさし・進路」の要素で見ると、この潮流は地図と進路が明快です。民主主義の運用が情報の流通と合意形成の面で目詰まりしている、だから技術で直せるという診断と手段が、議席という実装まで行われました。一方で薄いのは、どのような社会を望ましいとするかというものさしのように見えます。可視化、熟議、合意形成といった言葉が指しているのは、社会の中身ではなく運営の改善です。そして手続きの改善された未来は、「効率的な未来」とは言えますが、ものさしがなければ、その効率をどう測るのか、という問いには答えられません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;チームみらいは「&lt;a href=&quot;https://policy.team-mir.ai/policies/team-mirai-vision&quot;&gt;フルパッケージ政党でもシングルイシュー政党でもない争点特化型政党&lt;/a&gt;」を志向しているようです。扱わない争点について党として統一的な判断を示さないことは、意図的な設計だと言えるでしょう。そして、そうした価値基準を示さないからこそ受け入れられている、と言えるかもしれません。ただ、政策領域が広がるほど、限られた予算と時間を何に先に配るかという優先順位の問題は避けにくくなり、いずれ統合原理となるものさしを示す必要に迫られるのではないか、と思います（個人的には、そこを乗り越えて頑張ってほしいと思っています）。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;2文明に宛てた潮流脱成長&quot;&gt;（2）文明に宛てた潮流：脱成長&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;次に、自治体、協同組合、市民運動の潮流です。この例として、斎藤幸平の試みがあります。&lt;a href=&quot;https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1035-a/&quot;&gt;『人新世の「資本論」』&lt;/a&gt;（2020年）は50万部を超えて読まれ、各国語に翻訳されています。斎藤は脱成長とコモンの構想を掲げ、直近では『人新世の「黙示録」』で&lt;a href=&quot;https://gakugei.shueisha.co.jp/kikan/978-4-08-737010-2.html&quot;&gt;暗黒社会主義&lt;/a&gt;という構想を示しながら、協同組合、自治体、市民運動を通じて、資本主義の仕組みそのものを組み替えようとしています。これは第I部と第III部で見た、大正から戦後へ続く思想と社会運動の系譜、賀川豊彦の協同組合以来の系譜に連なる、明確な実装の試みです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;斎藤の取り組みに言及する理由は、脱成長という結論への賛否だけにあるのではありません。社会の因果を診断し（地図）、別の社会像を示し（ものさし）、それを協同組合や市民運動という実装主体へ結びつけようとしている（進路）点にあります。かつその言葉を、相容れないようなメディアにも積極的に出ることで伝えようとしている、希有な試みの1つのように見えます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただし、宛先の単位は文明、つまり経済体制そのものです。単位が大きいほど、実装までには多くの主体を動かさなければなりません。協同組合や自治体での試みと、資本主義を組み替えるという構想の規模のあいだには、大きな距離が残ったままです。これは構想の弱さというより、最も大きな単位を選んだことの帰結でしょう。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;3個人に宛てた潮流令和人文主義&quot;&gt;（3）個人に宛てた潮流：令和人文主義&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;三つ目に取り上げるのは、思想そのものというより現象です。哲学者の谷川嘉浩は、2016年以降に現れた人文知の語り方を「&lt;a href=&quot;https://note.com/houkago_kitsune/n/nbcbfb7d7a339&quot;&gt;令和人文主義&lt;/a&gt;」と名づけました。知を競争や換金可能性から切り離し、多メディアを通じて学ぶこと自体の自己充足性を肯定する語りの傾向とされ、三宅香帆、戸谷洋志、深井龍之介らが例に挙げられます。谷川自身が繰り返し断っているとおり、これは共通の社会像や教義を持つ集団ではなく、時代に共通する語り方と届け方の時代傾向につけられた名前です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;確認しておきたいのは、需要の規模と宛先です。たとえば、その流れの一人である三宅の&lt;a href=&quot;https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721312-6&amp;amp;mode=1&quot;&gt;『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』&lt;/a&gt;（2024年）は発売一週間で10万部以上売れるほどの大規模な需要がありました。その中で&lt;a href=&quot;https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/28780/3&quot;&gt;「半身で働く社会」&lt;/a&gt;という構想が提示されましたが、これは主に個人の読者に宛てられた人文知でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;とはいえ、これは人文系の生き残り戦略として採用された面もあるように見えます。1990年代以降、争点が経済に移り、社会や規範を語る必要性が相対的に薄れたことや、2000年代以降の自己啓発の隆盛と教養とを結びつけることにより、商業的にも受け入れられやすかったという面もあるでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただし宛先が読者個人である以上、その言葉は構想の実現のために企業の人事制度や社会保障を動かす仮説としてではなく、読み手の生き方の指針として受け取られる傾向にあります。地図とものさしの段階から、宛先が個人に置かれているのであれば、産業や国家に流れる構想にはつながりづらくなります。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;4産業に宛てた潮流スタートアップとvc&quot;&gt;（4）産業に宛てた潮流：スタートアップとVC&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;最後が、スタートアップとVCです。アメリカにおいて思想の乗り物となっている潮流であり、事業と資本という実装の手段を、最初から内蔵している潮流でもあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;2010年代、テック業界の伸長が世界経済を牽引してきたことも併せて、様々な業界がテック業界、ひいてはその裏にあるスタートアップやVCについて注目してきました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;3つの要素で見ると、偏りがはっきりします。進路は豊富です。どう作り、どう資金を集め、どう成長させるかについて、これほど方法論が整備されたことはないでしょう。地図もあります。ただし日本において、その地図は、最初の節で見たとおり輸入品でした。そして、日本でよく使われるものさしは、原体験と社会課題という過去と現在に向いた形式です。どの能力を国内に持ち、どの技術に賭け、どの市場を新しく作るかという、産業や国に宛てた未来形の優先順位は、そこからは出てきません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;つまりこの潮流の特徴は、思想がないことではなく、地図と進路を外部から受け取り、ものさしを個人の動機で代用していることです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして現在、多くの起業家が、スタートアップで急成長を目指すことではなく、もっと手触り感のある事業やスモールビジネスへと回帰して、自分の手の出る範囲での事業へと向かっているように思います。それにより、さらに未来の言説についての空白が増しつつあります。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;4つの潮流を対象と時制で比較する&quot;&gt;4つの潮流を対象と時制で比較する&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;こうして並べると、日本でも思想がそれぞれの場所で働いていることがわかります。そして当然、それぞれに十分な価値もあります。政治の改善は現実に生活を良くしますし、個人の生き方や稼ぎ方を良くすることにも意味があります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そのうえで、時制を揃えて見直すと、構図が浮かび上がります。未来のあるべき社会の姿を自前のものさしとして提示しているのは、おそらく脱成長だけでしょう。ほかの潮流は、いずれも現在の統治と経済の枠組みを所与として、その中の性能を上げる仕事をしていたり、個人を救おうとしています。そうした中で、思想が手薄な社会や産業を宛先にした『テクノロジカル・リパブリック』などの、人文知をまとったような思想が流れ混んできている、という状況に見えます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それぞれの思想的な言論が、いま海外からやってきている思想とは別の場所で活動しており、&lt;strong&gt;現在の日本において、未来の社会のあるべき姿や、ものさしや価値基準についての言論が不足しているから、摩擦なく海外の思想が入ってこれるのではないか&lt;/strong&gt;、というのが現在の仮説です。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;残った一本のものさしとしてのお金&quot;&gt;残った一本のものさしとしての「お金」&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;ここまで「ものさしが空いている」と書いてきましたが、厳密には空ではありません。一本だけ残っています。&lt;strong&gt;お金&lt;/strong&gt;です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;どれだけ儲かるか、どれだけ速く伸びるかという基準は、明文化され、計算可能な形で共有され、実際の判断に使われています。最初の節で見た輸入された方法論も、この基準に最適化された形で入ってきました。事業の現場にあるのは、ものさしの不在ではなく、お金という一本のものさしが強くある状態です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;お金というものさしが一本だけ残れたのは、それが唯一、違うものを同じ目盛りに載せられるからです。安全と自由と公正のどれを先にするかは、共通の単位がないので決着しません。しかしお金は、それらをひとつの数直線に並べ、比較と足し算を可能にします。ジェリー・ミュラーが&lt;a href=&quot;https://www.msz.co.jp/book/detail/08793/&quot;&gt;『測りすぎ』&lt;/a&gt;で論じたとおり、これは同じ目盛りに載らないものが比較の場に出てこなくなる構造でもあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかもお金には、時制を現在へ吸収する機能があります。投資は、将来の値段を割り引いて現在の値段に直す仕組みです。未来を測れるようにしますが、同時に値段のつかない未来や価値を低く評価します。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;厄介なのは、ものさしが「一本もない」ことではなく、「一本だけある」ことです。本当に何もなければ、入ってくるものは何であれ、いったん検討の対象になります。しかし一本だけあると、その一本と衝突しないものは、検討されないまま通ってしまいます。抵抗が働くのは、収益と相容れない構想に対してだけです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;いま入ってきている思想は、まさにその形をしています。防衛も宇宙も、特にアメリカでは市場として大きく、国家が顧客になります。お金のものさしは、これを肯定します。むしろ「儲かるテーマ」として高く評価すらするでしょう。価値判断のために使えるものが、そのものさししかないからです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そのうえでこの思想は、収益だけでは供給できないもの、つまり何のためにやるのかという意味を、一緒に持ってきます。既存のものさしと競合せず、その足りない部分を埋めにきています。だから摩擦が起きづらく、受容されやすいのではないでしょうか。空いた席に誰かが座ったというより、席が用意されないまま資源だけが動いてきた場所へ、外から椅子が運び込まれているのだと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/20260815171008.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&quot;かっこよさという衝動&quot;&gt;かっこよさという衝動&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;そこに、美が加わります。真・善・美という古い区分を借りれば、いま入ってきている思想は、何が起きているか（真）と何が正しいか（善）だけでなく、美の側でも作られています（&lt;a href=&quot;https://open.spotify.com/episode/65MHZRskQGUnpU3SSYt4Bx?si=T0E04bx3QbWaf-sQdQywag&quot;&gt;参考：働き者ラジオ「テクノロジーとかっこよさ」&lt;/a&gt;）。Palantirの社名がトールキンから採られていることも、その黒く重い意匠も、「Forward Deployed Engineer」という職種名も、偶然ではないでしょう。文明の存亡が懸かった仕事だという物語と、それにふさわしい見た目と、国家への奉仕というヒロイズムが、一緒に設計されています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;美的な判断は、論証を必要としない唯一の評価です。儲かるかどうかは計算できますが、それをやる意味があるかどうかは計算できません。そして、かっこいいかどうかは、計算しなくてもその場で決まります。だから、ものさしが一本しかない場所では、意味の隙間を真っ先に埋めるのが美になります。批判すべきは、それをかっこいいと感じる人ではなく、お金とかっこよさ以外のものさしが手元にないという状態のほうです。&lt;strong&gt;未来形のものさしがないということは、未来についての判断が、収益の計算と美意識だけに委ねられているということでもあります。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;念のため、いまの日本に反発がないと言いたいわけではありません。防衛や監視への拒否反応は、確かにあります。しかし、拒否と選別は違います。パッケージを分解して、使うものと使わないものを分けられないなら、丸ごとの拒否は、丸ごとの受容と同じ構造だからです。摩擦のなさとは、抵抗の不在のことではなく、選別基準の不在のことです。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;選別する力と選べる実弾&quot;&gt;選別する力と選べる実弾&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;本来であれば、思想や倫理などを市場側のプレイヤーが考える必要性はないのだろうと思いますし、ジョセフ・ヒースが『&lt;a href=&quot;http://keio-up.co.jp/np/isbn/9784766430394/&quot;&gt;資本主義にとって倫理とは何か&lt;/a&gt;』で説くように、市場はそうあるべきではないとも思います。しかし米国を中心に、思想とビジネスが一体になって市場の欠陥を積極的に活用しにきているような現状を見ると、お金というものさしだけですべてを判断しようとすると、私たちはひどく無防備になってしまうのではないかと思っています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そこで、私たちがこれから米国の思想と向き合う際に必要なことを最後に考えたいと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1つめは、入ってくるものを&lt;strong&gt;選別する力&lt;/strong&gt;です。思想を三つの要素に分解し、その地図が日本の条件に当てはまるかを検証し、ものさしを自分たちの優先順位と突き合わせ、別の進路を示す能力のことです。よくできた思想ほど、ものさしは価値判断としてではなく、地図の帰結として提示されます。こういう状況だからこれを優先すべきだ、という形をとるので、そこに選択があること自体が見えにくくなります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それを選択だと見抜けるのは、自分たちで優先順位を議論した経験があるときです。未来や規範を国内で論じておくことの効用は、良い結論に辿り着くための営為であると同時に、他人の結論を選択として見分けられるようになることのほうにあります。だからこそ、&lt;strong&gt;私たちはもっと未来や規範を語る必要があるのではないか&lt;/strong&gt;、と思っています。そこには社会と向き合い、どのような社会を作っていきたいのかという実践的な人文社会的な知が必要となるのでは、と思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;2つめは、&lt;strong&gt;選べる実弾&lt;/strong&gt;です。別の進路を言葉で示すだけでは、対案は選択肢になりません。その進路に実際に賭けた事業があって、初めて選べます。反対することはできても、代わりに何を使うのかと問われて答えるものがなければ、判断は結局、受け入れるか何もしないかの二択に戻ってしまいます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;よって、ここには変わらず事業が必要です。その一形態として、未来についての思想を持つスタートアップがもっと出てきても良いのではと思います。安全保障をどうするのか、供給不足をどうしたいのか、その結果どういう社会を作りたいのか、といった日本や世界の未来の社会に向けた議論と事業がもっと必要ではないでしょうか。アメリカの投資テーゼを見る必要はあるかと思いますが、それに単に乗るのではなく、それを踏まえた上での自主的な思想が必要です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/20260815170858.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;まとめ&quot;&gt;まとめ&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;『テクノロジカル・リパブリック』が読まれること自体が問題ではなく、それを受け入れる体制が整っていないのが問題ではないか、という論を展開してきました。決して、米国の思想を拒否すれば良いというわけではないと思っています。良い地図は使えばよく、外から来た思想を読むこと自体は学びになりますし、同盟国の理解には努めるべきです。問題は、それを測るものさしが、こちらの手元にあるかどうか、そして無批判にその思想を受け入れるかどうかです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;摩擦は、選別が働いているときにだけ生まれます。そう考えれば、摩擦が起こるのは健全なことであり、その摩擦を作れるかどうかが、飲み込まれずに使うための条件なのだと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そのためにはもっと社会の未来と規範を語っていくべきではないか、というのが本稿の仮説です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;※本稿は、&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/future-thought-japan-2026/&quot;&gt;前作&lt;/a&gt;の後半の議論を、独立した記事として読めるように再構成したものです。明治から現在までの経緯を含む全体の議論に興味があれば、そちらもご覧ください。&lt;/p&gt;
&lt;section data-footnotes=&quot;&quot; class=&quot;footnotes&quot;&gt;&lt;h2 class=&quot;sr-only&quot; id=&quot;footnote-label&quot;&gt;脚注&lt;/h2&gt;
&lt;ol&gt;
&lt;li id=&quot;user-content-fn-1&quot;&gt;
&lt;p&gt;Mullinsは加えてイデオロギーに論理的体系性を求めますが、そこまで体系だったイデオロギーはほとんどなく、バイブスに近いものもあるので今回は省きました。 &lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/#user-content-fnref-1&quot; data-footnote-backref=&quot;&quot; aria-label=&quot;本文の参照 1 へ戻る&quot; class=&quot;data-footnote-backref&quot;&gt;↩&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;/li&gt;
&lt;/ol&gt;
&lt;/section&gt;</content:encoded><dc:creator>馬田 隆明</dc:creator><category>オピニオン</category></item><item><title>スタートアップをとりまく思想と未来を、日本から書き始めるために</title><link>https://takaumada.com/blog/future-thought-japan-2026/</link><guid isPermaLink="true">https://takaumada.com/blog/future-thought-japan-2026/</guid><description>本記事は以下の記事に分割して再構成しました。 思想と資本 1 | 資本はいかにして思想から離れたか 思想と資本 2｜日本で思想はいかにして資本から離れたか 思想と資本 3｜アメリカで思想と資本はいかにして再び結ばれたか 思想と資本 4｜日本…</description><pubDate>Sat, 15 Aug 2026 08:24:59 GMT</pubDate><content:encoded>&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/future-thought-japan-2026/20260815171831.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;本記事は以下の記事に分割して再構成しました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/capital-and-thought-1/&quot;&gt;思想と資本 1 | 資本はいかにして思想から離れたか&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/capital-and-thought-2/&quot;&gt;思想と資本 2｜日本で思想はいかにして資本から離れたか&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/capital-and-thought-3/&quot;&gt;思想と資本 3｜アメリカで思想と資本はいかにして再び結ばれたか&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/capital-and-thought-4/&quot;&gt;思想と資本 4｜日本のスタートアップで思想と資本はいかにすれ違ったか &lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/capital-and-thought-5/&quot;&gt;思想と資本 5｜日本の未来を誰が構想するのか &lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/&quot;&gt;スタートアップの思想の空白 ―― 『テクノロジカル・リパブリック』が摩擦なく受容されやすい構造について&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/&quot;&gt; &lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;※ 参考：本稿は「&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/startup-thought-2026/&quot;&gt;スタートアップをとりまく思想&lt;/a&gt;」および「&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/&quot;&gt;シリコンバレーという答えから離れるとき&lt;/a&gt;」の続編です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;※ 本稿の執筆にあたっては、構成の検討、資料調査と反例の探索、校正の一部にAI（Claude、ChatGPT）を利用しています。&lt;/p&gt;</content:encoded><dc:creator>馬田 隆明</dc:creator><category>オピニオン</category></item><item><title>シリコンバレーという答えから離れるとき</title><link>https://takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/</link><guid isPermaLink="true">https://takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/</guid><description>いま、海外のスタートアップやテクノロジーの思想が日本に次々と入ってきています。 PayPalの共同創業者であるピーター・ティールが現代アメリカを理解するキーパーソンだと繰り返し紹介され、昨今では『テクノロジカル・リパブリック』も話題となりま…</description><pubDate>Thu, 13 Aug 2026 01:27:27 GMT</pubDate><content:encoded>&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/20260813095906.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;いま、海外のスタートアップやテクノロジーの思想が日本に次々と入ってきています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;PayPalの共同創業者であるピーター・ティールが現代アメリカを理解するキーパーソンだと繰り返し紹介され、昨今では『テクノロジカル・リパブリック』も話題となりました。そして国家とテクノロジー企業の関係についての論考も多く紹介されています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本はシリコンバレーから様々なものを輸入しています。たとえば2010年代に輸入していたのは、シリコンバレーで語られる未来予測のナラティブや、先端的なエンジニアリングのプラクティス、そしてリーンスタートアップやデザイン思考やOKRといったビジネスの方法論などです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして2020年代後半の今、入ってきているのは、&lt;a href=&quot;https://en.wikipedia.org/wiki/Techno-Optimist_Manifesto&quot;&gt;テクノ楽観主義&lt;/a&gt;や&lt;a href=&quot;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E7%9A%84%E5%8A%A0%E9%80%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9&quot;&gt;効果的加速主義&lt;/a&gt;、暗黒啓蒙といった思想群と、国家、防衛、統治にかかわる事業です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/20260813095822.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;振り返ってみれば、2010年代、シリコンバレーは少し先の未来がある場所として扱われ、様々な事業が「シリコンバレーという答え」を参照して、その答えの中で使えるものを使う、という形で動いてきました。しかし桁違いの資本を持つようになり、中身も変質していくシリコンバレーを見ていると、もうそれはできないし、そうすべきでもない、とも感じています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そうした意味で、「シリコンバレーという答えから離れるとき」がやってきたのかもしれません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;もちろんシリコンバレーの技術や事業から学ぶべきものは、今も多くあり、これからも参照はし続けるべきでしょう。そこで頑張る人たちを否定する気はありません。資本主義の競争から降りるべきでもないと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかし日本全体として考えたとき、シリコンバレーの事業、つまりそこで立てられた問いと、その問いに対する答えを一組のものとして受け取り、そのコンセプトや事業そのものを日本でも参照すべき答えとみなすことは、もう難しくなりつつあるのではないか、と感じています。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;2010年代の前提が崩れつつある中で&quot;&gt;2010年代の前提が崩れつつある中で&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;2010年代まで、多くの事業体は、思想を意識せずに済む自由市場で活動していました。その時代には経済と政治が基本的には分離されているものであり、そうあるべきだと考えられてきたように思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかしその分離の前提には、暗黙的に自由市場とグローバリゼーションの価値観（いわば新自由主義的な価値観）が共有されていました。そうした前提が現在うまくいかなくなり、各国の内政が不安定になってきていることから、様々な変化が起きています。たとえば、急進右派や急進左派と呼ばれている政治団体の台頭や、各国での産業政策や関税などです。そうした動きを受け、政治と経済が再び融合しつつあるように見えます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;徐々に市場の構造が変わりつつあるなかで、国内外のスタートアップが注目する事業もまた移り変わりつつあります。冒頭の防衛などがその一種です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/20260813095843.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一方で、2010年代に高まった「スタートアップ」への注目をうまく使い、国家や統治にかかわる思想やナラティブが日本へ入りつつあるように思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;スタートアップは海外の技術と資本の言葉を早く受け取り、それを「次に来る市場」として紹介し、投資と起業を通じて正統化するような機能を持っています。言い換えれば、その動きを感知する最前線にいるということです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これまでは、シリコンバレーが示す未来像の中から、日本で使える技術や方法論を選び取ることができました。問いを立てるところから始める必要は、少なくとも今ほど強く意識されていなかったのだと思います。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;実業を伴って入ってくる思想&quot;&gt;実業を伴って入ってくる思想&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;その文脈でPalantirと『テクノロジカル・リパブリック』を見ると、それは単なる事業でも、また単なる思想書でもないように見えます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;著者の一人でPalantirのCEOでもあるアレックス・カープは、米国とその同盟国が優位を保ち自由を維持するために、ソフトウェア産業がAI開発競争を含む国家的課題へ向き直るべきだと論じ、そのうえで日本を含む各国で事業を展開しています。Palantir自身も、&lt;a href=&quot;https://www.palantir.com/ai-action-plan-recommendations.pdf&quot;&gt;2025年の米政府への政策提言&lt;/a&gt;で、自社の仕事を米国の国益とその文明を支えるものと位置づけ、米国がAIの国際的な議論と制度形成を主導すべきだと主張しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;従来のスタートアップシーンや思想シーンとは異なり、「技術と事業という実体を持った思想」が今、安全保障をテーマに、哲学などの人文知・教養をまとった形で入り込みつつあるということです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/20260813100044.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;Palantirという1社だけが特別というわけではありません。a16zの&lt;a href=&quot;https://a16z.com/american-dynamism/&quot;&gt;American Dynamism&lt;/a&gt;も、防衛、公共安全、製造、教育など、米国の国益に関わる領域を投資対象として明示しています。そしてそうしたVCから投資を受けたAndurilなども日本に入ってこようとしています。つまりこれは、思想、企業、資本、国家政策が接続された動きだということです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;表面的かつ第一義的には、それはどの技術やサービスを採用するかという問題です。&lt;strong&gt;しかしこうした事業群は、「なぜそれをやるのか」という規範的な世界像から丸ごと束ねて供給されてくるように見えます。&lt;/strong&gt; そのため、それらの技術やサービスを採用すると、その裏にある思想や統治の方法が、調達や運用の前提として同時に入ることがあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;もちろん、&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/defense-tech-2026-2/&quot;&gt;防衛力&lt;/a&gt;や抑止力の観点で、それを採用せざるを得ない部分もあります。しかしその場合でも、そうしたサービスの機能を選別して、どこまでを受容し、どこまでを拒否するのかを、ある程度の価値基準に照らして考えなければなりません。ただ、それらは日本の思想を実装へつなぐ回路の空白を突くような形で入って来ようとしており、油断していると無自覚にその思想を全面的に受容してしまうのではないか、というのが昨今の危機意識です。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;米国では思想資本政策が合流して力を形成&quot;&gt;米国では思想・資本・政策が合流して力を形成&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;特に米国のテクノロジー思想を特徴づけるのは、その経路です。米国では、大学、政府研究費、財団、シンクタンクといった、問いを自分で立てる組織が国家と市場のあいだに確保され、競争しながら思想を鍛え上げていきました。その上で、近年はVCの存在感が高まってきました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;VCは、将来像を投資テーゼへ変換し、それを物語として語ることで資本と人材を集め、配る組織です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それだけではなく、a16zは、資金を配ることに加えて、メディアを持ち、本を出し、採用を支援し、政策へ働きかけることまでを同じ組織に持ち込みました。&lt;a href=&quot;https://a16z.com/investing-in-american-dynamism/&quot;&gt;投資仮説を公開する&lt;/a&gt;ことで、有望な創業者、専門人材、LP、共同投資家を特定の領域へ集め、投資先が属する市場そのものを形成しようとします。将来像の翻訳と、資本の配分と、発信が、同じ主体によってなされつつあるのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この発信は、単なる広報ではないと見た方が良いでしょう。マーク・アンドリーセンは、クランとサンスティーンが提唱した「&lt;a href=&quot;https://sites.duke.edu/timurkuran/1999/04/01/article-availability-cascades-and-risk-regulation/&quot;&gt;アベイラビリティ・カスケード&lt;/a&gt;」という概念を使って、自らの&lt;a href=&quot;https://pmarca.substack.com/p/availability-cascades-run-the-world&quot;&gt;発信戦略&lt;/a&gt;を説明しています。ある話題は、語る人が増えるほど重要で確からしく見え、それがさらに語る人を増やします。クランとサンスティーンは、この自己強化の仕掛け役を「アベイラビリティ・アントレプレナー」と呼びます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;アンドリーセンはこの概念をスタートアップ創業者にも当てはめ、社会の注目の焦点そのものを設計しようとします。シリコンバレーからの未来予測の輸入は、日本がこのカスケードの下流に位置してきたことの、一つの現れとして取れますし、現在進行形で起こっている防衛テックの日本での受容などもその一種とも見えます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ここまでの思想と資本と発信の関係を図にすると、次のようになります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/20260812001311.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただし、思想が先にあり、資本がその思想に従ったという単純な順序ではありません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;米国では、大きくなった資本が、その資本のリターンを得るために、自分と同じサイズの大きな将来像やストーリーを必要としました。1兆円のファンドを作れば、時価総額10兆円や100兆円の規模になりうる事業とストーリーを必要とします。その結果、国家や人類規模の課題と接続せざるを得ません（この往復は以前「&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/pendulum-between-culture-and-finance/&quot;&gt;カルチャーとファイナンスのあいだの振り子&lt;/a&gt;」として書きました）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;つまり、思想が資本を動かしただけでなく、大きくなった資本もまた、大きな思想を必要とするようになったとも言えます。ある意味で、「思想の資本主義化」が起こったと言えるでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;投資から政策関与までを少数の組織が担う現在の米国の状況は、この延長線上にあると見ることができます。バイデン大統領が退任演説で&lt;a href=&quot;https://bidenwhitehouse.archives.gov/briefing-room/speeches-remarks/2025/01/15/remarks-by-president-biden-in-a-farewell-address-to-the-nation/&quot;&gt;「オリガーキー（寡頭制）が形成されつつある」と警告&lt;/a&gt;したのも、こうした状況に対してでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただ留保を1つ加えておきます。a16zやティールは米国VCの平均ではありません。私の知る範囲では、他の国に、投資テーゼを超えた思想を書き広めるVCはほとんど見当たりません。だからVC全般が危険だと言いたいのではありません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただしVC資金がそうした一部の力を持つファンドへ集中する構造はあり、&lt;a href=&quot;https://nvca.org/press_releases/nvca-releases-2026-yearbook-charts-a-venture-industry-in-transition/&quot;&gt;2025年には上位10ファンドが米国VCの調達額の32.9%を占めました&lt;/a&gt;。特異なのは思想を資本の回路へ組み込み、その一部が膨張している米国のほうです。そしてだからこそ、書かれた思想は、大きな資本力を持って、他の国の思想にはない実装の力をまとって入ってきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして米国側では、思想を書く人、資金を配る人、企業を作る人、製品を導入する人、政府へ政策を提案する人が接続し、様々な「成功した創業者」という具体例があるからこそ、その思想が説得力を持っています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;なお、米国の思想がすべて悪いと考えているわけではありません。問題は、それを日本が無批判に受け取ることにあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;現在の米国で生まれているテクノロジー思想は、米国固有の政治、産業、安全保障上の問題への回答でもあります。その思想を受容するということは、提示された答えだけでなく、その答えが前提としている問題設定、制度、優先順位まで取り込むことです。その選択肢が日本にも有用である場合はあります。しかし、米国固有の問題への回答を、前提ごと輸入してしまえば、日本の条件には合わない判断基準まで受け入れかねません。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;論評だけでは動員や判断を止められない&quot;&gt;論評だけでは動員や判断を止められない&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;ここで受容の様式を2つに分けておきます。思想を理解し、位置づけ、批判して完結する受容を「論評的受容」と呼び、思想を自分の意思決定の前提に組み込む受容を「実装的受容」と呼びます。同じ本を読んでも、書評を書くのが前者、投資テーゼや事業計画を書き換えるのが後者です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ティールや加速主義への日本の反応は、書評、解説、警告という論評的受容でほぼ終わっています。これは能力の欠如ではなく、むしろ批評の伝統が育てた論評の能力の高さの現れでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかし論評は選別の第一歩であって、選別の軸そのものではありません。&lt;strong&gt;「で、あなたはどうするのですか」「私たちはどうするべきなのですか」&lt;/strong&gt;という問いに対して、論評や分析はヒントを与えてはくれますが、答えてはくれません。しかもアベイラビリティ・カスケードの中では、批判もまた「語る人」の一人に数えられ、話題の重要性を高める側に回りかねません。論評だけでは、注目と資本の動員も、個々の導入判断も、止めることは難しいのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;選別には、比較の対象が必要です。入ってくる思想が答えようとしている問題に対して、自分たちならどう答えるのかという対案があってはじめて、どの部分を受け入れ、どこからを拒否するのかを判断できます。対案がなければ選別は成り立たず、丸ごと受け入れるか、丸ごと拒否するかの二択に近づいていきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/20260813100156.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本には豊かな批評や思想の語り手がいます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかしそうした語りの多くは、従来の批評や思想の領域の中にとどまり、技術、安全保障、産業といった、いままさに思想が実業を伴って入ってきている領域をまだほとんど覆えていません。出てきている担い手もごく少数にとどまっています。いま空白なのは、論評の能力ではなく、入ってくる思想と同じ土俵に立つ対案のほうです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;先ほど「思想を実装へつなぐ回路の空白」と書いたのは、この空白のことです。回路に載せるべき対案そのものが乏しく、そして対案を語る人と、調達し導入する人との接続もなければ、米国の思想そのものは論壇で批判されるものの、現場では無自覚に実装される、ということが起こりえます。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&quot;自分たちの価値基準と問いを持つ&quot;&gt;自分たちの価値基準と問いを持つ&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;したがって、思想の検討は事業や導入の後に行う批評では足りず、何を作り、何を購入し、どの能力を国内に持ち、どの判断を外国企業へ委ねないかを、事業と政策が固まる前に示す必要があります。また、論評にとどまらず、実体を持つ事業としての対案も増やしていく必要があるでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これは論壇だけの仕事でも、政府だけの仕事でもないでしょう。たとえば防衛やインフラの調達にかかわる組織は、海外製サービスのどの機能を受け入れ、どこからを拒否するかの選別基準を、導入の前に持ち、議論する必要があります。あるいは、対案となるような事業を作っていくことで、価値基準の違いを分かりやすくすることもできるかもしれません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そのためには、米国から入ってくる答えを選別するだけでは足りず、日本側で、自分たちが直面している問題は何か、何を守り、何を変えたいのかという問いを、先に立てる必要があるでしょう。たとえば本来は社会保障などの問題を解くべきなのに、アベイラビリティカスケードによって別のところに過剰に注意が向かってしまったら、解くべき問題と資源配分を間違ってしまいます。持つ問いを間違えば、その答えの有効性は激減します。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自前の問いがあれば、海外から入ってくる技術や事業を、その問いに従って評価することもできます。しかし、日本にとって何が問題かを決めるところまで米国側に委ねてしまえば、日本側で問いを立てる力は育ちません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;シリコンバレーという答えから離れるとは、シリコンバレーから学ぶことをやめることでも、米国の技術や思想を単にすべてを拒否することでもないと思っています。そこで立てられた問いと答えを丸ごと受け取るのではなく、自分たちで問いを立て、その答えの一部としてシリコンバレーの技術や思想を選び直すことです。シリコンバレーが作ってくれた技術をうまく活かして、私たちの問題を解くことです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;https://img.takaumada.com/blog/far-from-silicon-valley/20260813100522.webp&quot; alt=&quot;&quot; width=&quot;600&quot;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それは論評的受容から実装的受容へ進むことであり、回路の空白を日本側から埋めていくことでもあると思っています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そうした観点で、日本の国家や産業の構想・思想が今、必要ではないか、というのが現在の問題意識です。ひいてはそれは私たちが何者でありたいのかを考える機会ともなりうるのではないかとも思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;問いを立てる場をどう作るかといった具体的な進め方については、稿を改めて論じたいと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;➡ 続きの記事として&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/technological-republic-acceptance/&quot;&gt;『テクノロジカル・リパブリック』が摩擦なく受容されやすい構造&lt;/a&gt;を書きました。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;※ 前回の記事「&lt;a href=&quot;https://takaumada.com/blog/startup-thought-2026/&quot;&gt;スタートアップをとりまく思想&lt;/a&gt;」。本稿は同記事の続編です。本稿の校正等はAIを活用しながら行っています。&lt;/p&gt;</content:encoded><dc:creator>馬田 隆明</dc:creator><category>オピニオン</category></item></channel></rss>